第15話

 命と悪魔の関係を詳しく知れる機会なのではないかと思ったヒサは、エペルに聞いた。


「お前とみことの契約は、以前みことから少し聞いたが、話してくれないか?」

『良いぞ』


 それからエペルは、命との契約内容を話し始めた。

 エペルは命に刀と炎の力を貸す代わりに、命の意識を貰っているのだと言う。

 契約している限り、命は刀を好きな時に呼び出すことが出来、簡単な技ならばそこまで意識を提供しなくても、好きに炎の力を使う事もできる。

 だが、エペルの力を使う際には、自分も悪魔になってしまうと言う。命が技を使う際、眼が赤くなり、結膜も黒く染まってしまうのはその為だ。


「――そうか。話してくれて感謝する」

『良い良い。――ついでじゃし、昔話もしてやろうか?』


 エペルは久しぶりに誰かと話せたのが嬉しいのか、機嫌が良かった。


 エペルは負の感情と意識を喰らう悪魔だ。

 契約する前は刀の中におり、それを使おうとする人に取り憑き、契約を持ちかけ、その人を利用する。

 凄まじい力を与え、その人を助けるが、本当の狙いはその力に溺れた者が、悪意で人を傷つける事。

 それを幾度も幾度も重ねては、力をつけ、今では悪魔界に城を構える程の最上級悪魔の地位を手に入れている。

 ヒサは以前書類でエペルの名前を見た事があった。

 だがそれは何百年も前の内容で、まだヒサが生まれていない時の目撃情報だった。


『儂をどうにかしよう等と、安易に考えぬ方が良いぞ。今儂はみことが倒れてくれている故、奴の体を乗っ取り、盾にする事も可能じゃからのぅ』


 どうするのが得策かと悩むヒサに対して、エペルは鋭い指摘をする。ヒサはそれに対し、疑問をぶつけた。


「では……何故私達に害を成さない?」

『お主には何かしても良いが、あらたには何もできないのじゃよ。みこととの約束が足枷になっておるからのぅ』


 やれやれといった様子を見せてから、エペルは革の方へ視線を向けた。


「なんだよクソ悪魔」

『儂はみことに言われた事がある「あらたが最優先だ。あらたが絶対だ。――そして、俺の意識や体全て犠牲にしてでも、あらたを守れ」と。――めんどうじゃが、契約者からの大切な願いは聞いてやらんと、契約破棄になりかねぬ故、あらたには手出し出来ないのじゃ』


 目を細め、倒れている命をエペルは見つめた。


「悪魔にとって、人はそこまで価値のあるものでは無いだろう」

『まあそうじゃのぅ、代わりはいくらでもいる。じゃが……強いて言うなら、こいつは今までの人間とは違うし、つい可愛がってしまう。――それに、願いも狂っておる』

「狂っている?」

『そうじゃ。普通、人間とは己の為に他者をおとしめたがる。そんな奴らが儂の力を望んだり、使ったりするが、みことは違う。――みことは、あらたの為に儂と契約したんじゃからのぅ』


 衝撃的な事実を聞かされた革は目を丸くし、言葉を失った。ヒサも言葉につまり、その場にはまた沈黙が流れた。

 そこからエペルの昔話が始まった。


              ✝︎✝︎


 十歳のある日、ふと命は家に帰りたくないと考えた。

 庭にちょうどいい大きめの物置があった為、命はそこで静かに一夜を過ごそうと考え、物置の奥へと入った。

 足で何か固いものを踏みつけた事に気づき、視線を下へと向けると、そこには天使の翼モチーフの鍔が付いた刀があった。

 剣術スクールの為に買ってもらった刀よりも、こちらの方がかっこいいと思った命は、すぐ様刀を手に取った。


 それが、エペルと命の出会いであった。


『なんじゃ? 久しぶりに誰か儂の刀を握りおったなぁ。――みもりか?』

「俺はみもりじゃない。俺はみこと。君は……誰?」

『そうか……みことと言うのか。儂はこの刀に取り憑く悪魔、エペルじゃよ。――この刀を使いたいか?』


 命は喋る刀に目を丸くしたが、直ぐにいつもの調子に戻ると、普通にエペルの存在を認め、話を続けた。


「うん、この刀使いたい。だって、父さんに買って貰ったやつより、かっこいいし」

『そんな理由で使いたいとは、さすが子供じゃのぅ。かっこいいだけでも良いが、儂と契約すればお主は直ぐ、天界人一の強さを誇れるぞ。なんせ儂は、悪魔界のドンじゃからのぅ』


