蝶の鱗粉

 十真と玲奈の指スマ対決が始まる。


 玲奈はすでに自分のスタイルを身につけている。

 構えは蝶々が華麗に舞っているかのように見える『バタフライスタイル』だ。

 構えた拳をクロスさせている。

 十真は自分の構えをまだ会得していないので基本的な構え『スタンダードスタイル』で玲奈に対抗する。


「私が先行!!」


「え? ジャンケンは?」


「うるさーい! 一度勝った事あるんだからいいでしょ! いっせーので『2』!!」


 玲奈はエゴイスティックにジャンケンもせず先行を選び数字を宣言した。

 蝶々のように見えるクロスされた拳からは親指が2本立っていた。

 玲奈の自分本位で突如始まった指スマ対決に反応が遅れる十真だったが、親指は遅れた反応を無視して無意識に親指を1本立たせていた。

 玲奈の宣言通りにはいかなかったのでこのまま十真のターンへと移る。


「あぶなっ! 反応遅れたけど親指立っててよかった……」


「ふ~ん……やるじゃん。さすが私を倒しただけはあるね。でも……その親指大丈夫??」


「ど、どういう事??」

 十真は立っている自分の親指を見て衝撃を受けた。

 親指が小刻みに震えていたのだった。


(親指の震えが止まらない……なんで? どうして? 昨日の筋肉痛が残っているのか……いや違う……おそらく蝶々の構えが原因か? 蝶々……蝶々……まさかとは思うけど鱗粉とかで痺れさせたとか……)


「もう気付いていると思うけど私の『バタフライスタイル』で指原十真くん、アナタの親指を痺れさせたのだ。時間が経てば経つほど親指は麻痺して動かなくなる!私が止まっていた時間のように!」


 玲奈の止まっていた時間。それは3年前の夏祭りの『いっせーの大会』で十真に負けて悔しい思いをした時のことを指している。その日から玲奈は十真に指スマで勝つことだけを考えて生きて来たのだ。


(くそ……この子が言ってる通り長期戦は無理だ……すぐに勝負を決めないと……)

 焦燥感に駆られ額から汗を流す十真。その汗が水滴となって落ちるのと同時に宣言を始めた。


「いっせーので!! 『1』!! どうだ??」


 十真は自分の親指を庇いたい思いで親指を1本も立たせなかった。

 これで玲奈の親指が1本立っていれば片手を引っ込めて勝利に近付く事ができるのだが、世の中そんなに甘くない。

 玲奈の親指は堂々と2本立っていた。

 その姿はただの蝶々ではなく華麗な羽を広げるアゲハ蝶のようだった。


「ざんねーん! あはっ! 楽しい……この時をどれだけ待ち望んでいたか……」

 十真を瞳に映しながら息を吸い、玲奈は恋する乙女のように頬を赤らめ荒く息を吐いた。


(か、可愛いのに……この子……怖いっ! もしかしたら亜蘭先輩よりも怖いぞ……異常だ……)

