アルバトロスの日常1
『2045年4月22日』
帰国子女という言葉にはどこか甘美な響きが潜む。
「アホか」とか「なに言ってんだコイツ」とか「男子でも子女なのは釈然としない」とか「山田太郎侍ここに見☆参」とか多々異論もあるであろうが、その特殊な立ち位置はやはり一目を置かれうるポジションであることは否定出来ないはずだ。
厳密にいえばアリアは産まれも育ちもヨーロッパ。帰国でも何もないのだが、とにかく雷間高校における彼女の立ち位置は凡庸ではない。
そんなミステリアスな美少女(珍獣的意味で)を奴隷にしてしまった武蔵だが、入学してからしばらくしてもその関係は友人と知り合いの間を行き来する程度のものだった。
「むう……」
空飛ぶバスの1件の後。アリアに飛行機について教えると約束したものの、機会に恵まれることもなく週末に突入した彼らは未だ操縦桿に触れることすらなく時間を過ごしている。
休日の過ごし方など人それぞれだが、武蔵の場合は自室で難しい顔をして唸っていた。
「宿題なんて授業中に教えるべき事柄を達成出来ない教師の怠慢だろう。なんたって個人の余暇を消費せにゃならんのだ」
武蔵はベッドの上で、スケッチブックを穴があくほど睨んでいた。
武蔵が真っ白な紙と睨み合うに至った理由、それは学校の宿題にあった。
社会人になってから役に立たない技能として勇名轟かせる数学だが、これは職業によっては意外と使用する機会に恵まれている。
武蔵を悩ませているのは真に役立たずであろう科目、美術。担当の教師は授業中にデッサンが終わらなかった生徒に対し、日曜日に家で済ませてくるように言いつけたのだ。
なんという横暴であろうか。なんという暴虐であろうか。しかしどれだけ嘆こうとも期限は待ってはくれず、武蔵は唸りながら自室の机にてスケッチブックに恨み節を漏らし続けたである。
「そもそも何を描くのか決まってないときた。あーやめやめ、やってられませーん」
大和はスケッチブックを放り投げ、ベッドに倒れ込む。
こういうのはインスピレーションが大切なのだ。根詰めたところでいい絵など描けないのだ。あながち間違いではないものの明らかに言い訳でしかない自己正当化を自身に言い聞かせ、武蔵は大きく伸びをする。
その時、外からローター音が聞こえてきた。ヘリコプターの音、それもかなりの大型機。
「空中バス? こんなルートいつも飛ばないのに」
上体を起こし窓の外を見れば、
「いろんな場面で大活躍過ぎるだろチヌーク」
まるで自分がチヌークの開発元であるボーイング社の回し者になったような気分になる武蔵である。
実際いろんな場面で大活躍するだけの下地のある、超優良傑作機なので仕方がない。80年以上に渡って基礎設計を変えず生産され続ける航空機など、その存在そのものがチートなのだ。
窓を開けて身を外に乗り出す。その塗装と外装の文字から、何らかの輸送業者であることはすぐに判った。
「なんだろ。お隣さんか?」
身を起こす武蔵。彼が真っ先に連想したのは、最近出来上がった隣の新築であった。
「春先に引っ越してくるならともかく、それなりに日数がたってからなんて変な家族だ」
大和家の隣には、前々から一軒家が建築されていた。
この宇宙コロニーは全域が新興住宅地、新築など珍しくはない。とはいえなんとも微妙なタイミングだった。
「いや、別に新年度を区切りにしているとは限らないか。社会人だけの一家なら春でも夏でも関係ないし」
輸送ヘリがトラックを慎重に降ろし、作業員が手早くワイヤーを外していく。2045年現代では、別段珍しくもない光景だ。
最近では技術発達によって、航空法は大幅に緩和されている。武蔵達が通学に利用している空中バスも、その恩恵の一つだ。
これはコロニー内ではなく地球上の話だが、かつて限界集落と呼ばれ、引っ越し先の選択肢に上がるはずもなかった山中にも人口が戻り始めている。船を出すにも採算の合わない、遠く離れた小島もまた同じく人口が増加傾向だ。
空という新たな交通手段が解禁されたことにより、山岳地帯や島の多い日本の人口分布は大きく平均化されることとなったのである。
山や海を超えての通勤、通学は今や珍しくはない。かつては一日がかりで挑まねばならない距離の移動を、技術は『近所』へと変貌させた。
