アルバトロスの日常3


『2045年4月26日』



 武蔵のアクロバット飛行に付き合わせるという荒治療を行うこと数日。アリアは懲りることもなく、武蔵の指導という名の無謀運転に付き合っていた。


「今日もアレ、やるんですか……?」


「やるぜー。超やるぜー。ぜーれーべーだぜー」


「上陸しないでください」


 朝、ダラダラと教室へ向かう武蔵とアリア。

 ある程度は表面上を取り繕えるからこそ、人が他者の人となりを把握するのは簡単ではない。

 朝一番の挨拶。印象操作といってしまえばそれまでだが、やはり集団生活においてこれは重要な儀式であろう。


「おはようございます!」


「アリアちゃん、おはよー」


「おっはー」


 教室に入るなり、堂々と挨拶するアリアにクラスメイトの女子達も笑顔で答える。滞りないハキハキとした口調は、クラスメイトに好印象を与えるには充分な態度だ。


「シャバダバ、ダバダバー、ドゥー……」


 そんなアリアに続き、挨拶もせず変な鼻歌を歌いつつ死んだ目で教室に入る武蔵。

 色々とダメな主人公である。


「私は蟹になりたい」


「茹でられたくなければ挨拶くらいしなさい」


 海外から引っ越してきたばかりだというのに、高校デビューを成功させているアリア。だが武蔵はといえば、過去の栄光など見る影もない落ちぶれっぷりだった。

 やがてHRを経て授業が始まる。本日最初の授業は美術だった。


「よーし、先週の美術の宿題集めるぞー!」


「ああ、そういうのもあったっけ」


「げーっ、俺やってねーよ!」


 教師の声に、各々がスケッチブックを取り出して教壇に集めていく。

 下手なものから本職並のものまで、多様なそれぞれのスケッチ。

 そのなかに、明らかに異質なものがあった。


「……おい、これ描いたの誰だ」


 鉛筆で描かれた中に、何故か一人だけフルカラーの裸婦画。

 繊細なタッチで描かれたその絵は、謎の光で大事な部分と目元が隠れていたものの個人を特定するには充分であった。

 アリアの冷たい声が武蔵に向けて指向する。


「おい、どういうことだこれは」


「しらんな」


「可能性があるのお前だけだろ」


 怒ったアリアってこんな感じなんだな、と武蔵は一つ学んだ。

 描かれたのはアリアの着替え姿。いつぞやの覗き見した絶景である。

 これまでにない明確な怒気。しかし、武蔵は誤魔化しきる自信があった。


「証拠はー? 証拠はあるんですかー?」


 証拠がなければ立件など出来ないのである。

 結局バレた。







 後悔とは常に自分自身に起因する。

 不可抗力ならば諦めもつく。理不尽ならば憤ればいい。

 だが、後悔とはそう簡単に責任転嫁することも許されない重い十字架なのだ。

 彼は十字架を背負っていた。あまりに重く巨大な十字架は、それそれものが罪の証明。


「―――反省した。俺は大いに反省したぞ、アリア。これは猛省といっていい。マリアナ海峡より、ブラックホールより深く反省した。どうだここは関大な心で許すべきだろう、そう思うべきだ、なあ?」


