第9話
男の子の名前は、スバルというらしい。漢字で書くと『昴』、意味は遠くにある星の住処なんだって、そのスバルくんが教えてくれた。
お昼を過ぎて、ガラガラのバスの中で話をした。いろんなことを知ってて、すごく頭がよさそう。わたしがそう言ったら、とんでもない、と手を振りながらはにかむ。わたしの近くにはいない感じの子だった。男子といえば、休みとなれば駆けまわるし、ゲームばっかりしてる。
それに、と頭の中に浮かんできたのは、どういうわけか、セキアの自慢げな顔。それを見ていると、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「どうかしましたか?」
「あっ、ううん。なんでも。ちょっと思い出したくない顔を思い出しただけっていうか」
「そうですか」
にこにこ。
スバル君はずっと笑顔だ。セキアみたいに、誰彼かまわず睨みつけるのは論外だとしても、逆に笑ってい続けられるのも、居心地が悪い。笑顔を向けられているこっちが、照れてきちゃう。
顔に手を当てると、芯まで温まったときみたいに熱い。自覚すると、ますます熱くなってきた気がする。
わたしは、下りる時までずっとカチンコチンで固まっていた。スバル君が言ってくれなかったら、気が付かなかったかもしれない。少し前の自分、スバル君に教えていてくれてありがとう。
バスを降りる。
空を見上げると、入道雲が頭をもたげようとしている。いよいよ雨が降ってきそうで、足取りが自然と早くなる。
大通りに面したバス停から少し歩けば、ほしのゆのエントツが見えてきた。
「ロケットの発射台みたいなあれはなんですか?」
「あれはエントツだよ。っていうか、発射台に見える?」
「どう見ても発射台ですね」
「だよね!」
スキップしながら、わたしは、ほしのゆの建物の前に立つ。
暖簾をくぐって、中に入る。
「お客さんを連れてきたよっ!」
入るなりそういってやったものだから、掃除していたセキアとハルミちゃんが目を丸くさせてわたしのことを見ていた。
「な、なんだよいきなり……」
「だから、お客さん連れてきたって言ってるじゃん」
「いやあそれはわかるが、いきなり言わなくてもいいだろ。っていうか、客はほかにもいんぞ」
エントランスをぐるりと見て回ると、ベンチで涼んでいるおじいさんや家族連れが目をぱちくりしてわたしのことを見つめてきていた。
なんだか、すごく恥ずかしくなってきた。
「っていうか、あんたって休みじゃなかったっけ」
「おばあちゃんのお見舞いの帰りに、銭湯を知らないって言われたから……」
「それで連れてきたってわけね。……あんたもかわいそうに」
「別に僕は困ってはいません。それで、ここがほしのゆなのですね」
「そうなのっ。おばあちゃんがやっててね。説明するよりも入ってもらった方がいいか。スバル君は男湯って書いてある暖簾の方に行って。たぶん、行けば説明書きがあると思うから」
最近は、外国の方もやってくることもあって、イラスト付きの看板があるんだ。それを見れば、なんとなくわかるんじゃないかな。
わたしは、スバル君に、せっけんとかタオルとかを押し付ける。
そんなわたしを、セキアとハルミちゃんは、呆れた顔で見てきていた。
ほかほか湯気を上げて、スバル君が戻ってくる。湯舟につかって温まった体は、ほんのり赤みを帯びていて、つやつやしている。しっとりとした髪を見るだけで、ドキドキしてきた。
「どうだった……?」
「銭湯とはいいものですね」
「よかったあ。嫌って言われたらどうしようかと」
安心するわたしを、スバル君は首を傾げて見つめてくる。わたしだって、わからなかった。どうして、銭湯を嫌ってほしくなかったんだろう?
考えても思いつかなかった。
スバル君から、入浴用品を受け取ったわたしは上の空で、それを使用済みと書かれたバスケットへと入れる。タオルとかは洗濯しないとだしね。
それから、ドリンククーラー(コンビニとかに置いてあるやつ)から牛乳瓶を二つ出す。
「スバル君って、牛乳飲むとお腹痛くなる?」
「牛乳というのは何ですか?」
「え、牛乳知らないの?」
「はい。飲んだことがないので」
スバル君は当たり前のことのように言うけど、給食とかでも牛乳って出るよね……?
もしかしたら、牛乳を飲んだらおなかが痛くなっちゃうのかな。
わたしは牛乳を戻して、スポーツドリンクを取り出す。
「どうぞ」
「いいんですか?」
「いいよ」
「――いやよくねーだろ」
声の方を振り返れば、バスケットを抱えるセキアがいた。
「洗濯はいいの?」
「勝手に売り物盗ろうとしてるやつは見過ごせないからな」
「お、お金は後から払うよ」
「払わなかったら、はなに言いつけるからな」
「わかってるってばっ!」
セキアは、睨むようにわたしを見てから、洗濯機が置かれているボイラー室へと行ってしまった。
ふんっ。失礼しちゃう。
わたしはポケットから、がま口の財布を取り出して、番台の上に二人分の飲み物代を叩きつける。
「すみません、僕の分まで」
「いいって。銭湯を好きになってくれるような人が一人でも増えてくれたら、わたしは嬉しいから」
「僕は好きですよ」
「え……?」
「この銭湯が好きになりました」
スバル君は、同じ笑顔でそう言った。嬉しいような悲しいような……。
っていうか、わたしってば、何を期待してたんだろう。
サウナに入ってるわけでもないのに、急に顔が熱くなってきた。牛乳瓶のフタを開け、ごくごく飲む。
冷えた液体が、乾いたのどを通って、火照った体へ流れ込む。だけど、満たされた感じはしなかった。
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