江戸時代において別世界への旅に等しい東京大阪間が、新幹線の出現により僅か2時間半で移動できるようになったように―――そう、世界は更に小さくなったのだ。
人口の局部集中も収まり、人が集まればそこに仕事が生まれる。大和宅の隣の新築も、そんな時代の変化の一環で引っ越してきた家族なのであろう、と武蔵は予想を付けた。
「これも時代かねぇ」
面白い変化の時代に産まれたものだ、と彼は感じる。
家も完成したとあれば、後は家具の運び込みくらいであろう。窓から見ていれば、隣の新たな住人の顔も拝めるかもしれない。
彼の期待に答えるように、隣の家の敷地に先程のトラックが入ってくる。トラックが楽に駐車出来る広い家を購入出来るあたり、お隣さんは裕福な部類の人種らしい。
引越し業者の者達が、わらわらとトラックから飛び出して荷物を家へと運び込んでいく。
それを見守る部外者、その人影が引っ越してきた人物であることはすぐに判った。
「お、ガイジンさんだ」
引越し業者と話していた人物は日本人離れした髪の色をしていた。更に注目すれば、顔つきも異国風である。
ピンクのブラウスにインディゴのデニムパンツというカジュアルな恰好とした女性の後姿。
ふと、その人影―――少女が姿勢を変えたことで、彼女の容貌がはっきりと武蔵から見えた。
背は高くない、小さいとよくいわれる日本人女性の平均すら下回る。
しかし遠目ではそう感じさせないほどに華奢な四肢がスラリと伸び、陶磁のように真っ白な肌と白に極めて近い金髪は彼女が人形であるかのような錯覚さえ覚えさせる。
「って、アリアじゃねーか!」
「はい?」
名を呼ばれ、振り返ったアリアが目を丸くした。
「え? ええっ? なんで貴方がここに?」
「いやここウチだし」
「ええっー……」
「お前露骨に落胆したろ今」
アリアは明らかに気乗りしない様子ながらも、武蔵に「引っ越してきた者なのです」と挨拶する。
窓から上半身を乗り出している状態で礼儀もへったくれもないが、武蔵も一応きっちりと返事をした。
「よくぞ参られた。ほれ、近うよれ」
「はあ」
とことこと武蔵に近付くアリア。
それなりに早い段階で完成していた若葉家だが、引っ越しは今日。
武蔵としては疑問符しか残らない。
「なんでお前、もう日本の学校通ってるのに今更引っ越してんの? ホームレス女子高生してたの?」
「あとでお邪魔するので、その時に教えます」
家具の運び込みが先なので、アリアは適当に話を切り上げて新築へと入っていった。
「あとでお邪魔する? 引っ越しの挨拶ってやつか?」
なんと出迎えればいいのだろう、と考えつつぼんやりしていると再びローター音。
役目を終えたヘリは、トラックを再び吊り下げて空の向こうへと飛んでいったのであった。
妹の信濃は夕飯の買い物で遅くなると連絡があった。
「というわけで、俺がお出迎えだ。感謝しろ」
「はいはいどうも。これ引っ越しパスタです」
「国際色出しやがって、欧米か」
「欧米ですよ」
大和家の玄関にてアリアを出迎えた武蔵。
適当な挨拶もほどほどに、アリアは前言の通り大和家に踏み入る。
「まあなんだ、俺の部屋来いよ」
「嫌ですよ気持ち悪い。リビングでお願いします」
「悪いな、この家ワンルームなんだ」
「貴方の部屋二階でしたよね!? 一階はなんですか!?」
「高床式」
「ねずみ返し!?」
とにもかくも男の子の部屋など準備なしで女の子を招けるものではないので、言われた通りリビングへと案内する武蔵。
「へぇ。意外と綺麗に片付けているのですね」
「意外とはなんだ意外とは。ウチの妹の女子力舐めんなよ」
「信濃頼りですか」
当然だ、と武蔵は胸を張る。
「ウチの妹は変態であることを除けば、本当に最強だぞ。料理も家事も成績も顔も、全てが高水準だ」
「唯一の難点がほんとに致命的ですね」
「……うん」
項垂れた武蔵は、貰ったパスタを開いてぽりぽりと齧り始める。
あまりに自然な動作故、それが奇妙な光景であると気付くのに数瞬遅れたアリアは胡乱な目で彼を見つめた。
「なんで生で食べてるんですか? お土産はお菓子だったかな、とか一瞬考えたじゃないですか」
「お茶菓子切らしてるんだ。意外と食べられるぞ?」