「死んで下さい」


 武蔵は溜息を吐いた。春の澄んだ空とは裏腹に、彼の内心は困り果てていた。


「まったく、ちょっとくらいクラスメイトにお前の裸体を披露したからって、そこまで怒ることもないだろうに」


「それで怒らずして何に怒れというのですか!?」


 がおがおと叫ぶ少女に、武蔵は何度目か判らない溜息をまた一つ。

 どうやらアリア・K・若葉は武蔵に対して、依然として怒気を抱いているようであった。

 アリア→武蔵への好感度が『少しだけ好印象』から『カースト最底辺豚野郎』にジェットコースターした日の放課後、部室秋津洲にはいつものメンツが集まっていた。


「ってわけなんですよー! 理不尽だと思いません? ちょおっとばかし、裸婦画の被写体に自分が似ているからてー! おーぼーですよねこれ、おーぼーだー!」


「うん。武蔵くんが犯罪を犯したら、取材に来た報道記者には『彼は幽霊部員でした、私は関係ありません』って答えておくわね」


「ガッテム! 先輩なら俺の夢を理解してくれると思ってたのに!」


「君は私のことをどう思っているのかしら」


 肝心のアリアがなかなか部室に現れないので、やる気のない2人のメンバーは無意味に時間を過ごす。

 真っ当な部活動を行うつもりは両者共になく、ただ無為に時間を消費していくだけの時間。

 だが武蔵は、妙子と過ごすこの時間が嫌いではなかった。


「俺の夢……可愛い奥さんを沢山もらって、ハーレム結婚するという目標に、是非ご協力をぉ!」


「それってつまり、私に武蔵くんのお嫁さんになれってことよね? 私を『可愛い奥さん』候補としてくれるのは嬉しいけど、私は武蔵くんのことは別に毛虫以上の存在だと思ってないから」


「毛虫!?」


 思ったより低い自分への評価に、愕然とする武蔵であった。


「いや、でも毛虫はやがて美しい蝶となる……先輩、なんだかんだで俺が大成するって信じてくれてるんですね」


「確かに武蔵くんは飄々と大物になりそうな気もしなくもないけど。性犯罪者とか、テロリストとか」


「テロリストはひどくないですか?」


「性犯罪の方は否定しないの?」


 武蔵は自分なりにキザなポーズを決め、イケメンボイスにて答える。


「ハーレムを作ろうというのだ―――その程度の誹り、覚悟の上だ」


「さっき武蔵くん、自分がいつか美しい蝶になるとか言ってたわね」


「言いましたね」


「武蔵くんはきっとマイマイガよ」




 【マイマイガ】

 ドクガ科に分類される蛾の一種。舞舞蛾の名の由来は、活発に飛び回ることから。

 10年に一度ほどの周期で大発生し、一帯の草木を食い尽くす。

 研究は行われているものの大発生を防ぐ手法は確立しておらず、人間は妙に存在感溢れるこいつ等を見て震える以外に選択肢はない。見つけ次第殺す? んなもん焼け石に水である。

