第2話
天界人にも、子供の頃学校に通う習慣が存在する。
天界は二十歳になるまで高校生の期間が設けられ、高校五年生になる頃、自分の身の振り方を考えなければならない。
高校五年生の夏、革は自分と命の身の振り方に悩んでいた。
何故革だけなのかと言えば、命は進路の話に興味を示さなかったからだ。
天界の夏も茹だるような暑さが続く。そんな毎日に命は「あちぃ」と言う話ばかりする。革が登校時それとなく進路の話をしても、下校時それとなく進路の話をしても、命から返ってくる言葉は「あちぃ」ばかりであった。
幼なじみであり
学校を終えた後、二人は今革の部屋に居た。
「俺達もうすぐ働かないといけないだろ? みことは剣術が得意だから、街の警備系がいいと思うぜ? ほら、芸は身を助けるっていうだろ? 好きでやってきた剣術の腕が役に立つ仕事なんて、すげーいいと思う」
「それって……あらたも出来る?」
なんとなくでは命に興味すら持ってもらえないと悟った革は、違う切り口から進路の話をした。その作戦は功を奏し、始めて革は命から進路に対して真面目な返答を得られたのだ。
「えっ? 俺には無理だよ。だって、俺剣術とか何も出来ないし、口喧嘩じゃないと強くないし」
「そっか……あらたと出来ない仕事か……じゃあ、俺はそれやらない……」
やらないと言い切った命は、革の部屋に敷いてある水色のサークル型ラグの上に、まるで飼い猫であるかの様に体を丸め、目を閉じた。「この話はこれでおしまい」とでも言いたげなその様子を見て、革は嫌な話をしてしまっただろうかと考えを巡らせ、ある事を思い出した。
命は聞かれなければ、自分の事を中々話さない。
「みことはどうしたいんだよ」
革は質問を投げかけた。
命はもぞもぞと動き出すと、胡座をかきながら伸びをし、ラグの上に今度は立膝を着いて座り直した。前髪が顔にかかり、それを左手で避けると革の方を向き、顔を見つめ微笑んだ。
「俺は、あらたと一緒に……働きたいな」
表情は穏やかで、迷いは一切感じられない。
やっと聞けた命の意見に対して、革はこれから苦言を呈してしまうと思うと、胸が痛んだ。
「それは無理だよ。俺とみことでは能力が違う。俺は自分の事大層頭良いと思ってるし、おまけに字まで綺麗なもんだから、事務仕事が向いてると思ったんだぜ? でも、みことには向いてないだろ事務仕事」
「そうだな。――俺、字を見ても……なんて読むかよくわかんない。――つまんねー事は、やりたくない」
「そうだろ? みことにとって書類とにらめっこするとか、パソコンとにらめっこするなんつまんない事なんだよ。向いてないんだよ。だから、一緒の所では働けないよ」
革は自分の事の様に、命の事も理解しているつもりだ。だからこそ、命に自分と同じ職業はむいていないと分かる。
頭では理解していたが、いざ言葉にしてみると、革は晴れやかな気持ちになれなかった。
「あらたは?」
「――えっ?」
「あらたは……どうしたい? 何が適しているとか……じゃなくて」
命も自分の事の様に、革を理解しているつもりだ。
それとなく進路の話をしても、こうして真面目に進路の話をしても、一向に革の表情が晴れる事がない。命はそんな革の姿を見て嘘をついていると思った。
革は少しの間俯くと、深呼吸をしてから顔を上げ、命の顔を見た。
「みことと一緒に働きたいに決まってんだろ! みことの力になりたいし、心配だし……でもさ」
革は勢いよくそう言ったかと思えば、今にも泣き出しそうな声色になった。
空色の中に真珠を散りばめたような煌びやかな目から、
「――ありがとう。話してくれて」
命は立ち上がると、ベッドに座っている革の方へ赴き、優しく抱き締め、左手でよしよしとあやす様に頭を撫でた。
