第20話 ダンディ・ハート

「本日の勇者学は、魔法について勉強しますよ。アリサさん、ちょうど怪我をしていますね。前に来てもらっていいですか」



 6限の「勇者学」が始まった。おでこにたんこぶを携えたままの俺は、ユイ先生に呼ばれ、教卓のところへ歩いて行った。



「先日サキノさんが言ってくれた通り、勇者には魔法を使えることも求められます。魔法使いや僧侶、賢者の人ほど、強力な魔法を習得する必要はありませんが、攻撃魔法、回復魔法、補助魔法、あとは探索魔法など、満遍なく一定の水準で身に付けていかなければなりません」



そう言いながらユイ先生は、俺のたんこぶに右手をかざした。



「例えばこれは、多くの人が1番初めに習得する回復魔法ですね」



 ユイ先生は「プチーユ」と唱えた。するとたんこぶを覆う右手から、緑の光が霧のように、モヤモヤと流れ出し、俺のたんこぶに吸収されていった。魔法を吸い込んだたんこぶは、みるみる小さくなっていき、痛みもどんどん引いていった。遂にたんこぶは完治して、パラパラと拍手が響き渡った。



「アリサさん、ありがとうございます。席に戻ってください。今のが回復魔法『プチーユ』で、初心者でも比較的習得しやすい魔法です。もしかしたらこの中には、より強力な回復魔法『フチーユ』や『ガチーユ』を使える人もいるかもしれませんね」



 俺はサキノの隣にある自分の席に座った。「勇者学」のエリート風な雰囲気にまだ慣れていない俺は、こちらを睨んだサキノの眼光に緊張した。彼女の目は、大仏になったり窓から突っ込んできたり、座学なのに体操服を着たままの変な奴が、勇者になんてなれるかというような疑念に渦巻いていて、それは至極真っ当な洞察だと思った。



「魔法は無限に使えるわけではありません。自分の中にある魔力を使い果たすと、当然それ以上魔法を使えなくなります。強力な魔法ほど必要な魔力も増えますね。魔力が枯渇したら、眠るなどゆっくり休んで回復させてください。『キツマイモ』という魔力を回復させるお芋もあります。これから1年間、みなさんには魔力の量を増やし、新たな魔法を習得する修行をしていただきます」



するとユイ先生は俺たちに、1枚ずつ真っ白な紙を配った。



「その紙に現在使用できる魔法を全て書いてください。それを見て、これから習得に挑んでもらう魔法を指示します」



 俺以外の3人は、羽根ペンにインクを付け、魔法の名前を羅列し始めた。俺は荷物を更衣室に置いたまま、この教室に飛んで来てしまったので、筆記用具を持ち合わせておらず、どうしようかとまごついた。



 そうしておたおたしていると、一心不乱にペンを走らせるサキノの形相が目に入った。やたら目との距離が近い彼女の紙を、横からこっそり覗き見ると、「マチャッカ」「エアリ」「プチーユ」「シルド」などの名前が、語の先頭がズレないように、キッチリした字で列挙されていた。



「何見てんのよ」



 彼女は俺の視線に気づき、煩わしそうに睨み返していた。不意の彼女の睥睨に、俺は口から心臓が飛び出そうになった。嘘である。実際に口から心臓が飛び出た。




 空中で体を捻りながら、華麗な着地を決めた俺の心臓は、机の上をてくてくと歩き、サキノの目の前に移動した。ボウ・アンド・スクレープ、紳士的にお辞儀をした俺の心臓は、状況を全く理解できないサキノに対し、ダンディな声で話し始めた。



「こんにちは、マドモアゼル。俺はアリサ・シンデレラーナの心臓、アリサ・ハート。以後お見知りおきを」



混乱した様子のサキノは、口をあんぐりさせたまま、とりあえず小さく頷いた。



「俺が君にお願いしたいのは、どうかひとつ書くものを貸してくれないかということなんだ。生憎俺たちは筆記用具を更衣室に置いてきてしまった。このままだとティーチャーがせっかくプレゼントしてくれた紙に、熱いメッセージを残すことができない」



 サキノはゆっくりと、俺との間に置いてあったペンケースを開き、もう1本の羽根ペンを取り出した。それをアリサ・ハートに手渡すと、俺とは反対側にあったインク壺も、俺のそばへ移動させた。