 幼虫時代は弱い毒を持つものの、基本的には人間に直接被害を与えるわけではない。

 が、キモイ。ひたすらキモイ。




「やめて! 大発生はトラウマだからヤメテ! マイマイガイヤー! オーマイガー!」


 色気もへったくれもない会話をしていると、唐突に教室のドアがノックされた。


「はあい、どうぞ。どちら様?」


 部長の妙子が訊ねると、失礼しますとの掛け声と共に少女が入室してきた。


「あ、ゴミ」


「なにがゴミだ」


 やってきたのはアリアであった。

 真っ先に武蔵の存在を認め、あからさまに顔を顰める。


「悪ぶれもせず来ていたのですねゴミ」


「だからゴミやめろ。来なきゃお前の練習が出来ないだろうが」


「それはそうですが。とりあえず、痔にならない程度にお願いします」


 躊躇いもなく痔、痔と痔を連呼する女子高生ってどうなんだろうと武蔵は思った。


「でも武蔵くん、どうして急にアリアちゃんにちゃんと教えることにしたの?」


「ええまあ、魔が差して」


 アリアはやや葛藤し、やがて口を開く。


「膳は急げです。とにかく今日の訓練、お願いしていいでしょうか?」







「ねえねえ、武蔵くん。どういう経緯で教えることにしたの? あんなに嫌がっていたのに。どうしてどうして?」


 しつこい妙子の疑問に、武蔵は適当に答える。


「話は2年前に遡ります」


「はい?」


「ふむふむ」


 突然の語りに訝しむアリアを無視し、武蔵は法螺笛を吹く。


「アリアは当時、地元では名のしれたヤンキーでした。欧州の学校でヤンチャして、盗んだバイクで走り出すような女学生だったそうです」


「ま! 可愛らしい見た目によらず、意外とクレイジーなのね」


「まずヨーロッパなのかアメリカなのか統一しましょうよ」


 ヤンキーの本来の意味は『不良』ではなく、アメリカ人を指す蔑称である。


「アリアのアレっぷりは猛犬が如し、でした。長いスカートを履きバイクのチェーンを振り回し、ヨーヨーを武器に腹に銃弾を受けなんじゃこりゃー! でした」


 時代錯誤であった。


「ままま! まあ!」


「色々混じってます」


「そんな折、彼女は大いなる運命に巻き込まれることとなりました。そう、かつて世界を恐怖に陥れた大魔王の復活です」


「あの戦いね。私も従軍医師として参加したわ」


「貴女まで話に乗らないでもらえますか?」


 それから武蔵は2時間ほど妄想を垂れ流し、さて、と大きく息を吐いた。


「もういい時間だし帰るか」


「おつかれさまー」


「おい練習どうなった」


 アリアは転がっていた手頃な棒で武蔵のケツをフルスイングして、艦橋から叩き落とした。







「私の入学に変な設定付け加えないで下さい」


 帰り道、空中バスの座席に腰掛けつつ憮然と武蔵の妄想を否定するアリア。


「どうして日本、それもセルフ・アークなんて特殊な土地に来たんだ?」


 親の都合ではない。アリアに親がいないことは、武蔵も薄々気付いている。

 ならばなぜと問うと、彼女はこう答えた。


「人を、探しに」


「どちら様を?」


「友達なのです。私の家族です」


 それ以上を語るつもりがないのか、アリアは話題を変えた。

 今度は逆に、アリアから武蔵に向けて質問をすることにする。


「あの、一つお訊ねしても?」


 話題の変え方がやや強引で、アリアがこの国に来た理由を話したくないのだと武蔵は察する。

 武蔵としても根掘り葉掘り聞く気もなく、素直に会話の流れに乗った。


「恋人ならいないぞ。というか、有無に関わらず常時募集中だ」


「そんなことは聞いては……相手がいても尚募集するのですか?」


「俺の人生の目標はハーレムだからな」


 アリアはドン引きした。女性相手に欲望丸出しである。


「この国では一夫多妻は認められていないはずですが……」


「日本では不倫は文化なのよ」


 同じヘリに乗った妙子が、いらんフォローをする。


「ま、まじですか」


「マジよ。クラスメイトに『この国に不倫は文化、という言葉はありますか』とか聞いてごらんなさい。10人中10人が『有るぜよ』と答えるわ」


 提案が悪意に満ちていた。

 訊ねるなら有無ではなく、各々各人の価値観からそれを肯定するかを問うべきである。


「そ、そうなのですか……もしかして、貴女もこの変態の毒牙に……?」


「その通りだ。彼女は俺の女だ。なあ妙子」


「私に断りもなく、武蔵くんの欲望計画に組み込まれていることにビックリしたわ」


「幸せにします」


「ならまず、その甲斐性があることを証明することね」


「あえて言わせて頂きます。ヒモ男は嫌いですか?」


「そりゃあね」


