第19話

 やけに速く脈打つ心臓をどうにか鎮めようと、革は教会のドアに手をかけながら深呼吸をした。そして横にいる命の顔を見た。


「――あらた? 大丈夫?」


 そんな革の様子に、命は心配し、革の顔を覗き込んだ。

 目と目が合い、革の緊張もどんどんと解けて行った。


「みことが居てくれれば、俺は大丈夫。行こう!」


 意を決して教会のドアを開け、中へと入った。

 パイプオルガンは一瞬その音を止めたが、直ぐに先程と変わらず曲を奏でた。聖堂の真ん中辺りまで来た二人は、椅子に座りパイプオルガンを弾いている人物へと視線を向けた。

 ステンドグラス越しの月明かりが、その人物を照らした。


「――母さん?」


 革の口から出た言葉は、とても驚いた様子の声色だった。

 無理もないだろう。革の母は、革が幼い頃に失踪してしまってからは何の連絡も取れず、それからは一度も会っていないのだから。

 革の言葉に、その女性は指を止める。


「久しぶりね、あらたちゃん」


 革の母は鍵盤から視線を外し、革と命の方へと顔を向けた。

 革の母はひわと言う。鶸色の長髪に、空色の中に真珠を散りばめたような、煌びやか目を持っている。

 革は聞きたいことが山の様にあったが、それを一つも声に出来ず、ただただ喜びで胸がいっぱいになっていた。

 命は革の母の顔など、とうの昔に忘れてしまった為、よく分からないといった様子だ。


「母さん!」


 革はそう言うと、鶸の元へと駆け寄るが、鶸はそれに対して後退りをし、声を荒らげた。


「来ないで!!」


 肩が跳ねてしまうほどに革は驚き、その場で制止した。

 鶸は革と命を交互に見た後、革に対して鋭い視線を向けた。


「随分大きくなったというのに、二人はまだ一緒にいるの?」


 その問いに対して、革は意味がよく分からなかったが、ゆっくりと答えた。


「そうだよ。みこととはあれからも親友だよ。――あ、急にこんな事言われても、信じられないかもしれないけど、俺達、結婚もしてるんだ」


 その言葉に、鶸は酷く苛立ち、パイプオルガンの鍵盤を力いっぱい片手で叩いた。

 急に大きな音が出て、革も命も目を見開いて驚いた。


「ふざけんじゃないわよ!! どうして……どうしてあんた達だけ」

「母……さん? どうしたんだよ。何怒ってるんだ?」

「私は……私は何も手に入れられなかったのに……」


 鶸はその場に崩れ落ち、急に怒ったかと思えば、今度は急に泣き出した。

 話の見えない二人は、鶸を見る事しか出来なかった。

 しばらく泣いた後、一言こう言った。


「みもり……」


 美命みもり、それは命の母の名だった。

 命はその言葉が出た瞬間急に顔をしかめ、鶸の事を睨んだ。


「クソばばあが、どうかしたのか?」

「私……みもりが……好きだった。――愛していた」


 そして、鶸の昔話が始まった。


              ✝︎✝︎


 鶸は湖に住むセイレーンであった。

 いつもその素晴らしい声で歌を奏で、人々を惑わし、楽しんでいた。

 ある日、そこに剣術の鍛錬をしに美命がやって来た。

 美命は剣術家庭の生まれで、実力が乏しく、親に毎日の様に怒られていたが、最近は悪魔の宿った刀を手に入れ、親も満足する程の成果を上げていた。

 刀を握ったままその歌を聴いていた美命には、悪魔のおかげなのか、セイレーンである鶸の歌の効果がなかった。


「素敵な歌声ね」


 美命は鶸にそう声をかけた。


「何故苦しくないの?」


 鶸は美命にそう問いかけた。


「苦しい? そんなはずないわ。だってあなたの歌、素敵だもの」


 屈託のない笑みを浮かべる美命に、鶸は恋をした。


 それから鶸は、美命と友達になった。

 毎日の様に美命は剣術の鍛錬を終えると、そのまま鶸の元へと行き、鶸の歌を聴き「素敵ね」と笑う。そして他愛のない話をして帰っていく。

 はじめてだった。

 まともに誰かと話をしたのは。

 それから鶸は、美命のおかげで人を苦しめる歌ではなく、人を楽しませる歌を歌うようになった。


 ある日、鶸は意を決して美命に告白をしようとした。

(今日、美命がこの湖に来たら、私の気持ちを歌と一緒に伝えよう)

