アルバトロスの日常4ー1
『2045年4月29日』
気が付けば4月も下旬。
日数ばかりが経過していき、まったく進まない練習過程だが、とにかく今日も少年少女は部室船秋津島に集まっていた。
しかし今日は少し趣旨を変え、アリアの指導役として妙子がホワイトボードの前に立つ。
「それじゃあ、この練習用の飛行機を使って基礎から教えるわね」
「何度目の基礎授業ナンデスカネ」
「ライセンスをとる時に教わっているでしょうけれど、おさらいってことで」
「アリアチャンの才能のなさに戦慄スルガイイ」
「武蔵くん、うるさいから後ろで話さないで」
秋津洲の後部甲板にて、教師役を剥奪された武蔵が背後で唸りながらリュックサックを開いていた。
可愛い女の子が大好きな妙子は、妙にはりきりながらアリアに講義する。
武蔵が持つそれは文字通りのリュックサックではない。小さくサイズまで折り畳まれた超軽量動力機であった。
「何度見てもちゃっちいですよね。ゴムでプロペラを回す模型飛行機みたいです」
アリアの奇妙な表現を、だが存外的を射ていると武蔵は思う。
翼は化学繊維の丈夫な布、動力は電動。無駄にケーブルを光ファイバー化され軽量化にも抜かりない。
最新技術を惜しげもなく投じた結果、逆に安っぽくなってしまった飛行機なのだった。
「クイックシルバー社製のアルバトロス。スペックは……」
「そういうのいいです面倒なので」
「生理止まっちまえ」
「死ねよ」
「あ、すまんまだ来てなかったか?」
「死ねよ」
容赦ない武蔵のセクハラにアリアは嫌悪丸出しで睨む。
とてもハーレムを作りたい男とは思えない発言であった。
「それじゃあアリアちゃん、乗って頂戴」
「え、あ、はい」
簡単な機体説明のみを終え、「さあ乗れ」と宣う妙子の頭をハリセンで叩く武蔵。
「基礎の授業どこいった」
そして彼女の豊かな髪の毛に鼻先を押し付け、甘い香りを堪能した。
「やっぱ先輩は頼りないから俺から説明しよう」
「というか根本的に、こんな小さな飛行機で戦闘機の練習になるのですか? 私はもっとちゃんとした飛行機にも乗れるのですよ!」
アリアの疑問は最もである。彼女はライセンスを得る際に小型練習機に乗っているのだ、今更こんな玩具のような飛行機で納得は出来ない。
「だよな、お前祖国では飛行機操縦したんだよな……裏口? 不正?」
「ちゃんとセスナを飛ばしました!」
どれだけ筆記で優秀でも、結局は実機を飛ばさないとライセンスは得られないはずなのだ。
だが事実、アリアは最も操縦の容易なはずのアルバトロスすら飛ばせていない。このあたりが割と謎だった。
「小さいといえど、機能的にはエアレースで使用する戦闘機と大差ない。飛行機っていうのは大型旅客機から超軽量動力機まで基本操作は同じなんだ」
「いえいえ、流石に違うでしょう色々と」
「そりゃあ違うさ。でも同じなんだよ」
飛行機の基本的な操縦装置はたった3つ。
操縦桿、スロットル、ラダー。これだけでどのような機体も自在に操ることが出来るのである。
「で、だ。大きな飛行機と小さな飛行機、どっちの方が飛び方に操縦技術が如実に現れると思う?」
「それは当然、大きい飛行機でしょう。小型飛行機なんて免許取るのも簡単なんですから」
「ハズレだ。実は、小型機の方がパイロットの技能を問われる」
「バカを言わないで下さい。私が旅客機を操縦出来るとは思えません」
「いや出来るって。着陸以外は」
「墜ちろと?」
「ねえ、それより」
妙子は武蔵とアリアの会話の
「さっき、私すっごく自然な流れでとんでもなく変態的なことをされたんだけど」
髪の毛をセクハラされた妙子は、頬を朱に染めて可憐に恥じらいつつウエットティッシュで髪の毛を拭いた。
アルコールスプレーで除菌することも欠かさない。
「妙子先輩、ちょっと自己主張したいのは判るんですが、ちょっと静かにしてて下さい」
「むーっ」
怒られた妙子は拗ねてしまった。
「まあ単純な話だ、大きな乗り物ほど外の影響を受けにくい。大型車は高速道路でもガタガタしないし、大型船は小型船より揺れが小さく酔いにくい。飛行機も同じで、小型機は風の影響を受けやすいしパワーも小さいから操縦の無駄が露骨にスピードに影響を与えるんだ」