ストリング?」


 なんだかんだで日本語の語録が足りないアリアが、単語の意味を理解出来ず首を傾げる。


「そうではなくて! 質問なのですが―――」


 アリアが少し気まずそうに、小さく挙手して訊ねる。


「そもそも空部そらぶって、どういう部活なのかよく知らないのです」


「「ええっ……」」


 そこからかよ、という内心のつっこみは武蔵と妙子間で見事にハモったのであった。


「空部ってのは、文字通り空に関する競技……スカイスポーツ全般を行う部活動よ」


 妙子が説明を終えた。

 満足げな彼女の表情を見る限り、これで彼女的には説明は終わりであるらしい。

 「それはわかってる」と言いたげなアリアの視線に肩を竦め、武蔵は説明を引き付く。


「正しくは航空競技同好会みたいな名前なんだが、まあ学校やクラブによって名称は違うから、そこはあまり拘らなくていい」


「ちょ、武蔵くん! 質問は私が受け付けるわ!」


「しっかりものみたいな外見の割に、おとぼけタヌキな先輩は黙っていて下さい」


「ま! おとぼけタヌキ!?」


 テキトーな部分がある妙子に説明を任せては語弊誤解があるかもしれない。

 実はこの部活動において書類実務その他諸々も、最近では主に武蔵が請け負っている。それまでは見事に書類を停滞させ開店休業状態に陥っていたのだ。


「先輩は顔とおっぱいが最強なので、それが仕事なんです」


「武蔵くんの性根はとっても可愛くないわ」


 なんなんだろうこの人達は。

 アリアは前途に多大なる不安を覚えた。


「続きを話すぞ。最近は航空法が色々と緩和されている、ってのは知っているか?」


「はい、あちらでもニュース番組でよく言っていました。安全技術の発達で、航空機の取扱の敷居が下がったのですよね」


 首肯する武蔵。航空法の緩和があってこそ、空中バスたるチヌーク輸送ヘリの運行も実現しているのだ。

 かつての審査基準で町内をヘリ輸送などした暁には、関係各所への申請を通すだけであっという間に予算を使い果たしての破産である。


「技術発展による安全性の向上に加えて、3Dプリンターとかで部品製造したりすることで、スカイスポーツは予算的にも昔と比べてずっと身近になった。これらの理由から、普通の学生や社会人の間でもスカイスポーツに挑戦する人が多く現れるようになったわけだ」


 しかしそれはそれで、当然ながら問題が生じる。変化には摩擦が付き物なのだ、それ自体が予定調和であったとしても。

 空の無秩序化。一度事故が起きれば大惨事となりかねないのがスカイスポーツであり、知識に乏しい人間が無許可で飛行し、初歩的な事故を起こす事例というのは昔からあった。厳しい航空法によってほぼ消滅したそれが、再び表面化したのである。

 正しい知識のある人間が指導する体制の必要性。それが提唱されるのは自然なことであり、すぐに全国で部活や社会人サークルとして、情報共有の場が整備された。


「この雷間高校空部も、そうやって生まれた部活の一つだ」


「なるほど、ではおふたりはスカイスポーツの専門家ということで宜しいのですね?」


「ううん、私はマネージャー業に専念してきたから実質武蔵くんだけが頼りよ」


 手をひらひらと振り、廃部寸前っぷりをアピールする妙子。

 多少飛行機の操縦ができるとはいえ、彼女はどこまでも素人だった。


「……あの妙子先輩。私達が入学する前は、一体どのような活動を?」


「お喋りしたり、デートしたり。懸命に空部を守ってきたわ」


「デートって誰とですか!」


「どうして武蔵くんが怒鳴るのかしら?」


 彼氏気取りの男、武蔵である。


「女の子同士でだから、安心してね」


「妙子先輩、大苫地区でお城みたいな可愛らしい建物があったので本当のデートといきましょう!」


「うん、それラブホかな」


「貴女達にご教授願おうということに、かなり不安を感じ始めたのですが……」


 早まったか、とアリアは頭痛を覚えた。

 妙子はやおら立ち上がり、自身の豊かな胸をぽよんと拳で叩く。

 揺れた。


「飛行機の扱いよね? まっかせて! この妙子先輩が、手とり足とり教えてあげるわ!」


「いえいえ、ここはクラスメイトとしてのよしみで俺が」


 アリアは苦悩した。

 妙子は素人レベル。武蔵は変態。どっちもハズレくじである。


「……よろしくお願いします、足柄先輩」


「うふふっ。そんな他人行儀じゃなくて、妙子でいいわよアリアちゃん」


 頭を下げ合い、そしてきゃははうふふと練習スケジュールの調整に移る女子2人。

 武蔵は放置プレイされてた。




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