一緒の所で働きたいと、革も考えなかったわけではない。だが、能力も違い性格も違う自分達では、難しい事だと直ぐに悟った。自分が向いている仕事に嫌々命を就職させる方が、革にとっては嫌な事だった為、ずっと言えないでいた。
革は今まで言えなかった分の不安が涙となり溢れたが、それを受け止めてくれる命に甘え、胸を借り静かに泣いた。
先程まで黄昏時だった世は、いつの間にか静かな夜を連れてくる。
落ち着いた革がようやく顔を上げ、命の顔を見つめると、命は優しく微笑みそのまま革の瞼に口付けを落とした。
「――でさ、あらた。――俺、今日学校で……面白そうな紙、見つけた」
「面白そうな紙?」
そう話すと命はズボンのサイドポケットから、一枚の紙を取り出した。無造作に詰め込んだのが容易に分かる程に紙はぐちゃぐちゃで、その紙を広げると右端が何故か少し破けていた。
「何これ『美神の補佐募集』のお知らせ?」
「そうそう。――ここ見て」
それは学校の求人募集掲示板に張り出されていた【美神の補佐募集】というチラシであった。
命はチラシの一文を、左人差し指で革に示す。
「『正義への熱い志で挑んで欲しい。内容、街の警備、治安維持、事務作業』」
「俺達に……向いてね?」
命は所謂ドヤ顔をして褒めろと言わんばかりであった。その様子を革は愛らしいと感じ、命の頭を右手で撫でた。
「みことすごいぜ! 俺達二人に向いてる内容の仕事を見つけるなんて、流石だぜ!」
「――ふふっ。あらた、やっと笑った……かわいいぜ」
二人に笑顔が戻り一頻り喜び合った後、思い出したように革は「あ」と声を漏らした。
「みこと、これフリーペーパーじゃないから。破って持って来たらダメだよ? 明日戻しに行こう」
「――そうなの? ごめん」
「でもさ、教えてくれてありがとう。――うん、採用されるか分からないけど、二人で応募してみようよ」
「そうだな……俺も、この仕事なら出来そう。あらたと……一緒に働きたい」
昨日まで革の中にあった不安は、今はもう欠片も残っていない。
✝︎✝︎
久しぶりの雨の日。
今日も命は朝から気だるげであったが、革の心は晴れやかな気持ちであった。
「みことも同じ気持ちならいいな」と、革は自分の持っている水色の傘を少し右へずらし、左隣で黒い傘を持って歩く命の顔を覗き込んだ。
視線が交わると、革は明るく笑って見せた。
「――あらた、今日も宇宙一……かわいいな」
革の笑顔につられて、命もゆっくりと微笑んだ。
学校に到着するや否や、傘と服についた雨粒をさっさと払い、革と命は求人のお知らせが貼ってある掲示板の場所まで赴いた。
昨日命が勝手に剥がし、持ち帰ってしまったチラシを掲示板に付いた使われていない画鋲を四つ程見つけると、命は申し訳程度に紙の皺を伸ばし、画鋲をチラシの四つ角に取り付けた。
「ごめんなさい」
二人は貼り付けたチラシに向かって声を合わせて謝り、一礼した。
その場を後にし、次に向かう先は職委員室。
担任教師に応募したい有無を話し、先方への連絡を取り付けて貰う為だ。二人は同じクラスな為担任教師は同じ。
職委員室の前に到着し、革はその場で深呼吸をすると、隣にいる命の顔を見た。命は革と視線が交わると優しく微笑む。
安堵した革は、職委員室のドアを三回ノックしてから横にずらし開けた。
「失礼します」
「失礼しまーす」
しっかりと挨拶する革の横で、軽い態度で命は挨拶をした。命にとってこの態度はいつもの事で、革はこうした命の態度に関して、特段気にする様子はあまりはない。
自分がしない、やらない態度なだけで、命はそれでいいと思い、それを貫き通す決意でそうしているのだと革は知っているからだ。
革は室内を見渡し、担任教師を見つけると近寄り声をかけた。命は革についていく。
「おはようございます先生。あらたです」
「おはよーせんせ。――今日も顔がいい……俺だぜ」
「あらたくん、みことくん、おはよう。どうしたの?」
