第13話

 ある日曜の午前十一時、革はリビングの掃除をしていた。

 十時頃、命に「そろそろ起きなよ」と声をかけてから一時間は経っていると言うのに、命は起きてこない。休日なので好きなだけ寝かせたら良いとも思っていたが、今日はそうもいかない日だ。

 リビングの掃除を終え、掃除機の電源を落とすと、革はもう一度命を起こしに寝室へと向かった。


「みことー、今日かなめさん来るんだからそろそろ起きなきゃ」

「んー……うーん」

「一時間前にも声かけたよね? 起きなー」


 そんな会話をしているうちに、インターホンが鳴った。

 革は少し駆け足で玄関へと向かい、ドアについている小窓を覗いてから、ドアを開けた。


「あらたちゃん、こんちには」

「お久しぶりですかなめさん! どうぞ」


 来客は命の兄であるかなめであった。

 要をリビングまで通すと、革はソファへ座る様促し、紅茶の準備を始めた。給湯器のお湯を沸かしている間に、アールグレイの茶葉を、茶漉し器の中ににセットし、ポットの中に入れた。

 そろそろお湯が沸きそうな頃合いで、リビングに命がやって来た。


「あー、あにぃだー。おはよう。――今日も俺は、顔がいいぜ」

「みこと、おはよう……って! その格好で寝てたの⁉︎」


 命は黒いワイシャツを羽織り、中はブラジャーとショーツしか身につけていないという、何とも風邪をひきそうな格好でリビングまでやってきた。

 まさかと思った革が給湯器から目を離し、キッチンからリビングへと赴くと、先程まで寝ていた格好のままで、命が起きてきたのだという事に気づいた。


「みこと! なんでボタン閉めてズボンはかないの!」

「えー? 別に、良いじゃん……休みだし」


 特に悪びれる事もなく、命はそのままの格好で要の隣に座った。

 要は命の方を向くとワイシャツのボタンを閉めてやり、そしてソファの上にあったブランケットを命の膝にかけてやった。


「暖かくなってきたからって、薄着で寝たらダメ」

「めんどい」

「ごめんなさいかなめさん、びっくりさせちゃって。ほら、みことズボン持ってきたからはいて」

「はぁーい」


 命はいそいそとズボンをはいてから、元の場所へと座り直した。

 革はキッチンへと戻ると、お湯をポットへと淹れ、ポットとティーカップとソーサーをトレーに乗せ、要の元へと運んだ。

 一度キッチンへと戻り、自分と命の分の飲み物を用意する。冷蔵庫の中にあった冷たい緑茶をグラスに注ぎ、右手には自分の分、左手には命の分を持ってリビングまで運び、命の隣に座った。

 要がお土産に持ってきた抹茶ケーキを食べていると、命が要に話しかけた。


「今日は……暇なの?」

「今日母さんが精神科デイケアの日だから、まあまあ時間あるんだ」

「みもりさん、体調はどうですか?」

「うん、良い日が最近は多いよ」

「それは良かったです」


 美命みもりとは命と要の母親である。

 美命は精神病を患っており、今は要と二人で暮らしている。

 命が十八歳の頃、突然父は失踪してしまい、それを理由に、母の美命は精神が壊れてしまった。

 それからは元々しっかりしていた要が家の事は全てやっている。今も基本的には要が家の事をしているが、以前よりは美命の体調の良い日が続き、家事もやるようになっていると要は話した。

 革はそれについてにこやかに返事をするが、命は特に何も興味を示さなかった。


「みことの話も、母さん前よりするようになったよ。その……たまにはうちに帰ってきてさ、母さんにも、会う?」

「会わない。――クソばばあに会う時間があるなら、鍛錬する」

「そ、そっか」


 命は美命の事が嫌いだ。

「いつもクソばばあは自分勝手だ」と、命は言う。


 命がまだ幼い頃、自分の性別に悩んでいた時、美命は命を大層かわいい娘だと思い、かわいい服ばかりを与えた。

 ――みことちゃんはかわいい女の子なの! ほら、この服着てみて? みことちゃんにとっても似合うと思うわ。

 そう言って毎回着せようとした。

 命はそれに嫌気がさし、何故かと悩み抜いた後「自分は女らしいものが嫌いだ」ということに気づき「女らしいは嫌だ」と美命に伝えても、それをやめてはくれなかった。


 命が剣術の鍛錬を始めた頃、美命は何度も命に同じ話をした。

 ――みことちゃん、花の盛りって知ってる? その時女の子はね、素敵な男の人に見初みそめられたりして、恋愛して、それから上手くいけば結婚とかしちゃうの。それって、女冥利に尽きる。

 命はそれに対して「花の盛りが惜しいのか? 安心しろよ……俺が花だとしたら、いつも満開だ」とだけ答えると、鍛錬に集中した。

 それから来る日も来る日も、美命から同じような事を言われたが、命は何も答えず、美命を無視した。


 父が失踪し、精神が壊れてしまった美命は、命にその辛さをぶつけた。

 命が父に似ていたからだ。

 ――みことちゃんはここに居るのに……何故あの人は居ないの? みことちゃんが居なくなれば良かったのに!! 私の理想の娘は、こんなはずじゃなかった!!

 怒鳴り散らしては泣き叫ぶ事が毎日の様に続いた。

 命は何も言い返さなかった。

 だが日に日に美命の行動はエスカレートし、ある日命は美命に怒鳴り散らされた後頬を叩かれた。

 命はうるさいのが大層苦手だが、それを来る日も来る日も耐え、無視してきた。だが、それも毎日の様に繰り返され、更には暴力を振るわれたことにより耐えられなくなってしまった。

 ――うるせぇんだよこのクソばばあ!! 毎日毎日、無いものを求める馬鹿女!!