「お茶菓子以前に、そもそも渋茶一つ出てきませんが」
飲み物すらないリビングにて、若い男女はパスタを食す。
誤魔化しようもなくシュールな光景だった。
「……あれ、意外と美味しい」
「アリア、ポッキーゲームって知ってるか? やってみようぜ」
「いいですよ。口を大きく開いて、何本の棒状菓子を詰め込めるかを競う競技でしたよね。ギネス世界記録は1784年にオスマン帝国皇帝が達成した533本だとか」
「そんなゲーム知らない」
本題も忘れくだらない雑談に興じる二人。正しく高校生らしく無為に時間を溶かしていると、やがて信濃が帰宅してきた。
「ただいまお兄ちゃん! お兄ちゃんの信濃、お兄ちゃんの信濃だよ!」
「選挙運動か」
「お邪魔しています、信濃さん」
踊るようにリビングに飛び込んできた信濃。
普段着らしさがあったアリアとは違い、こちらはギンガムチェックのロングスカートに白のニットという女子力フル装備のお出かけスタイルだ。
買い物帰りなので、当然その手には買い物袋が下がっている。
信濃はパスタを齧る二人に気付き、一言指摘した。
「乾麺のパスタはアルファ化していない生のデンプンだから、あまり食べるとお腹壊すよ?」
「貴方に付き合った私が馬鹿でした」
アリアはパスタの束を掴み、武蔵の口に突っ込んだ。
非公式ながらもギネス世界記録が更新された瞬間である。
「いえ別に、大したことではないのです。新しい家に引っ越す手続きに不備があって、仕方がなく今まで近くのアパートを短期で借りて生活していました」
「ほんとにつまらない理由だな」
よくあるかどうかはさておき、特別珍しいことでもない普通の事情だった。
特に意味もなく落胆されたアリアは、ならばどんな理由だったら納得するのかと問う。
「さぞや面白い可能性を聞かせて頂けるのでしょうね」
「ふむ」
武蔵は無駄に鷹揚な様子で頷いた。
「最初に想定すべきは、やはり記憶喪失だな。あるいは多重人格、生き別れの双子ってパターンも考えた」
「はあ」
「だが俺はあえてこれを推そう。―――ドキッ! 気になるクラスメイトは婚約者!? なシチュエーションだ」
「少女マンガでありがちなアレですね。というか武蔵、私のことが気になってたんですか?」
「なってねぇよ! このチビッチ!」
「チビとビッチを合体させないで下さい! というか日本人はビッチビッチと軽々しく言いすぎです!」
ぎゃあぎゃあと言い争い、しばらくして疲れた二人はすぐに静かになった。
所詮じゃれているだけであり、どうにも互いを憎めないのだ。
変な出会いをした武蔵とアリアだが、彼我の相性は悪くない、と本能的に理解出来てしまう。しかしそれを素直に認められるほどスレてもいない二人であった。
「……ま、なんだ。まさかお隣さんだとは思わなかったぞ」
「まったくです。まあ、知り合いが近くにいるというのは心強いですが」
「ん、おう」
頼りにしている、と言われたようで赤面する武蔵。
そんな意図は全くないアリアは、突然言葉に詰まった武蔵を不思議そうに見た。
「どうしました?」
「や、なんでも。なんだ、3年間よろしく頼む」
「なんですか改まって、初対面というわけでもないでしょうに。むしろ3年どころの縁じゃなくなった、という話ですよ?」
ただの高校の同級生なら、武蔵のいう通り3年間の間柄だ。
だが家が隣同士となると、その後もサドンデスで近しい関係が続くことになる。それがいいことなのかどうかは、アリアにはどうにも判断がつかなかった。
「はい、揚げパスタのハチミツ和えだよ二人とも!」
いつの間にか晩御飯の支度ついでにお茶菓子を調理していた信濃が、先程のパスタを再度テーブルの上に置いた。
武蔵は警戒しつつも一口齧る。
「美味い」
当然ながら、生でパスタを齧るより遥かに美味しい。和えたハチミツも味を整えているらしく、『甘い』というよりやはり『美味い』と感じさせる逸品であった。
「揚げちゃえばちゃんと小麦粉も消化出来るようになるからね。お茶は紅茶で良かったかな?」
「お気遣いなく。なんでもいいのですよ」
別に風土云々で気を遣わなくてもいい、と断りを入れるアリア。
「そう? 本場の人からすれば粗茶もいいところだろうけど、これで我慢してね。それじゃあ私は晩御飯の支度に戻るから」