 「天界人一の強さ」と聞いた途端に、命の顔つきが真面目なものへと変わった。

 それを見逃さなかったエペルは「これはチャンス」だと思い話を聞いてみる事にした。


『ほぅ……お主、強くなりたい様に見えるが、何か困っておるのか? 儂なら、お主の力になれるぞ』

「――俺は、天界の誰よりも強くなって、あらたを守りたい。その為ならば、なんだってする」


 エペルは少しの間驚いたが、直ぐにそれは喜びへと変わった。「この子供は簡単に利用出来そうだ」そう思ったからだ。


『そうかそうか。ならば、儂と契約して、力を使うが良い。邪魔者は全て……儂が一緒に消してやろう』

「契約……そう言えば、俺は君に何を差し出すんだ?」


 馬鹿そうな割にはちゃんと話を聞いていたのだと、エペルは感心した。


『儂はお前にこの刀と炎の力を貸してやろう。じゃがその代わり、お前の意識を貰う』

「意識……それってつまり、俺はもうめんどくさい事で悩まなくていいって事!?」


 命は爛々と目を輝かせさせると、身を乗り出した。

 何がそんなに嬉しいのか分からないエペルは、不思議に思い聞いた。


『儂が言うのもアレじゃが、意識が無くなるという事は、儂が貰った意識分の記憶が、全てお主から無くなる事を意味する。覚えていたくても覚えておけない事や、周りとの差に、困るのではないか?』

「俺は……めんどくさい事が嫌いだ。どうにもならない事とか、どうでもいい事を、毎日毎日無駄に悩むのが苦しい。だから、俺は余計な意識が嫌いだ。楽になりたい。――時間をあらたの為だけに使って、あらたの為だけに生きる俺になりたい」


 そう話す命は楽しそうだった。

 対してその気持ちが微塵も理解できないエペルは、更に質問を投げかけた。


『お主、自分の為ではなく、儂の力をそのあらたとやらの為に使おうとして、後悔はないのか?』

「そんなもの、微塵もない」

『例え、あらたとやらの為にやったその行いが、善であろうが、悪であろうが、守れたらそれで良いと?』

 「うん。――善も悪も関係ない。俺は常に、俺の心に正直である。――あらたが、俺の全てな事に変わりは無い」


 エペルはその会話でやっと分かった。

 この子供は狂っていると。


『お主、その年齢でそんな思想を持っているとは……狂っておるなぁ』

 「あらたを守る事に、善も悪も知ったことかよ。――そんな事気にしてたら、いざと言う時に守れない。――あらたを何があっても守る事が、

『ふははは! 面白い子供も居たもんじゃのぅ。――さて、みこと。最後に問うが、悪魔と契約するという事は禁じられておる。天界人が悪魔と契約すれば、その翼はたちまち黒く染まり、お前はこの天界で生きにくくなるであろう。――それでも、儂と契約するか?』

「ああ、契約する」


              ✝︎✝︎


 エペルは楽しそうに昔話を終え、革の顔を見た。

 革は下唇を噛み、涙を堪えている様だった。


『みことは快く、契約を了承してくれたぞ』

「みこと……馬鹿野郎。――辛いだろうに」


 革は命が話して来ない事はあまり知らない。

 命が話せる事を話してくれれば、それで良いと思っていた。

 だが、今回の話を聞いて、とても悔しい気持ちになったと同時に、少し寂しい気持ちにもなった。命の事を分かってない自分が居る事に、苛立ちさえ覚えていた。

 エペルは革の発言をあまり快く思わなかったのか、目を逸らし、少し真面目な声で話す。


『辛い……本当にそう思うか?』

「えっ?」

『みことにとっての辛い事……お主は分かっていないのでは無いのか? お主はみことにとっての救世主なのじゃ。――辛いなんて、言ってやるな』


 真面目な空気が苦手なのか、そう言い終わるとエペルは直ぐに表情を変え、舌を出しウィンクをした。


『なーんちゃって! ふはは』


 少しの沈黙の後、ヒサはエペルに問いかけた。


「みことは……いつ目を覚ますのだ?」

『そうじゃのー、儂が割と意識を喰らったから、色々忘れたりもして、大変なんじゃろうな。まぁ、疲れもあったのだろうし、一週間くらい経ったら、自ずと目を覚ますのではないか? このまま眠っていられた方が、みことは幸せなのになぁ』


