第11話

 わたしは、ほしのゆに居づらくなっていた。


 別に、セキアやハルミちゃんが何かを言っていたわけではない。ましてやいじめられているってわけでもない。セキアの件は百パーセントわたしが悪いし、ハルミちゃんのはわたしを心配してのことなんだと思う。


 だから、居づらいとわたしが勝手に感じているだけ。


 そうだとわかっていても、わたしは行きたくなかった。


 その日はじめて、ほしのゆの手伝いに行かなかった。



 気分は悪くてもやらなきゃいけなことがある。


 お母さんは、わたしに買い物を頼んできたのだ。


 カレーを作ろうと思ったけども、カレールーがないから買ってきて。


 言葉とともに、千円札が手渡された。


 わたしはお母さんを見た。いつもなら、あまりが出ないような金額を渡してくれるのに、今日はやけにおおざっぱだ。


「余りで何か買ってもいいわよ」


 お母さんがそんなことを言うなんてって、わたしはびっくり仰天してしまった。


 ……思えば、お母さんはわたしの様子がおかしいことに気が付いていたのかもしれない。だから、気分転換になるように、買い物を頼んだ。本人に聞いたわけじゃないからわからないけども、なんとなくそんな気がした。


 でも、そんなことがわかったからといって、気分がよくなるわけじゃない。ハーゲンダッツを食べたところで何か変わるとも思えなかった。


 とにかく、買い物には行かないといけない。


 のろのろと玄関へと向かい、靴を履く。


 扉を開けると、外は雨がぱらついていた。カーテンを締め切っていたから知らなかったけれど、朝からずっと降っていたらしい。


 傘をさして、外へと出る。


 しとしと雨が降る町は、わたしの気分を反映したかのように、いつもの色彩を失っていた。何もかもが灰色に見えた。


 そんな町の中を、わたしはとぼとぼ歩く。


 気が付けば、目の前に人がいた。呆然と歩いていたから、ギリギリまで気が付かなかった。


 避けることもできずに、わたしはぶつかる。痛みは少しも感じなかった。


 傘が、手から滑り落ちる。


 ぶつかった相手が姿を現す。


 そこに立っていたのは、スバル君だった。



「奇遇ですね、ゆこさん」


 そんな言葉を投げかけられてもなお、わたしはその場に立ち尽くしていた。スバル君が目の前にいるだなんて、それも、ぶつかってしまった人間がたまたまスバル君だったなんて信じられなかった。


 でも、そこにスバル君はいる。


「そうしていたら、風邪をひきますよ」


 そう言われて、雨がわたしを濡らしていることに気が付いた。スバル君に言われるまで、どうでもよかったことなのに、急に寒さを感じ始める。


 わたしはしゃがみこみ、傘を拾う。


「ごめん、前見てなくて」


「いえ、僕も前を見ていませんでしたからおあいこです。それに、あまり痛くありませんでしたから」


 にこやかな笑みをたたえて、スバル君は言う。その姿は、雲上で輝いている太陽のよう。


 今のわたしには眩しすぎる。


 わたしは頭を下げて、急いでその場を離れようとする。スバル君と一緒にいても、この気持ちはどうにもならない。むしろひどくなっていくような気がした。


 でも。


 わたしは手を掴まれた。


「待ってください」


「買い物に行かないとだから……」


「その後でいいので、お話をしませんか」


 わたしは振り返る。


 スバル君の漆黒の瞳には、星のまたたきのような光が見え隠れしている。それは神秘的で、でも、不気味。


 そんな瞳を見ていると、わたしは頷いてしまっていた。



 買い物をすませたわたしは、スバル君とともに雨の中を歩く。


 わたしは無言で飲み物を差し出す。カレールーと一緒に買ったものだ。ありがとうございます、とスバル君は言って、それを受け取った。


 無言のままわたしたちは歩く。


 しずくが跳ねる音と、車のエンジン音が静かな町に響いている。


「スバル君は、何してたの?」


「僕は、銭湯に行った帰りなんです。でも、ゆこさんがいらっしゃらなかったので、心配で」


「心配させちゃってごめん。でも大したことじゃないから……」


「そのようには見えませんが、あなたが言うならそうなのでしょう」


 隣を歩くスバル君を見る。目と目があって、微笑みが返ってくる。いつも笑っている。わたしをバカにしたり、正論をぶつけたりはしてこない。


 ただ笑って肯定してくれる。


 それがいいのか悪いのかは別として、今のわたしには心地よかった。


「――やっぱり、わかるの?」


「はい。僕は人間観察が好きですから」


「変なの。じゃあ、今のわたしはどう見える」


「そうですね。嫌な思いをして傷心中といったところでしょうか。たとえば――誰かとケンカをしたとか」


「すごい。その通り」


「たまたまですよ。何があったんですか?」


「あの、赤い髪の子がいるじゃん。あの子とうまくいかないっていうか。なんとなく、もやもやするっていうか……」


「友人ではないのですか?」


「違う違うっ。セキアとは、お手伝い仲間ってだけで」


「その割には、楽し気に話していましたが……人間というのはわからないものです」


「なんだか、人間じゃないみたいないいかた」


 スバル君が笑う。そこにはいつもとは違って、跳ねるような響きがあった。


「どうでしょうか。案外人間じゃないのかも」


「え」


「ふふふ。冗談です」


「よかったあ」


「ですが、ゆこさんが望むのであれば、一緒に行きませんか」


「行くってどこへ?」


 スバル君が立ち止まる。その顔には、何か複雑なものが覆い隠されているような笑みが浮かんでいる。


 手が差し出してくる。


「遠い、海の向こうへ」


 甘く痺れるような言葉。


 スバル君の瞳は、プラネタリウムで見たことのある、銀河そのもののように、星が回転しているように思われた。それを見ていると、気が付けばスバル君の手を握っていた。


 微笑みが返ってくる。


 でもそれは、先ほどまでよりもずっと暗くて、じめじめとしていた。


 もう片方の手が、わたしの顔の上を撫でていく。夜のとばりが下りていくように、わたしの視界も真っ暗に染まっていった。

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