第20話

 命は息も絶え絶えの中で、何かを伝えようとしていた。

 革は命の口元に耳を近づけた。


「エペ……ル、あら……たを、守れ……」


 その瞬間、命の体が跳び上がると、ゆっくりと目を開けた。


「みこと⁉︎ 大丈夫か?」

『儂はみことではない。エペルじゃよ。ちとみことの体、借りるぞ。――いてててて。肩がバッサリやられておって痛いのぅ』


 急に立ち上がりおかしな話し方で話す命に、ひわは驚いたが、先程からの殺意は変わらなかった。


「ちょっと、なんで殺さないのよ!」

「峰打ちだ。今のみことはまともな精神ではない。冷静でいられない方が負けて当然の事だ。そんな勝負、楽しくないからな」

「楽しさなんて、求めないでよばか! いいわ、私が先にあの子を殺してあげる」


 そう言って鶸はまた激しい歌を歌い始めた。

 命の父は耳栓をズボンのポケットから出し、それを耳に付けたので、歌の効果はない。

 先程は命を苦しめたというのに、今は苦しむ様子がなかった。


「どうして? どうして私の歌が効かないの!?」

『儂、悪魔界のドンじゃし、そんなチンケな歌で儂をどうにかできるとでも思うたか?』


 険悪な空気の中、教会のドアが開かれた。


「どなたですか⁉︎ 先生の教会に無断で入って騒いでいるのは! 速やかに出ていってください」


 駆けつけたのはマテリアと革の父であった。

 エペルはすかさず革を抱えながら教会の外へと飛んで行き、革の部屋へと向かっていった。

 それを追うように駆け足で教会を後にしようとする鶸と命の父を、革の父は呼び止めた。


「ひわ……それにみことちゃんのお父さんまで……どういう事?」

「先生、今奴らに近ずいては危険です。男性と思われる方が刀を持っています」

「ひわ、ねえひわ! ひわ!!」


 鶸も命の父も、それに対しては何も答えず、そのまま姿をくらました。


「――先生、話はあの二人から聞きましょう。さ、家に戻りましょう」

「――そうね」


 そのまま二人も、教会を後にした。


              ✝︎✝︎


 エペルは革の部屋の窓を割り中へと入った。


『ふぅ、追いかけてこんし、一安心じゃな』

「……」

『ほれ、なんか言わんかあらた。儂、お主の事助けてやったんじゃが?』


 放心状態の革に声をかけ、その顔覗くと、静かに涙を流していた。


『怖かったか?』

「みことを助けてくれて……ありがとう」

『この程度の傷で、死にはせんよ。――儂はお主を助けたんじゃけど』


 頭をぽりぽりと掻き、エペルは気恥しそうにした。


「お前……あの時、母さんとみことの父さん……殺せたのに、しなかったろ。それは、みことの願いを……叶えてやる為、なのか?」

『さぁて、なんの事やら。――おー痛い痛い。儂これ以上肩痛いの嫌じゃし、みことに体返そうかのぅ。ではな』


 そう言って目を閉じると、命の体は力なく床に崩れ落ちた。

 革は命の傷口に両手を当てると、治癒の力を使おうと念じる。が、革の右手首を、命は左手で弱々しく掴んだ。


「みこと?」

「――クソじじいに……負けた屈辱……覚えて、おく、為に……傷、残して」

「で、でも出血が酷いよ」

「お願い……だ」


 命は歯を食いしばり起き上がると、立膝を着いてその場に座った。

 革が命の顔を見つめると、痛みに耐えながらも、真剣な表情をしていることに気づいた。

 革は命にベッドに横になる様促し寝かせてから、部屋にある救急箱から消毒液とガーゼと包帯を取り出し、命の傷を手当した。

 そのまま二人は何を話すでもなく、無言の時間を過ごした。


              ✝︎✝︎


 いつの間にか眠ってしまっていた様で、革は割れた窓から入ってくる強風で目が覚めた。

 天気はどんよりとした曇り空で、まるで自分の気持ちの様だと思った。

 命はまだ寝ているのか、瞼が閉じられている。

 包帯を替えてやろうと、腕を動かすと同時に、命の声が革の耳に届いた。


「嫌いになったよな?」

「――えっ?」

「気持ち悪い、最低だって……思ったよな。――俺、あいつの娘だぜ?  嫌だろ。そんな奴と……これからも一緒とか、無理……だろ」

「みことの父さんの事は残念だったし、正直辛いよ。――父さんさ、母さんの事、ずっと信じて待ってんだよ。なのに、もう違う男と一緒とかさ」

「ごめんな……あらた」

「でもさ、それって、みことに関係ないだろ」

「えっ?」

「みことのせいじゃないし。――例えみことの父さんの事許せなくても、俺がみことを嫌いになる理由にはならない。みことから離れる理由にはならない」

「――あらた」

「みこと……俺の方こそごめんな。母さんが……っぐす、う、母さんが、お前ん家の父さん……うっ、みことこそ……俺の事、憎いんじゃないか?」


 命は泣き出す革を優しく抱きしめると、頭を撫でた。


「何があろうとも、俺があらたを……嫌いになる事も……憎む事もない。――愛してるよ、あらた」

「――みこと」


 そう話す命の体が震えている事に気づいた革は、自分も命を抱きしめてやり、頭を撫でてやった。