「メルシー!ありがとう!それでは君とは、しばしの別れだ!アデゥー!」



 アリサ・ハートは羽根ペンを大事に持ち上げて、俺の目の前に戻ってきた。そして羽根ペンを紙の上に置くと、再び華麗なジャンプを見せ、俺の喉奥へ消えていった。




「ぐあぁっ!!!!」


「どうかしましたか?アリサさん?」


「いえ先生、何でもないです」



 心臓を失い、脳への血流が停止していた俺は、無事意識を取り戻し、活動を再開した。それから未だ白い紙の上に、自分のものでない羽根ペンを発見した。その経緯をなぜか俺は、頭より心で記憶しており、隣ではサキノが、おそるおそる俺の様子を伺っていた。俺もそちらへ顔を向けた。



「あの……これ……ありがとう………」


「い、いいのよ。勇者なら人を助けるのは当然だわ」



 サキノはすぐに目を背け、再び自分の紙に集中した。俺もまた、彼女同様羽根ペンの先にインクを付け、まずは自分の名前を書き記す。次に魔法の名前を書こうとしたが、一瞬にして手が止まる。




使える魔法1個もねぇ!!!




 俺はペンを借りた意味をほとんどなさないまま、名前以外は白紙の紙をユイ先生に提出した。ペンを返すときも、何故わざわざ借りてきたのだというようなキンキンに冷めた目を、サキノから向けられ、やたら気まずかった。心臓が速く動いていた。





「えー、ツリーフさんはさすが3年生なだけあって、使える魔法も豊富ですね。正直これだけ使えれば十分なのですが、もっと力をつけたいのなら、雷の上級攻撃魔法『ゴロロンパ』を目指しましょうか」



「ドゴーさんは近接戦闘の方が得意で、魔法はまだまだ成長中ですね。次は風の中級攻撃魔法『エアール』の習得を目指しましょう」



「サキノさんは1年生にしては、幅広く魔法を覚えていますね。中級回復魔法『フチーユ』を次に目指す魔法としましょう」




「アリサさんは、まだ1つも魔法を覚えていない状態ですか。大丈夫です。魔力さえあれば、魔法は覚えられます。魔力がなければ無理ですが、アチーナ先生が伸びしろを直感されたのだから、きっと大丈夫でしょう。後で魔法の習得についてお話しますね」



 ユイ先生は淡々と、魔法を使えない俺にコメントをくれた。過度なフォローでも叱責でもなく、あくまで淡々としていた態度が、俺には大きな救いであり、この先生の思いやりだった。




 今日も授業は例に漏れず、チャイムが鳴るより早く終わり、勇者学の他3人は、それぞれ席を立ち去った。俺が居残るため座り続けていると、帰り際にドゴー先輩が話しかけてきてくれた。つと先輩の女子高生が話しかけてきたのに対し、俺はピカソのキュビズム絵画みたいな、多角的視点を平面に凝縮した倒錯的姿となった。ドゴー先輩は少しおったまげながらも、こう言ってくれた。



「アリサちゃん、あーしも魔法ちょー苦手だから、一緒にガンバろね~」



 俺はその温かさに泣いた。






 ユイ先生から魔法の習得方法について教わると、俺も教室から立ち去り、闘技場へ荷物を取りに向かった。まだ授業中なので誰もいない更衣室に入り、荷物を回収して外に出ると、ちょうど6限終わりのチャイムが鳴った。


 闘技場から寮へと帰る道の途中、メイが寮とは反対方向へ走っているのが見えた。「おーい!メイー!」と俺が呼ぶと、メイもこちらに気づき、手を振った。



「どうしたん?勇者学行ってたんちゃうん?」


「いやちょっと闘技場に忘れ物しちゃってて。メイはまた放課後にどこ行くの?サークルとか入ってるの?」


「や~、これもまた秘密ってことにしといてくれへん?ほんまごめん!ほなまた月曜な!」



そう誤魔化しながらメイは、そそくさと走り去っていった。


 メイはいったい何を隠しているのだろう。ミツキさんが話しいていた、メイがこの学園にやって来た謎とも関連があるのだろうか。


 しかし今日友達になったばかりの相手に詮索を入れすぎるのは無粋であり、明日から魔法の練習に励むため、今日は早めに寝てしまいたかったので、俺はこの問題をいったん保留し寮へ帰った





そして初めての休日がやって来た!

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