「だからあえて小型機で練習しよう、ということですね」
あえて低馬力の機体で練習して、飛行技術の無駄を減らす。
これはエアレース界ではよくある練習方法である。
「いや、初期の練習にわざわざ競技用の機体を持ち出すのが面倒って方が大きいんだが」
小さければ扱いやすいというわけではないが、超軽量動力機はレジャー用の飛行機なのでその辺も十二分に考慮されている。
軽量高出力の超電導蓄電地。同素材を採用した小型大出力電動コンプレッサー。炭素繊維を織り込んだ極薄の強化皮膜。ファンウイングによるVTOLすら可能な浮力。そして、それらを統括しアクティブな機体姿勢制御までも行う小型コンピューター。
―――ようするに、とても凄い技術を集めて作った、とても小さな飛行機。
「でも安全だって言ってたじゃないですか、超軽量動力機」
「安全だぞ。最高速度は時速185キロ以下だし、天気情報を自動で受信して危険だと判断すれば運用者の意志を無視して飛行不可能なスリープ状態となっちまう。積載能力も乏しい、本当にただ飛ぶだけの飛行機だ」
「自転車感覚で使えれば便利そうですけどね」
「土地によってはそういう人もいるが、この辺じゃ見かけないな」
航空法の緩和があったが、なんでも許可されているわけではない。
遅刻しそうになって慌てて自前で飛行許可を申請した武蔵であるが、毎度毎度やれるわけではないのだ。
「それに、ぶっちゃけ公共交通機関を利用した方が楽だ。自前だと滞空証明とかもあるからな」
「対空照明? サーチライトですか?」
「車でいうところの車検だ。飛行機を預けて、点検してもらう制度だよ」
「一年に一度、工場で検査をしてもらうだけだけど……アリアちゃんもライセンスを取る時に習ったはずよ?」
「え、ええっと、あーあれですね、ハイ」
「忘れてたなお前。まあ飛行機のメンテナンスやトラブルで何かあれば、適当に相談してくれ。俺に」
「……いえ、プロに見てもらうことにします」
「整備師資格持ってるから俺もプロだっての」
得意げにサムズアップする武蔵。
アリアは先程の意趣返しをすることにした。
「裏口、不正合格ですね」
「んだとこら」
妙子は満足げに頷く。
「運用や法的なことについてはこれくらいかな。それじゃあ、実際に乗ってみましょ」
「なんで妙子先輩が解説した風になってんの。終始全部俺が説明したよ? 先輩ずっと役立たずだったよ?」
「武蔵うるさいのです」
促され、アリアは超軽量動力機に飛び乗る。
「よっと、おわわっ」
「乗る時はこう、お尻から滑り込ませる感じにするのがコツよ」
手こずるアリアに、乗機のコツを実践してみせる妙子。
妙子はいとも簡単に、後部座席にトスンと締まったお尻を入れる。
なんだかんだで、遊び程度に乗るのは妙子も慣れているのだ。
「こ、こうですねっ」
アリアも見様見真似で尻をシートに落とす。
「痛っ」
「お前肉付き悪いからな、必要ならシートを柔らかいものに交換するが」
「余計なお世話ですっ! ……でもシートはふわふわのやつがいいです」
「あいよ。今度アルバトロスに載せられるシート調達しとく。面倒だが純正探しとくよ」
その改造に慣れた様子にアリアは戦慄した。この人、本当に整備士の資格を持っているのかよ、と。
「でもま、慣れないと乗りにくいのは判る。なんていうか、ちんさむだよな」
小型機は人間程度の体重でも大きく揺れる。自動車ほどしっかり安定しているわけではないのだ。
その感覚は慣れないとなかなかにおっかない。お上品な表現を良しとする当作品においてあまり直接的な表現は多用したくはないのだが、つまりタマタマがフワッとするのである。
「乗ったわね? それじゃ、1から焦らずに確認しましょう」
「は、はい!」
妙子は後部座席から身を乗り出し、直接指差しを交えつつ説明する。
「飛行機の操縦なんて単純なものよ。左手のレバーがアクセル兼ブレーキとなる『スロットル』。足にあるペダルが左右に機体を振る為の『ラダーペダル』。飛行機は基本的に、これだけで操れるわ」
「右手のレバー、操縦桿の解説は?」
