第8話
手をふりふり、病室を出たわたしは、来た道を戻って病院の外へ。
大きなドアを出た途端、セミの声とむわっとした熱気がわたしを出迎える。思わず、声が出てしまうほどの暑さ。時刻は昼過ぎ。病院の中にいたからわからなかったけど、外はめちゃくちゃ暑い。サウナみたいで、あっという間に汗が噴き出してくる。ちょっと歩いただけでのどが渇いてしょうがない。
「中で買えばよかった」
後悔しながら、自販機を探してきょろきょろ。あ、あった。自販機で買うと高いけど、しょうがない。一番高いところにある炭酸飲料を買おうと、財布を取り出す。その時に、一緒に入れていたカードが地面へと落ちる。
あっ。
わたしは慌てて拾おうとする。でもその前に、にゅっと伸びてきた手が、それを拾い上げたんだ。
手を追うように、顔を上げると、そこにはメガネをかけた男の子がいた。
「落としましたよ」
「あ、うん。ありがとう」
わたしはしどろもどろになってしまう。男の子と話をするときって、めちゃくちゃ緊張する。女の子となら、落ち着いて話すことができるのにどうしてなんだろう。たぶん、気にしすぎなんだろうな。
カードを受け取る。男の子はわたしをじっと見つめていた。
「な、なに」
「いえ、そのカードに書かれていたほしのゆ、というのが気になりまして」
「ほしのゆは銭湯だけど」
「銭湯というのはどういうものなのか教えていただけますか?」
一歩、男の子が近づいてくる。わたしは一歩、後ずさり。
わたしは周囲に目を向ける。炎天下を歩いている人は、ほとんどいない。歩いている人にしたって急いでて、わたしたちには目もくれない。ため息を出ていっちゃう。男の子は、にこにこ笑みを浮かべ続けているのはなんでなの。
「銭湯はお風呂に入られるところだけど、知らない?」
「知りません。僕は最近やってきたので。銭湯というものは、ほかの場所にもあるのですか」
「昔はあったらしいんだけどね、ここらへんじゃ、わたしが働いてる場所くらいかなあ」
月見町はもちろんのこと、全国的に、銭湯はなくなりつつあるって、おばあちゃんが嘆いていたのを思い出した。昔の人は、お風呂がなかったり手間がかかったりで銭湯にやってくる人も多くいたんだけど、今じゃあお風呂は一家に一つあるのが当たり前。わざわざ銭湯に来る理由がないんだって。銭湯は、プールみたいに広いお風呂だから、特別感あるのにもったいない。
男の子はふんふん頷きながら耳を傾けてくれる。さっきはいきなり近寄られてびっくりしちゃったけど、意外といい子なのかも。
「その銭湯とやらはどちらに?」
「あっちだけど」
「あっちとはどちらでしょうか。どのくらい行けばいいのでしょうか」
またしても男の子が近づいてくる。夢中になっちゃったら近づいてきちゃうのかな。できればやめてほしいんだけど……。
「わ、わたしが悪かったです。えっと、時間って」
「時間ですか?」
男の子は、夏の空へと目を向ける。わたしもつられて見上げれば、おばあちゃんがいる病室から見たときよりも、入道雲は近づいていた。雨が降らないといいんだけど。
「はい。大丈夫です。ここの空気も僕に合っているみたいなので」
「……? 遠くからやってきたってこと?」
「すごく遠いところから、船で来たんです」
船っていうと、ハルミちゃんのことを思い出しちゃって、宇宙船が浮かんできちゃう。でも、男の子は宇宙船じゃなくて、普通の船、フェリーとかでここまでやってきたってことだよね。それってすごく、大変そう。
「一人で?」
「一人です」
「すごいなあ。わたしって、一人で旅行なんてしたことないや」
「やってみると案外簡単にできるものですよ」
「そうなんだ。おとうさんに聞いてみようかな……」
わたしを包んでいた緊張は、いつのまにかなくなっていた。さわやかに笑う彼を見ていると、こっちまで明るい気持ちになってくるんだ。心がぽわぽわってして――って何考えてるんだ、わたし。
顔が熱い。たぶん、夏の日差しの中にずっといたからだと思う。
「えっと、今から銭湯に行くけど、ついてくる?」
男の子は、大きく頷いた。
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