 そんな玲奈を見て十真はゾッと背筋が凍る感覚を味わい恐怖を覚えた。


「次いっちゃうよ……いっせーので!! 『1』」


 玲奈は親指を1本立たせている。

 十真は親指を庇っていることを玲奈はお見通しだ。

 今回の守りのターンでも親指を立たせない、否、立たせられないとそう考えたのだ。

 しかし十真の親指は予想を上回り2本立っていた。

 痺れている方の親指も頂点まで70%くらいの位置まで立っている。


「あはっ……頑張るんだねっ!でもこれで2本とも痺れてきたんじゃない?」


「確かに痺れてきた……」


 十真は気付いた。

『バタフライスタイル』によって親指が痺れるタイミングは玲奈の攻撃ターンのみだということに。

 そして自分自身が親指を立たせたら発動条件が揃い、立たせた指が麻痺してしまうことにも気付いた。

 この仮説を証明するためにも十真はこのターンに親指を2本上げたのだった。


「次は僕だっ! いっせーので!! 『3』」

 十真は痺れている親指に力を込めて2本立たせた。

 しかし玲奈の親指は1本も立っていない。その姿は羽を休め花の蜜を吸う蝶々そのものだった。

 そして無理やり立たせた親指の痺れが増していることに十真は気付く。

 親指を動かすことによって痺れは治おさまるかもしれないと思考していたがそれは逆効果だったのだ。

 動かせば動かすほど痺れは増す。蝶々の毒が回りやすくなっていくのだった。


「いいね~いいね~その表情見たかったよ……私、今すっごい楽しい」

 ぷるんとし透き通った桃色の唇を舐め、愛おしく目の前の少年を見つめる美少女。


「いっくよ~」


 それからは残酷にもラリーが続いてしまった。


「いっせーので!! 『2』」

「いっせーので!! 『4』」

「いっせーので!! 『3』」

「いっせーので!! 『0』」

「いっせーので!! 『0』」

「いっせーので!! 『3』」


 長期戦を避けていた十真だったが不運にも長期戦へと突入してしまった。

 なかなか宣言通りにならず片手を引っ込めることができない。

 およそ10分以上対戦をしていて十真の腕は限界を迎えていた。


(だめだ……痺れが腕まできてる……もう親指が立たない……)


「あはっ! そろそろ限界でしょ~? いっせーので!! 『ぜぇろっ』」

 唇を震わせ舌を絡ませながら耳心地の良い声で玲奈は0本を宣言した。

 もちろん玲奈の親指は立っていない。そして十真の親指も立っていなかったのだ。

 否、痺れが腕にまで回り立たせることができなかったのが。

 これで玲奈の宣言通りとなり片手を引っ込めて十真より先に勝利へ1歩近づいた。


「やったーやったーあと少し……あと少しで私は勝てる!!!」


 片手を引っ込めたのにも関わらずそこに手があるかのように蝶々の幻覚は消えない。

 もしろ勝利に近付き蝶々の幻覚の過激さが増している。

 否、これは幻覚ではない指スマの構え。そう、『スタイル』だ。


「ッ……まずいな……本当にまずい……」

(僕がスタイルを会得していれば……勝てたかもしれない……もう少し戦略を練って短期勝負に持ち込めれば……ってなんでこんなに弱気になってるんだ僕は……いつもの悪い癖だ。まだ負けてないじゃないか……あの子の手が引っ込まない限り僕は負けない……まだチャンスはある!)


 薄れていた瞳の奥の輝きを取り戻し正面の美少女と向き合った。


「ここで終わってたまるかっ!! いっせーので!! 『ゼロォオオ』」


 十真の宣言は0だ。

 いくら気合を入れても痺れた親指は回復しない。親指を立たせることができないのだ。

 だから自分の親指が立たないのなら0を宣言するしかない。

 あとは目の前の美少女の1本の親指に委ねるしかないのだが……

 願いは虚しく玲奈の親指は立っていた。

 その立っている親指に幻覚で出現した蝶が止まって見える。

 その蝶は玲奈に勝利を知らせるかのように現れたのだった。


「これで終わり。本当に終わり。私は勝てる!!ありがとう。そしてバイバイ。私の目標だった指原十真くん」

 まだ勝負はついていないのにも関わらず見下すような視線を飛ばす美少女。

 その瞳はブルーサファイアのような輝きを放っているがどこか寂しげなものが奥底に眠っていた。


「いっせーので!! 『1』」

 十真の指が痺れて立たないことを見通しての宣言1だ。

 玲奈は当たり前のことながら親指を1本立たせている。

 これで勝利は確定したと思っていた玲奈だったが視界に捉えたものを見て脳に衝撃が走った。


「まだだっ!!! ハァ……ハァ……」


「嘘……でしょ……」


 十真の痺れて動かないはずの親指が立っていたのだ。

 それも1本ではなく2本も。

 これによって宣言が外れ対戦が続行し十真のターンが訪れた。


「ふーーーはーーーー」


 深く深呼吸をし集中力を高める十真。


(指スマってこんなにも体力を使うんだ……女の子相手で先にバテるなんて絶対に嫌だ……それに負けたくもないっ!)


