No.4 他に何ができたというんだ

風白狼

他に何ができたというんだ

「無謀だヴォルク。死ぬ気かヴォルク。“パルチヤ”のお歴々は既に地上を制圧済みなんだぜ」

 とアレクセイは呻き、俺の肩を抱き寄せようとする。よしてほしい。確かに彼とは二度ばかり寝た。だがそれも戦争のストレスがなさしめた代償行為のひとつでしかなく、つまるところ、作戦が始まればさらなるストレスの波に押し流されてしまう程度の感情だ。“月の党ルーンナャ・パルチヤ”、あの糞ったれな月面統治組織に対する地球独立闘争も今年で5年目。アレクセイとの関係も同じだけの時間を経て、今では薄ぼんやりとした倦怠の霧の中に埋没してしまっている。それを感じ取れないアレクセイでもあるまいに。

「ここで戦わないでいつ戦うよ」

 俺が手を払い除けると、アレクセイは口髭に覆われた豪胆そうな顔に、似つかわしからぬ繊細な哀しみを浮かべた。

ヴォルク! 僕はお前と生きたいんだ。愛した人を大切に思っちゃいけないか」

 装甲服の駆動機複雑系を軋ませ、俺はレピョーヒン・ドロシェンコ光学重機関銃を胸まで持ち上げた。えらいもので、ゆうに120kgを超えるこの銃さえ、装甲服による筋力補助のおかげで体感的には小枝のように軽くなる。俺自身の命が軽く感ぜられるのと同等か、あるいはそれ以上にだ。

「死にたいときに死なせてくれよ、アリョシェンカ」

 ベッドクラヴァーチでしか囁いたことのない甘え声を、彼はどんなふうに受け取ったろうか。

 俺は地を蹴る。塹壕を飛び出す。途端に降り注ぎはじめた敵の砲撃の雨の中を、超音速の衝撃波を纏って俺は無心に突っ走る。目標は展開重点だ。軌道上から大洋へ着水する降下部隊はどうしても成層圏-地表間で無防備になる。よって狙撃やミサイルラキータ攻撃をさせないためにあらかじめ地上を制圧しておく援護部隊が絶対必要。そこへきて降下寸前のこの時に俺が突撃すればどうなるか? 敵は狙撃地点を占めさせないため必ず俺を、俺ひとりを狙ってくる。

 来い! 死ぬほど掻き回してやる!

 砲火の嵐。駆け抜ける俺。敵機甲兵力の布陣を音速突撃でブチ抜いて、俺は丘の麓へ出る。坂を駆け上りながら光学弾をばら撒く俺を、“パルチヤ”どもは十字砲火で迎え入れる。

 と、不意に銃撃がんだ。何かおかしい。何かが――

 来たッ!!

 それは上から、超振動大刀の唐竹割りをブチ込みながら飛び降りてきた。すんでのところで避ける俺。避けそこねて重機関銃が真っ二つにされる。俺は息を呑み、全力跳躍で後退し、腿のポケットカルマンから短刀を抜き取る。

 装甲歩兵だ。俺と同じ。

 は手練れだ。俺と同型の装甲服、その特性を知り尽くした中腰の姿勢に、対装甲服戦特化の大刀装備。明らかにこんな事態を想定して待ち構えていた狩人オホートニク。短刀一本で戦えるだろうか? 迷いと躊躇いに支配され一歩も動けなくなった俺の方に、奴は半歩、また半歩、すり足で間合いを詰めてくる。

 やるしか――ない。

 俺は跳んだ。後ろではなく前へ。得物の長さは奴が上。半端な後退は餌食にしてくれと言うようなもの。ゆえに前へ出る。積極的に間合いを詰め、調子近距離戦に勝負をかける。

 一瞬、ふわ、と奴の腰が浮いた。楽しげに、まるで俺の行動を見て思わず笑みをこぼすかのように、奴は軽やかに跳ねて応戦に出た。畜生! 何が楽しいものか。俺が突き出す短刀の切っ先。奴が振り下ろす大刀の刃。ふたつの剣閃が交差するその一瞬、俺はとっさに刀を引いた。

 ここだ。狙いはここ。奴が大刀を振り切って姿勢を崩した隙に、俺は腕から単分子鋼線プロヴォローカを撃ち出す。奴の体に白銀色の超極細糸が絡みつき、装甲服の関節に食い込んで拘束する。無論装甲服の筋力なら引きちぎれようが、一瞬動きを封じることならできる。

 そしてその一瞬で充分。

 瞬転、短刀が走る。奴の喉首へと食らいつく。逃げられる間合いじゃないはずだ。

 が。

 俺の短刀が弾かれた。短刀! 奴も短刀を握ってる。いつの間に持ち替えたのか、大刀を手放して予備の短刀を抜いていたのだ。あれなら鋼線プロヴォローカの拘束の中でも比較的自由に振り回せる。やられた。奴は完全に読んでいた。俺の打つ手を。そして狙われた。俺が勝利を確信するを!