ばちこーん、とウインク一つ。信濃は小悪魔的な笑みで、二人に忠告する。
「もう生パスタなんて食べちゃダメだぞっ?」
それだけ言って、キッチンに戻る信濃。
その背中をしばし見つめ、信濃は紅茶を一口飲む。
「アッサムのロイヤルミルクティーです」
「よく判らん」
二人は顔を見合わせた。
「女子力高いですね」
「でも変態なんだ、あれ」
気楽なお喋りの後に夕飯の席にも招かれたアリアは、ふと荷解きを全くしていないことに気づき帰宅することを二人に告げた。
「送ってこうか?」
「隣なのですし、いいですよ」
「うん、言ってみただけ。仮に頷いたところで送る気はないから安心してくれ」
「そこは無理矢理でもついてくるのが男らしさでしょう」
「なら実際ついてくる男がいたとして、嬉しいか?」
「いえ、むしろ身の危険を感じます」
それでも玄関までアリアを見送ることにした武蔵。
彼女が通るまで玄関が閉じないように手で押さえていると、ふと疑問だったことを思い出した。
訊いて良いものか不安はあったが、聞かないわけにはいかずに結局口にする。
「なあ、アリア。ちょっと訊いていいか?」
「駄目なのです」
「お前、あの家に一人暮らしなのか?」
アリアは不思議そうに目を瞬かせつつも、素直に頷いた。
「そうですよ。引っ越してきたのは私だけなのです」
「……ご両親は?」
「ご両親?」
アリアはなんてこともないように問い返す。
「ご両親って、なんですか?」
「あ、いや、なんでもない」
やべーことを訊いてしまった。
はぐらかしたという感じではない。誤魔化すにしても今の返答はおかしい。
アリアは今、ご両親と聞いて自分の親だと咄嗟に連想出来なかったのだ。
アリアの様子に、武蔵は彼女も何かしらを抱えていることを感じ取った。
「あ、両親ですか。はいはい、そうですね。えっと、実は私もよく知らなくて。私は……」
「いや、いい。すまん、込み入ったことを聞いた。無遠慮だった」
「なんですか気持ちが悪い。別に話すことに抵抗があるわけじゃないのですが」
突如気遣いを発揮した武蔵にこそ、アリアは気色悪さを感じた。
これがおおよそ彼女の武蔵に対する認識である。
アリアを見送った後、妹と戯れつつ余暇を過ごし、普段通りに就寝の時刻を迎える。
自室に入り、ベッドの上に放置されたスケッチブックで思い出した。
「あー、これがあったか」
数時間前に放り投げたスケッチブックを発見した彼は、嘆息と共にカーテンの隙間から星空を仰ぎ見た。
「いっそ真っ黒に塗って、『夜空』だと言い張ろうか」
口にして、それがナイスアイディアに思えた。
全然ナイスアイディアではないのだが、少なくとも彼にはそう思えた。
善は急げとカーテンを完全に開き、彼は目を剥く。
「―――あれは……!」
隣の新築は2階部分が1階部分より小さい、正面から見ると凸みたいな形をしている。
一階部分の屋根までおよそ3メートル。そして更に少し離れているが、屋根の先には2階の窓がある。
その窓の一つから、煌々と光が漏れていた。
アリアであった。
着替え中であった。
―――インスピレーションであった!
「っ!」
武蔵は咄嗟に部屋の電気を消す。こちらも明かりを点けっぱなしにしていては見付かってしまうかもしれない。
「ふん、窓自体は離れているからな……自室ということで油断したか」
武蔵はアリアの迂闊さを嗤う。
そして彼は、おもむろにスケッチブックを構えた。長らくキャンパスに向き合い続けてきた画家のように、精悍な横顔であった。
宿題はスケッチであったが、今の彼にとってはどうでもいい。絵の具を用意し、一心不乱に筆を走らせる。
それはあまりに苛烈な戦いであった。負けられぬ決闘であり、死闘であった。
脳裏に焼き付いた光景をひたすらに絵に写し取っていき、深夜0時を過ぎた頃にようやく勝利の時は訪れる。
やがて出来上がったのは、一枚の裸婦画。
それは写真を見紛うほどの、見事な精密画。美大への推薦枠を勝ち取れそうなほどの、凄まじい情報量の絵画であった。
「―――よしっ!」
その出来ばえに満足し、武蔵は今度こそ満足した表情で就寝するのであった。
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