満身創痍

「いっせーので『さん』」


 紅は冷たい声で数字の3を宣言した。片手のみの紅は当然のことながら親指を立たせている。

 そして対面する十真の親指は2本とも立っていたのだった。

 よって宣言通りになった狐山高校の天空寺紅の勝利となった。十真のストレート負けだ。たった2巡で十真は破れてしまった。

 相手がスタイルを使えるのだから仕方がないと言えば仕方がないだろう。十真は自分のスタイルを見つけられず亜蘭のケンカスタイルを見様見真似で使っていただけだ。勝てるはずもない。


「期待外れだったよ……僕もたまには見誤るものなんだな……」


 そんなことを冷たい声で呟いた紅は、どんよりした表情で体育館の窓から天気の良い空を見上げた。


 心の中にモヤモヤが残る。午後の練習試合では皆、何かを得ていた。それなのに自分は何も得ずにこんな気持ちのまま終わってしまう。


「はぁ……うぅ……」


 満身創痍でまだ立ち続ける十真を見る。なんともつまらない。威勢ばかりで結果を出していない。これが現実だ。


 物憂いそうにしながら次に興味のある人物の方を見た。


「う……」


 紅に見られ身を引いてしまうのは美少年の遥だ。紅は遥のオーラにも興味がある。

 午前中の戦いで遥のオーラに紅が怯えてしまったくらいだ。


(次の獲物は遥だね。全国大会までにはオーラを自分のものにして欲しい……)


 遥にはまだ扱えないとわかっている紅は暗く寂しそうな瞳で遥を見つめた。そして成長に期待しながら楽しみに待とうと心に決めたのだった。


「もう十分でしょ……先生。僕が勝ったんだから早く判定を!!!」


 紅は判定を行わない先生に向かって声を飛ばした。その瞬間、目の前で負けたのにもかかわらずまだ立ち続ける十真の違和感に気が付いた。


「な、なんだ……何かがおかしい……」


 紅は十真のオーラを見ている。それは異質だとわかっていたオーラだったが、さらに異質なオーラへと変貌を遂げていたのだ。

 窮地に成長するということは戦いの中ではよくあることだ。しかし、これは違う。成長や進化というカテゴリーではない。


「これは……なんだ……」


 紅の混乱は止まらない。思考がめちゃくちゃになってしまうほど、何が起きてるのかがわからないでいた。


「せ、先生、僕はゼロを宣言して立っている親指はゼロだった。僕が勝ったはず……」


「紅……冷静に相手の構えを見ろ……お前ならわかるはずだ」


 黒田先生の言う通りに十真の構えを恐る恐るもう一度確認する紅。

 すると紅の脳裏に衝撃が走った。


「兄さんの構え……」


 そう。天空寺紅の兄の天空寺蒼てんくうじそうのフォックススタイルを十真が構えていたのだ。

 拳と拳を握り人差し指と中指を立たせてピストルのような形を作るあの構えだ。


「なんの真似だ、十真。負けたからって兄さんの真似をして僕を侮辱しているのか??」


 珍しく声を荒げる紅。尊敬する兄のフォックススタイルの構えをされ侮辱しているのだと思っているのだ。


「はぁ……まだ……負けてない……」


「はぁ???? 答えになってないぞ! 今すぐ兄さんの構えをやめろ!!! 僕はお前に勝ったんだ!!」


 拳を握り死のオーラを爆発させ十真を襲おうとする。その死のオーラを狐山高校の顧問の黒田が止めた。


「まだわからないのか紅。お前は騙されているんだよ。フォックススタイルに」


「それは、どういう……」


 紅はこの時、気が付いた。十真がフォックススタイルの能力を使い脳と親指と発言のどれかを騙していたことに。

 騙されていたのは自分自身だ。試合が終わらないと言うことはそう言うことだろう。

 しかし何が騙されていたのかわからない。そしてなぜ兄の能力が使えるのかもわからない。


「だって十真、お前は……スタイルを……」


 ここで言葉を区切り口に出すのをやめ思考した。


(スタンダードスタイル、ケンカスタイル、それに兄さんのフォックススタイル……使いこなせるはずがない。僕みたいにブラックホールスタイルで相手の能力を奪い使う条件付きならまだわかる。でも無条件でしかもこの場にいない兄さんの能力を使うだなんて、あり得ない。だけど……ありえるとしたら……)


 驚きの表情からニヤリと笑い、楽しげな表情へと変わった。


「やっぱり、僕の目は間違ってなかった。面白い。面白いよ。十真!!!」


 目の前のボロボロのウサギを見てそれでもまだ楽しませてくれると警戒をし胸を躍らせる無傷のキツネが吠えた。

 その吠えるキツネの声を聞きウサギは牙を向いた。


「僕の……ターンだ……」


 フォックススタイルを維持しながら宣言を始める。


(兄さんの構えのままだと……)


 紅はさらに警戒心を高めた。兄のフォックススタイルの強さを兄の次に知る人物だ。警戒するのも当然だ。


「いっせーので……『4』」


 十真は4を宣言した。片手を引っ込めている紅がいるので宣言通りに行くはずもない数字だ。


「ふふ、体力の限界で宣言ミスか」


 と、紅は警戒を解き鼻で笑った。


 しかし宣言通りに行くはずもない数字を宣言したのにもかかわらず十真は片手を引っ込めた。


「これで片手同士だ……」


 何を言っているのか、何をしているのか全く理解できない表情で紅はただ呆然と立ち尽くした。

 二人の審判の表情を見ても何も指摘はないし片手を引っ込める行為が間違いではないかのように審判を続けている。


「先生、十真は何て宣言したんですか……」


「ゼロだよ」



 そう。この時、紅は完全に気付いたのだ。フォックススタイルによって自分が完全に騙されているのだと。満身創痍で今にも倒れそうな十真には扱えないと思っていたフォックススタイルを二度も扱い自分を騙したのだと。