 呼吸が整い再び構え直した。

 その構えは十真の基本的な構えではなかった。

 亜蘭の構え『ケンカスタイル』だ。

 基本的な構えから左拳を右拳より少しだけ前に突き出している。

 見様見真似で構えてみたのだ。

 亜蘭の『ケンカスタイル』をここで試したのは十真なりの理由があった。


「今は根性を出す時……根性といえばヤンキー……ヤンキーと言えばっ亜蘭先輩だっ……」


 玲奈に勝つために『根性=ヤンキー=亜蘭』という十真なりの方程式を組み立てて初めて『ケンカスタイル』で構えたのだ。

 安定していた十真の気配が威圧へと変わる。

 それは『ケンカスタイル』から出される相手を威圧するオーラだ。


「空気が変わった……」


「こんじょぉお!! いっせーのでぇえ!! 『にぃいい』」


 十真は根性で親指を2本無理やり立てた。

 玲奈は十真の威圧におされ戦慄し親指を立たせることができなかった。

 よって十真の宣言通りとなり十真は片手を引っ込められた。

 これで両者残された親指は1本のみとなった。


「よしっ!!! 追いついた!!」

 引っ込めた腕でガッツポーズを取る十真。


(スタイルを変えてから空気が変わった……その空気に私はビビった……ビビって親指が動かなかった……でもいくらスタイルを変えたからといっても今ので限界を超えたはずでしょ……もう親指は立たないはず……)

 玲奈は頭の中で状況を整理し次の手を思考していた。


「でもこれで終わりよ!! いっせーので!! 『0』」

 親指が立たないと考えた玲奈の宣言は0だ。

 しかし十真の親指は空に向かって伸びていた。

 立たないと思われていた親指が立っていたのだ。


「な……んで?」


 頭の中で思考していたものが一気に崩れ落ちる音がした。

 その音とともに玲奈の頭の中は真っ白になった。


「まだだっ!」

 十真の目はまだ死んでいない。

 立っているのもやっとのはずの少年は腰を落とし深くずっしりと構える。

 そうでもしないと倒れてしまうかもしれないからだ。


「いっせーのでぇええ!! 『イチィイイ』」

 腹の底から叫んだ十真の親指は立っていない。

 立たせようとしたのだが親指の限界はとうに超えていた。

 立っているのがやっとの状態で親指を立たせるのは不可能だった。

 もうこれ以上は立ってられないと玲奈の手を確認することなく十真は前に倒れてしまった。


 十真が倒れた後に胸をすくような声で「負けた」と美少女は言った。

 その美少女は少年の勢いに押され反射的に親指を上げてしまっていたのだった。

 辛そうなそぶりを一切見せていなかったが、美少女自身も体力の限界が来ていて、負けを確認した後に、十真と同じくように倒れた。


「恨みとか復讐とかは……本当はどうでもよかった。私は負けた事が悔しかっただけだった……だから指原十真くん、アナタに勝ってこの胸の中にある敗北の刻印を取り除きたかったの。でもなんでだろう……また負けたのになんだかスッキリしてる……おかしいな……負けたのに……私、笑ってる。なんでだろう。ねぇなんでだと思う?」


「それは……指スマが楽しかったからだと思うよ……うーん楽しいっていう表現は違うかな?その……指スマが好きなんだよ……きっと……」


「ふふっそうかもね……十真くん……好きなのかも……ふふっ……」


「あはは……体が動かない……部活に行けないや……」


 体育館裏で倒れたもの同士、倒れたまま向き合い笑みをこぼした。



 指原十真と吉澤玲奈の指スマ対決、ここに決着。

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