 そう言って、命は殴り返した。

 この日から命は、美命と会わなくなった。


 要がこの事を革の父に話し、頼み込み、命は革の家に住まわせてもらう事になった。

 命は十八の途中から、滅多に自分家には帰らなくなったのだ。


「あにぃの為なら……たまには、家に帰ってもいい。――でも、クソばばあには、会わないから」

「分かった。たまには俺も、みことの面倒見たいからね、帰ってきてね」


 美命が寝ている時や、病院やデイケアに行ってる間ならば、命は家に帰ってもいいと思っている。

 現に美神の補佐面接前日は準備を要に手伝ってもらいたくて、家に帰っていた。

 要と命は仲がいい。

 幼い頃から要は命を助け、命は要の力になってきた。

 命が美命と話したくない時には、要が美命の気を引いたり、剣術の才能がなく「男のくせに情けない」と父に叱られる要を見て「俺が、かなめの分も強くなる」と、命が父に物申したり等様々だ。

 性格も正反対という程違い、性別も反対なのではないかという見た目をしている。

 幼い頃は要がお姉ちゃんで、命が弟くんと言われたりしていた。


「とにかく、かなめさんも、みもりさんも、健康そうで何よりです」

「あらたちゃん。ありがとう」


 要は革に向かって穏やかな笑みを浮かべそう言うと、革は嬉しそうに微笑んだ。


「いやー、それにしてもほんとかなめさんって美人ですよね! はぁー……女だったらなぁ」


 何故男嫌いの革が、要に対してこんなにも丁寧な対応が出来るのかと言えば、要が男とは思えぬ美人だからだ。

 タレ目気味で瞳が大きく、華奢で黒髪ロング故、よく女性と間違われる。


「えっ!? そ、そんな残念がらないであらたちゃん」

「あらた……ウケる」


 様々な話を一通りした後、要は「あ!」となにか思い出した様に声を出し、カバンから白い長方形の封筒を取り出した。


「そうそう。はい、あらたちゃん。あらたちゃんのお父さんからお手紙預かったよ」

「えっ!? わざわざ届けて下さりありがとうございます。――なんだよあのババア」


 小声で父への悪態をつくと、革は封を開けて手紙を目で読み始めた。

 【あらたちゃん、みことちゃんへ

 二人共元気で仲良くやってるかしら? お母さんは今日も元気よ。

 二人の活躍や破天荒ぶりは、新聞やニュースで時々目にするわ。ヒサ様に失礼な事、ご迷惑をおかけするのも程々にね。

 さて、本題に入るわね。

 最近私の教会に新しいシスターさんが入ったの! 何年ぶりかしら。ずっと私一人でこの教会を守り、祈ってきたから、新しい子が入るのは嬉しかったし、少し不安もあったけれど、今は一人の時よりも楽しいわ。

 今度紹介もしたいし、二人にも会いたいから一度帰ってらっしゃい。

 最後になるけれど、無理せず、体調に気おつけて頑張りなさい! お母さんはいつも、二人の無事や幸福を祈っているわ。お母さんより】


「新しいシスター!? あのババアの元によく入ったな」

「へぇー、あらたママ……元気なんだ。良かった」


 横から一緒に読んでいた命が薄く微笑みながらそう言った。


「あらたのママ……いい人だよね」

「そうか? うるせーババアだよ」

「いつも優しくて明るいし、俺も元気貰ってるよ」

「そ、そうですか? かなめさんに褒められるなんて……ババアに今度伝えておきます」


 革は気恥しそうな顔をしたが、右人差し指で頬をかきながら「えへへ」と笑った。

 革は父が好きだ。

 革がまだ幼い頃、母は失踪してしまった。

 それからずっと寂しくないように、父は女装し、母のかわりもやっていた。時に優しく、時に厳しく革を一人で育てて来た。

 革はそれに対して反発などもして来たが、決して寂しい思いも、自分の気持ちに嘘をつく事もなく、のびのびと育ってきた。

 周りからは「おかしな父親」や「お母さん居なくてかわいそう」等と言われてきたが、革は一度もそう思った事はない。

 照れ屋故に悪態をすぐつくが、革は父を尊敬し、大変感謝もしているのだ。


「母さん今日十五時までだから、そろそろ迎えに行くよ」

「かなめさん、今日は来て下さりありがとうございました!」

「いえいえ。こちらこそ楽しかった! ありがとね」

「あにぃ……はいこれ」


 命はリビングに置いてあるローテーブルの上にあった封筒を要に手渡した。

 要は中身を確認すると、十五万円が入っていた。


「今月分の金」

「毎月ありがとうみこと。ちゃんと自分の為にも使うんだよ?」

「俺欲しい物……あんまないから」


 美命は病気で働けず、要も母の面倒を見ている事が多くあまり長時間働けない為、命はいつも自分の給料の半分程は要に渡している。

 要は立ち上がり命に一礼すると、柔らかい笑顔を向けた。それに対して気恥ずかしくなったのか、命は視線を外し、後ろを向いた。


「ではまた来てくださいね!」

「うん、また来るね。二人共ありがとう」

「――何か困ったら、すぐに伝えろよ……あにぃ」

「分かった。じゃあね」


 要の姿が見えなくなるまで、革と命は玄関から外を眺めた。


「俺達もまた明日から一週間頑張ろうって気持ちになれたな」

「あにぃ頑張ってる……なら、俺も少しは……やる気でる」


 明日からまた月曜日が始まる。今週はどんな事が起こるのだろうかという期待と不安を胸に、二人はお互いの顔を見つめあった。


「みことがいてくれれば大丈夫!」

「あらたがいてくれれば……大丈夫」


 そのまま手を繋ぎながら、革は玄関のドアを閉めた。

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