「ありがとう。――でもさ、辛い時は……命も、泣いていいんだよ」

「――ごめん、ごめん……あらた」


 二人はそのまま抱きしめ合いながら、静かに泣いた。

 ずっとずっと泣いた。


 やっと泣き止んだ頃には、雨が降り出していた。

 応急処置でダンボールとガムテープを取りに、革は下の階へと降りようと、部屋のドアを開けると、そこにはマテリアの姿があった。


「お二人とも……大丈夫ですか?」

「おう……なんとか」

「先生もずっと、難しい顔をしておられます。でも、お二人が話せる時で良いと仰っていました」

「大丈夫……みことと一緒なら、乗り越えられる」


 革はそう言って、微笑んだ。

 窓の応急処置を終えてから、革と命は下の階にあるリビングへと移動した。

 何があったのか、どうして鶸と命の父が居たのかという事を少しずつ、ありのまま革の父に二人は話した。

 膝に置いてある革の手が震えているのが分かると、命は革の手に自分の手を重ね、そして革に「大丈夫だよ」と伝えた。


「そんなことがあったのね……みことちゃん、ごめんなさい。――私、ひわがそんな事してたなんて、知りもしないで」

「あらたママの……せいじゃない。気、落とさないで」


 命にそう謝罪すると、革の父は次に革の顔を見た。


「ごめんなさい……あらたちゃん」

「なんでお前が謝るんだよ」

「ずっと言えなかったのよ、ひわが途中から育児放棄してた事」

「まああの時俺三歳だしな。ずっと、母さんは家事で忙しいと思ってたけど……俺の事嫌いだったから、俺と遊んでくれなかったんだよな」

「……」


 返す言葉が見つからない父に、革はその場で微笑んだ。


「でもさ、お前は俺の事いつだって……愛してくれてただろ? 嬉しかった。――育ててくれて、ありがとう」


 革の父はそのまま革を抱きしめながら泣いた。

 いつもならばそこで悪態をつく革だが、今回は静かに抱きしめられていた。


「なんか、俺のクソばばあと……幸せになりたいらしくて……それが、叶わなかったから……めちゃくちゃにしてやったって。クソもクソだな……クソクソだな」

「あなたねぇ……一応先生の奥様なのですよ? そんな失礼な事言って良いのですか」

「――それより思ったんだけどさ、母さんと命の母さんって、会わせられないのかな」


 革の急な提案に驚く三人だったが、命はそこで賛同意見を出した。


「いいんじゃね? 今どっちも夫、居ないんだし……思い告げて、結婚でもなんでもしちまえば……万事解決じゃね?」

「一応私、ひわの夫なのだけれど」

「でも母さんの願い、叶えてやりたいだろ?」


 叶うとわかった話でもないのに叶った様な話になっていたが、革の父はうーんと悩んでから口を開いた


「うん……そうね。ひわには、幸せになって欲しい」

「問題はみことの母さんが、俺の母さん好きかなんだよなあ」


 うーんと悩んでいると、みことの中からエペルが出てきた。


「うわっ! クソ悪魔。どうした?」

『みもりはのぅ、ひわの事好きだったぞ』

「姉様……好きだったとは、どういう?」

「エペル……クソばばあの事、知ってるの?」

『知ってるも何も、みことより一個前の契約者はみもりじゃよ』

「えっ……」

「マジかよ」


 驚きを隠せない革と命を他所に、エペルは話を進めていく。


『ひわはみもりが好きじゃた。みもりもひわが好きじゃった……だがのぅ、儂がその意識食べちゃってのぅ。次の日にみもりは剣術の学び舎で、今の旦那に一目惚れをし、結婚したという訳じゃな』

「俺の母さん狂わせたのお前が原因かよ! やっぱりクソ悪魔だな!!」

『儂特にみもりと仲良うなかったし。どんな意識は食うなとかも言われてなかったし。とりあえず強くなる力が欲しいと言われ、刀と儂の力を貸しておっただけ。結婚が決まってからは契約をすぐさまやめ、家庭に入ってしまったなあ』

「それで俺が……物置で見つけたのか」

『そうじゃよ。ふぁーあ、そろそろ寝るかの。おやすみ』


 エペルはみことの中へとすっと戻って行った。

 エペルが喰らってしまったのならば、会わせた所で鶸の願いは叶わないだろう。


「めんどくせーなー。勝手に幸せになれよな」

「俺……母さんに幸せになって欲しいな」


 革は心配そうな顔で命にそう言った。


「あらたは優しいな……今度見つけたら……とっ捕まえて、うちのクソばばあと、キスでもさせてやろうか」

「そ、それは急すぎなんじゃ……」


 内容が内容なだけに重い雰囲気になると思っていたが、案外二人は大丈夫そうだと革の父は安堵していた。

 二人が一緒だからこそ、乗り越えられたのだろうと思っていた。


「二人とも、話してくれてありがとう。私も、もし会えたのなら、話をしてみるわ」

「急にキレてくるから……気おつけて」


 話が終わると、革の震えていた手はもう震えていなかった。

 だが、命は革の手を握ったままだった。

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