 だか、その日、何故だか美命は来なかった。

 冷たい雨の日だった。


 次の日、美命は幸せそうな顔で鶸の元へとやってきた。


「昨日はどうしたの?」


 鶸が聞けば、美命は頬を赤らめてゆっくりと口を開いた。


「昨日は来れずにごめんなさい。――ひわ、私ね、結婚する事になったの」


 静寂の中、水面が揺れる音だけが響く。

 その場で泣き崩れる鶸の肩を抱きなだめる美命だったが、鶸はその手を拒む。


「ごめんなさいみもり、私今日はもう帰る。――おめでとう」


 そして鶸は湖の底へと消えていった。

 このまま本当にこの世から消えられたら、どれだけ良いかと鶸は思っていた。

 それから鶸は、美命の前に現れなくなった。


 しばらく経ったある日、鶸は自分も真っ当な道を選び、誰かと家庭を持ち、子を持てば、この胸の傷が紛らわせられるのではないかと思った。

 身寄りのない自分は教会へと身を寄せた。

 そこで、革の父と出会った。

 そして結婚し、子供を授かった。

 だが、生まれてきた我が子の顔を見ても、胸の傷は癒えなかった。

「何故私はみもりと結ばれず、こんな愛してもいないやつとの子を生んだのだろう。気持ち悪い」と子供を嫌った。

 教会の目の前に美命達が引っ越してきてしまい、また美命と会い、会話をしてしまった鶸は、気持ちを抑えられなくなった。


 しばらくして、鶸は失踪した。

「どうすれば私に目を向けてくれるの?」

 そう考えた鶸は、美命の旦那に目をつけた。

「歌で私に惚れさせてしまおう。美命から旦那を奪い、後は私にしか頼れない状況を作ってしまえば、美命は私を求めるでしょう」

 美命の旦那を呼び出し、歌で洗脳してやれば、美命の旦那は直ぐに鶸に惚れた。

 だが、子供が大きくなるまでは家庭に居たいと言い始めたので、それを聞いてやる事にした。


 下の娘が十八になった頃、美命の旦那は失踪し、鶸と一緒に来る事を選んだ。

 それから、美命は精神を壊し、来る日も来る日も旦那を求めた。

 こんなはずではなかった。

(なんで私を求めてくれないの?)


              ✝︎✝︎

 革と命は言葉を失った。

 鶸は泣きながら話を進めた。


「みもりと私は結ばれなかったのに……なんであんた達は結ばれるのよ? そんなの……そんなの認めない!!」


 すると鶸は激しい歌を歌い始めた。

 その音色に命は苦しみ、その場にうずくまる。

 革は自分の中にもセイレーンの血が混ざっている事で、鶸の歌の効果はないようだった。


「みこと!? みこと、大丈夫か? やめて……やめてよ母さん!」


 革は鶸へと駆け寄ると、鶸は革の右頬を力いっぱい引っ叩いた。


「かっ……母……さん」

「気持ち悪い。近寄るんじゃないわよ! あんたの事なんてね、私はどうだっていいの。可愛くないのよ。嫌いなのよ……あんた達だけ幸せなんて許せない! 死んでちょうだい!」


 鶸は懐からナイフを取り出し、革に向けて振りかざすと、その刃を命の刀が受け止めた。


「なっ!?」

「こんのっ……クソばばあぁ!!」


 命が刀を振り抜くと、鶸はその風圧に押され、その場に倒れ込んだ。


「てめぇ……あらたに何してんだ! クソみたいなてめぇに会えて、あらたは喜んでたのに。――気持ち踏み躙って、痛い思いまでさせやがって」


 いつもの命からは想像も出来ない程に、怒りを露わにしていた。

 鶸がふらふらと立ち上がると、教会のドアが開く。

 三人の視線は一斉にドアの方へ集中した。

 そこに立っていたのは、葡萄色えびいろの長髪をなびかせた、男性の姿だった。


「――父……さん」


 命は目を見開き、その男性を見た。

 目の前にいる男性こそ、自分が十八歳の時に失踪した父だった。


「みこと……久しぶりだな」


 そう言ってゆっくりと三人の元へと歩み寄り、鶸の近くへ寄ると、そこで足を止めた。


「大丈夫か、ひわ」

「ええ、平気よ。来るのが遅いじゃない」

「いい月明かりだったからね。少し辺りを散歩してたんだ」


 命の父は呑気にそんな話をしているが、命は下唇を噛み、何とか涙を抑えようと必死だったが、それは叶わなかった。

 目から大粒の涙がこぼれていった。


「んでだよ……なんでだよ!!」


 大きな声を出し、父に問いかける。


「私はひわが好きなんだ。みもりは、もう好きじゃない」

「俺はさ……クソばばあが嫌いだよ。だって、いつも勝手で、俺の事なんて、何一つとして分かっちゃくれない。馬鹿野郎だよ。――でもさ、父さんの事を……愛してるのは分かるんだよ。だからさ、俺の知らない所で、二人で幸せになってくれよって……ずっと思ってた」

「――みこと」

「一人の奴を、死ぬまで愛せないならば、結婚などするな! 絶対に俺は、てめぇらを許さない!!」


 命はそのまま鶸と父に対して刃を振りかざした。

 その時だった。


「ダメだ! 殺したら、殺したらダメだ! みこと!!」


 革の声が耳に入った瞬間、命はその手を止めた。

 命の動きが止まったのを見て、革は命の傍へと駆け寄ろうとしたが、目の前は血飛沫で染った。

 命の父が、刀で命の肩を切り裂いたのだ。

 命はゆっくりと宙を舞い、その場に倒れ込む。


「みこと……みこと!!」


 革は命の体を抱きながら、何度も名前を呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る