 場面を見れば親指は1本も立っていなかった。だから十真の宣言通りになり片手を引っ込めたのだ。


 先ほどの守りのターンでは親指を立たせているように紅の脳を騙していた。さらに宣言した数字も騙していたのだ。

 そして今回も聞こえてきた数字は4であり得ない数字だったが実際に宣言した数字は0だった。


 十真は完全にフォックススタイルを使いこなしている。

 しかし維持するのもやっとなのだろう。十真はフラフラで今にも倒れそうだ。

 その十真に対してすかさずブラックホールスタイルを発動する紅。

 相手のスタイルを奪う能力だ。これでフォックススタイルを奪えば勝機があると踏んだのだろう。

 拳から広がる漆黒の渦が十真のスタイルを吸い込み奪った。


「これでフォックススタイルを使うことは……」


 話しながら奪ったスタイルの構えを取る紅は再び衝撃を受けていた。

 なぜなら構えたスタイルがフォックススタイルではなく基本的な構えのスタンダードスタイルだったからだ。


「なんで……また基本的な構えなんだ……」


 この構えすらも騙されているのではないかと思考するがそうではないとすぐにわかる。

 フォックススタイルは相手の脳や親指、発言などを騙すが相手のスタイルを騙すと言う能力はないのだ。

 だからブラックホールスタイルで奪ったと思っていた十真のスタイルは奪えていないのだった。


「僕の能力で奪えない……それなのに十真は他人の能力を自由に使える……なんなんだ君は……」


 紅は衝撃を隠せずに額から汗が滴り落ちていった。



 意識が朦朧となり目の前が見えなくなりかけた十真は、次の瞬間、構えていたフォックススタイルを基本的な構えに戻しなんとか立ち続けた。


「ふぅ……まだだ……はぁ……」


 なんとか根性で立ち続けている。しかしフォックススタイルのおかげで対等に戦えていたのに基本的なスタイルに戻してしまえば今度こそ確実に負けてしまう。


「恵まれた能力の持ち主、才能以上の何か、どの道、十真の体力だとここが限界だな」


 紅は十真の薄れていく異質なオーラを見て限界を見定めた。


「いっせーので「いち」」


 紅は冷たい声だが嬉し気に宣言をした。その紅の親指は1本立っていた。これで十真の親指が立っていなければ紅の勝利となる。


(もう十真の体力は限界だ。死のオーラにも触れて親指を立たせることはできないはずだ。これで僕の勝ちは決まった)


 そんなことを考えながら宣言した紅だったが目の前の十真を見て唖然とし震えた。

 十真の親指は立っていたのだ。


「ば、ばかな……体力はもう限界のはず、それに基本的な構えじゃ親指を立たせるなんて不可能だ」


「すぅ……はぁ……うぐぅ……」


 十真は呼吸するので精一杯で紅の質問には答えられない。だからこそ紅は混乱している頭を一旦冷やし冷静に考えた。


(片手だけで判断ができなかったが……基本的な構えのスタンダードスタイルじゃない。これは……ケンカスタイル……)



 そう。基本的な構えのスタンダードスタイルとケンカスタイルは右手だけ残した場合どちらの構えをしているのかが判断し辛い。右手の位置はどちらもほぼ同じだからだ。

 さらに満身創痍でふらふらの状態の十真はしっかりと構え切れていない。もともと亜蘭の構えなのでしっかりとした構えはできていなかったがそれ以上に不格好な構えになっていたのだ。

 そのせいで紅は十真のスタイルの判断ができずに宣言ミスをしてしまった。


「まだできるか? 大丈夫か?」


 横で十真を心配そうに見ているのは審判をしている白田先生だ。先生は今この瞬間止めようか迷っている。迷っているからこそ本人に直接聞いたのだった。

 これは十真が大きく成長する貴重な機会だ。それを先生が止めてしまったら意味がない。ギリギリの本当のギリギリまで先生は止めるつもりがない。

 そのギリギリが今なのか十真の返事で見極めるつもりだ。


(もし、乱れた呼吸のまま答えられなかったら中断。返答も弱々しいものだったら中断。これは中断するのが濃厚か……)


 十真の体を見て中断が濃厚だと判断した白田は十真の返事を待った。


 十真は息を切らし呼吸を乱しながらもなんとか自分の呼吸を取り戻すように必死に歯を食いしばっている。

 そんな姿を見て「よくがんばった」と褒め試合を中断させようとしたが……



「勝ちますっ!!!!」


 先ほどまで恐怖に怯え震えていた少年からは想像もできないほどの気合いに満ち溢れた返事が返ってきたことに驚く白田。


「ふふふ、はっはっは、できるかどうか俺は聞いたんだよ! 勝てるかどうかじゃねぇよー!!」


 思わず笑い出してしまった白田だったがそのまま十真の背中を思いっきり叩いた。


「それじゃ行ってこい!!! 勝つまでやってこいや!!」


「はいっ!!!」


 気合いを注入した。気合い注入で倒れないか心配だったがシャキっとなり気合いが入った様子だった。

 狐山高校の部員からは「やりすぎだ」、「厳しい」と思われたかもしれない。けれどこれがここ数ヶ月で深めた十真と白田の生徒と先生の絆、信頼関係なのだ。


「本当に中断しなくていいのか?」


 心配するのはもう一人の審判の黒田だ。


「ああ、問題ないよ。十真はここからが強い。しっかり見とけ」


 白田は歯を光らせながら笑顔で答えたのだった。

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