 ぎ!!

 と耳障りな高音が響き、俺の短刀が半ばで切り飛ばされた。奴はそのまま俺の装甲服の関節を狙って短刀の切っ先をねじ込んでくる。畜生。死ぬのか。なんでこんなことに。“月の党ルーンナャ・パルチヤ”だか“革命政府プラヴィテルストヴォ”だか知らないが、お偉方が月の高みで政治抗争に明け暮れる中、その実際的な戦いだけが、血と銃弾のやり取りだけが、地上に、俺たちに押し付けられる。ふざけんな畜生。なんで俺が死ななきゃならない。理想のためか? 未来のためか? そんなものはどうでもいい!! 俺はただ、今この瞬間を生きてる俺のちっぽけな、だがどうしようもなくいとおしい衝動のために、目の前の戦いに己を投じたかっただけなんだ。未来なんか考えたくない。理想も正義も知ったこっちゃない。そんなものは全部投げ捨て、俺は心の赴くままに、その場その場で一番心が躍る何かを切実に求めていただけだったのに!!

「クソァァーッ!!」

 手が動いた。勝手に動いた。俺の手は折れて飛んだ短刀の刃を空中で掴み取り、そのまま勢いに任せて前にいるへ突き立てた。同時に俺の脇腹へ超振動刃の火傷するような感触がねじ込まれてくる。俺は血を吐く。ヘルメットシレム内にぶち撒けた大量の吐血が、吸引器にみるみる吸われて消えていく。

 奴が、倒れた。

 無我夢中だった。俺は荒い息を吐きながら、呆然と立ち尽くし、俺により掛かるように崩れ込んだ強敵の後頭部に目を向けていた。俺の腹の中では奴の突き入れた超振動刃がいまだに低く唸っていたが、どうやら致命傷ではあっても即行動不能になるほどの傷ではないらしく、薬物注射が痛みを切り離してくれたおかげもあって動くぶんには支障がない。

 勝ったのか。いや……

 俺が身じろぎすると、の身体が横にずり落ちた。俺は奴の前に膝を突き、なんとなく、奴のヘルメットシレムを脱がせた。顔を見たかった。本気の殺し合いを演じた相手の顔を。

 超硬樹脂装甲の中から現れたのは……

 女の子、だった。

 たぶん15歳か16歳か……そのくらい若くて、すこし癖のある金髪が汗に湿って頬に貼り付いて、驚くほど愛らしく見える、そんな……そんな、ふつうの、女の子だったんだ。

「強かったな、革命闘士……」

 が俺を見上げて笑う。死にかけの身体で、信じられないほどに少女らしい、屈託なさで。

「俺は」

 俺は、

「違う」

 そうだ。違う。

「俺には理想なんかない。革命なんかどうでもいい。俺はただ戦ってただけだ。わけも分からず必死だっただけだ。

 あんたみたいなが! 敵だなんて知らなかった!」

「こっちもだよ」

 奴は血を吐き、かすかに、囁く。

「頼みがある……

 陣地に届けてくれ。最期は……仲間たちのそばで……死にたい……」



 俺はを抱き上げて、敵陣へ歩いていった。武器もない。超音速の攻め足もない。恐れる必要も、またその意味もない。堂々としてりゃいい。俺は胸を張り、その胸に彼女をしっかと抱いて、小枝のように軽い命の重みを萎えかけた腕で痛いほどに感じながら、悠々と死地へ進んでいった。

 撃つなら撃て。そう思っていたのに、どこからも弾は飛んでこなかった。なんでだろうな。たくさんの敵から照準されてる警報はうるさいくらいヘルメットシレム内で鳴り響いていたのに、実際撃つ奴は誰もいなかったらしい。一度などは装甲服を着た敵兵とすれ違いさえした。だが止められるどころか、誰何すいかされることさえなかった。

 俺は敵陣に入り、その真ん中で、彼女を寝かせた。

「連れてきた!! 仲間のもとで死にたいというから!!」

 俺の叫びに、周りを取り囲む敵兵たちが、たじろぎ、呻く。

「望みを叶えてやれ!! 叶えてやってくれ……頼む……」

 きびすを返し、歩み去る俺を、とがめる者は誰もいない。

 歩み、歩み、丘を、登り、いよいよ俺の生命維持装置にも赤色警告が点灯し始めて、俺は静かにひとりで笑う。なぜ笑ってるのか、何に笑ってるのか、本当に愉快で笑ってるのか、俺にはもう、分からない。

 丘を登りつめ、ふと夜天を見上げれば、満月が、憎らしいほど明るく輝いている。

 ……畜生。

 畜生。

「クッソァァァアアアア―――――ッ!!」

 俺は吠えた。

 他に何ができたというんだ。



 3日後、“パルチヤ”と“政府プラヴィテルストヴォ”が核で共に吹っ飛んだらしいと、人づてに聞いた。

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