「それは飾りだから気にしないで」
「飾りじゃねーよ!?」
あまりにも堂々と嘘を吐く妙子に、武蔵は渾身でツッコんだ。
「それは
「一番大切な場所なのに、説明を省くのですか……」
慄くアリアだが、省くには省くなりに理由がある。
小声で緊急会議を開始した武蔵と妙子。
「話を聞く限り、操縦桿を握らせてもかえって混乱するだけじゃないかしら」
「まあ、言わんとするところは判りますが」
ある程度発達した航空機の旋回は、操縦桿とラダーを有機的に操らねばならない。
だが黎明期の航空機、そしてそれに近い超軽量動力機は操縦桿に占める割合が小さいのだ。
ライト兄弟がたわみ翼を発明したように、操縦桿(特にエルロン操作)は飛行においてとても重要な要素だ。だが当時はあくまで機体を安定させる為の補助的な意味が強かったし、超軽量動力機となるとその辺コンピューターが完璧にサポートしてしまう。
やろうと思えば、右手を一切触れずに操ることも出来る。それを知っていた2人は、目と目で僅かに頷き合った。
「その
「飾りだぞ」
「ええっ……」
とにもかくにも、練習してみることにする。
「スロットルを慎重に押し込んで。それで前進するわ」
「りょ、了解なのです」
言われた通り、アリアはスロットルを静かに押し込む。
ゆっくりと前進する超軽量動力機。武蔵は徐行飛行する機体の隣を走ってついていく。
「次は曲がってみましょ。左のペダルを蹴って」
まるで自転車の教習だな、と思いつつ妙子は指示する。
「えいっ」
蹴って、という言葉通りペダルを蹴り飛ばしたアリア。
アリア機はスピンに陥った。
「きゃわー!?」
「すげー! 普通これで事故にならねえよ、逆に天才だ!」
「ちょ、ペダルから足離して!」
フィギュアスケートのように、くるくると回転する超軽量動力機。まるでベ○ブレードである。
アリアは足を離し、ついでに武蔵に教わった通りに両手をバンザイして操縦を手放す。
自動操縦によって機体は即座に安定を取り戻り、巡航状態となった。
「あううぅ」
「ど、どういうことなの、コンピューター制御された機体でスピンするなんて……」
目を回すアリアに対し、妙子は困惑するしかなかった。
「すごいでしょ。俺もびっくりしました」
「げろげろげろ……」
「操縦桿の説明を省いたから? ううん、ロールなしでも超軽量動力機なら安定性を失わないはず……」
ぶつぶつと原因を考察する妙子。身体の大きなアホの娘とはいえ、空部部長として妙子にもそれなりの知識はある。
その後の練習に、特別記すべきことなどなかった。
当然のようにアリアはフラットスピンして不時着し、練習は1分で終了したのである。
突然だが、先程の妙子の説明の続きである。技術的な描写に興味のない者は読み飛ばしてくれて構わない。
世界初の動力飛行を成し遂げた飛行機・ライトフライヤー号をご存知だろうか。
このライト兄弟が作り上げた飛行機には多くの技術的注目点が存在するが、その一つが捻り翼という『エルロン』の前身となった装置を装備していることだ。
翼を捻ることで、機体を捻るように傾ける機能。試行錯誤の段階を出なかった当時の飛行機は、この発想によって横風に対応し、また横滑りせずスムーズに旋回運動を行えるようになったのだ。
このように、飛行機にとって必要不可欠なエルロンだが。超軽量動力機の場合、妙子のいう通りこれを意図的に操作せずとも飛行は可能であったりする。
マニュアル操縦で効率的な旋回を行おうと思えば、やはりこれを駆使する必要がある。だがかつてライト兄弟が捻る翼を搭載した最大の理由は横風による墜落防止、つまるところ安定した飛行の為の補助装置。
コンピューター制御されているアルバトロスはほっといても安定飛行の為の最低限のフォローが自動で行われる為に、エルロンを操作する右手、操縦桿には触れずとも正常に飛行可能なのである。
だからこそ、妙子は操縦桿の説明を省いた。とにかく落ち着いて飛ぶことを優先した。
まあ結局上手くいかなかったわけであるが。
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