 直ぐには起きないという事に、ヒサは驚きが隠せない。

 革はまあまあ慣れている様で受け止めてはいるものの、ずっとエペルの事を睨み続けた。


『儂も沢山話してつかれたのじゃ。ではな』


 一方的に会話を終わらせ、すっと命の体の中へとエペルは入っていき、姿を消した。

              ✝︎✝︎


 金曜日の朝、革と命の家に来客がやって来た。

 命の男友達であるみやび成真ななおだ。

 あの日の夜、革は輝響なびき、雅、成真に電話をして事の成り行きを説明した。

 革にも仕事がある為、いくら命が倒れたからと言って仕事を休むわけにはいかない。

 三人は以前にも命が目を覚まさない際、相談を受けていたので「命の面倒を空いた時間に見てくれ」と言う革の願いを、快く了承した。

 それに伴い、今日は仕事が休みであった二人が来てくれたというわけだ。


「おはよーあらた。みことは? 起きた?」

「――いや、まだ……起きない」


 目にいっぱいの涙を浮かべながら、泣くのを必死に堪える革を見た雅と成真は、革から目を逸らした。

 いつも悪態ばかり着く革が、泣きながら電話してきた時は何かと思ったが、そんな状態でもおかしくはないだろう。

 あの日から、革はあまり眠れていなかった。目の下のクマが目立ち、顔色も悪い。


「今日も仕事だよね? 大丈夫。今日は俺達がみことの事見てるから」

「おう」

「あらた、心配なのもわかるけど、あらたもちゃんと休まなきゃダメだよ? みことが起きた時、ちゃんとしてなきゃ、みこと心配するよ」

「おう」


 午前八時半、革は家を後にし、仕事へ行った。

 一階にある二人の寝室に、命は目も口も閉じたまま横になっている。

 体を拭いてやったのか、タオルとぬるま湯が入った桶がサイドテーブルに置いてあったので、雅がリビングへとそれを持って行った。

 成真は眠っている命の顔を覗き込み、そのまま右手で頬に触れた。


「おはようみこと。あらたちゃんは仕事行ったよ。今日は俺、バイト休みなんだ。みやびも来てるよ」


 話しかけども、返事は返ってこない。

 雅がリビングから寝室へと帰ってきた。

 ドアが閉まる音だけが、静まり返った部屋に響いた。


「みことー、僕が来たよー、眠ってないで一緒に鍛錬でもゲームでもしようよー。――別に何もしなくても良いけどさ、話くらい……しようよ」


 みやびが話しかけども、命から返事はない。

 春の暖かな陽気と、華やかな草花で外は彩られていると言うのに、この部屋はそんな季節には似合わない時間が流れていた。

 時が止まってしまったのではないかと二人は思うも、部屋の時計は正確に時を刻んで行った。


              ✝︎✝︎


 午後十八時半頃、革が輝響を連れて家に帰ってきた。

 命が倒れた次の日から、輝響も仕事終わりに毎日様子を見に来てくれていた。

 革と輝響は直ぐに寝室へと赴き、命の様子を雅と成真に聞いた。

 特に何も変わりは無い事に落胆しながら、革は命の頭を撫でた。


「みこと、ただいま。――なんか、俺も疲れてんのかな。周りが男だらけなのに、怒る気にもなれないや」

「みこと、なびきだよー」


 いつも笑顔を絶やさない輝響ですら、上手く笑えない。


 その場にいる命を除いた四人は特に何も話す事無く、命を見つめた。

 革は命の傍に寄り、右手で頭を撫で、左手で命の手を握ってやっているが、目にはいっぱいの涙を浮かべている。今にも目からがこぼれ落ちてしまいそうだ。


「――みこと」


 革の目から大粒の涙が落ちたその時だった。

 革の手を、命が握り返したのだ。

 閉じられていた瞼が、ゆっくりと開いて行く。


「――あ……た。――あ、ら……」

「みこと!?」


 命の声と革の反応に、男友達三人はすぐ様その場で立ち上がり、命の傍へと寄った。そして口々に命の名を呼んでいった。


「みこと!? わかる?」

「みこと! みこと!」

「みこと!」

「あら……た。――なび……き。――みや……び。――なな……お」


 皆の顔をそれぞれ確認してから、命は薄く微笑んだ。

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