担任教師は女性。年齢は二十七の新米教師であった。
柔らかく落ち着いた声色に、髪は亜麻色で金縁の丸い眼鏡をかけている。
「俺達求人のチラシを見て、応募したい仕事を見つけたんです。――それで、先生に先方へ面接のお話を取り付けて頂きたくて」
「二人で応募したいから……俺も来た」
「そうなんだ。それは良い事ね。どの求人かな?」
「美神の補佐です」
「でーす」
革は真面目な表情をして、命はいつも通りの気だるげな表情であった。
「素敵だね! 中々やろうと決心できる仕事内容じゃないよね。うん、先生は良いと思う」
「先生は……って、何?」
「――うん。あのね、一応二人の成績や日常態度等を、先方にもお伝えしなきゃいけないの。もしかしたら、先方がそれだけを見て、二人の事面接もしてくれないって事が、あるかもしれないなって……少し不安になったの。ごめんね」
担任教師は、今から応募しようとしている二人に真実を告げるのは、出鼻を挫く様で気が引けたが、可能性として無きにしも非ずと思い伝えた。
美神の補佐というのは、天界では大変名誉ある仕事として、広く知れ渡っている。
二人は所謂
革はプライドが高い。そして美麗な顔立ちで自意識過剰。
女子には大層好かれたが、男子生徒と口喧嘩になる頻度が高かった。
勉学には真面目に取り組み、成績優秀。制服もしっかりと着用していた為、大人からはそこまで嫌われてはいなかった。
命は話し方や行動がマイペース。周りに合わせる事をまるでしない。基本的に他人に対し無関心、併せて寡黙であるが故に会話が中々成立しない。
美麗な顔立ちで、併せてナルシスト。革と同様に女子生徒から大層好かれたが、男子生徒からは評判が悪かった。男子生徒と命があまり喧嘩にならないのは、命の武力の高さは並外れていて、自分達では敵わないと知っているからである。
大人に対してもマイペースに、まるで同級の友の様に話しかけ、制服は規定よりも崩して着用し、ピアスを複数堂々と付けて登校する。
そして勉学に励むよりも剣術の鍛錬を優先させる命は、毎日授業を放ったらかし、外で自分の刀を用いて素振りする事を優先させていた。
命は革よりも周りから「話が通じない」と思われていた為に、大人達からも嫌われていた。
「なるほどー」
「お気遣いありがとうございます。――でも、俺達は本気です。どうか、先方に連絡をするだけでも、お願い出来ませんでしょうか?」
「――俺も、あらたと同じ意見。せんせ、お願い……します」
二人は担任教師に深く一礼した。
問題児である二人に対しても、担任教師は劣等生のレッテルを貼る事はなかった。いつもどんな生徒に対しても、一生懸命に向き合った。
だが、問題児がその様な職につけたという前例がない事から、担任教師は頭をさらに悩ませていた。
しばらくの沈黙が続いたが、担任教師は採用されるかされないかではなく「二人がやりたいかやりたくないかの気持ちが大事」と考え、ゆっくりと口を開いた。
「――分かりました! 先生嘘は書けないけど、先方に連絡はとってみるね」
「ありがとうございます! よろしくお願いします。――失礼しました」
「ありがとうせんせ。――よろしく。またねー」
革は担任教師へ一礼し、命は左手をひらひらと左右に振り退室すると、お互いの顔を見つめ笑い合う。
「――良かった」
「うん。――俺、すごいドキドキしてる」
自分達の生活態度や素行の問題で「無理です」と言われるならば、それは仕方の無い事だと革は理解しているが、期待で胸がいっぱいだった。
「――あ、雨、やんでる」
廊下を歩きながら革と会話していた命は、ふと窓の外に視線を向けた。先程まで曇天で薄暗かった空に、もう雨はない。
窓から差し込む夏の光が、二人を照らした。
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