第15話 雨空を翔ける
ルルップが予測した通り、2人は武道場の裏にいた。サーッと雨音を鳴らす地面に、ヒメカが背中から倒れ込む。その右手では長い太刀が刃を光らせていて、軽やかにヒメカへ近づく女、ナナ・グレープスターの両手でもまた、短剣が研ぎ澄まされていた。
身に刃が通される苦痛を、俺は知っていた。どんな理由で2人が今、剣を交えているのかは分からない。この世界には僧侶や賢者がいて、回復魔法を使えば傷を治せるということも、既にジジから聞いていた。それでも同じ学園の中学生2人が、あのむごたらしい痛みを生み出しかねない危険なやり合いをしていることに、俺は耐えられず、ヒメカの金属バットを握り締めて、間に割って入った。
「何をしてんだ、お前たちは!!!」
「何だこいつ!?邪魔すんな!!」
ナナ・グレープスターは体を捻り、右足で蹴りを入れてきた。不意の攻撃ではあったものの、俺はそれを適切にかわす。すると彼女は焦りを見せ、むやみに両手の短剣で斬りかかってきた。俺は、彼女の手に当たらないよう注意しながらバットを振り、左右の刀身に1発ずつ、打撃を加える。すると彼女は目論見通り、両方の短剣を手から落とした。武器を失い、たじろいだ彼女を、俺は地面へと抑え込む。
「1回落ち着け!!大人しくしろ!!」
「ちくしょう!!こいつやりやがる!!」
「お前は女子中学生だろ!!女子高生でない限り、俺は簡単にやられねえぞ!」
「わけ分かんねぇ!何言ってんだこいつ!」
「その代わり来年になれば、俺はお前に瞬殺で負ける」
「何言ってんだこいつ!!!」
ナナはしばらくじたばたしてから、ふと諦めて抵抗をやめた。十分に落ち着いたことを確認できたので、俺は彼女を自由にした。
「姉貴、そんな強かったんすか………」
太刀を掴んだままのヒメカが、そばで呆気に取られている中、ルルップも近くに寄ってきた。
「ナナ…………」
「ルルップ…姉……」
本当の姉妹ではないのだが、ナナはルルップをそう呼んでいるらしかった。
それから俺たちは、これまでの経緯をヒメカから聞いた。しかし説明が進むにつれ、ルルップの表情が沈んでいった。
「何か………私のせいで、こじれちゃった感じだね……ごめんね………」
「待っ……違う………!ルルップ姉のせいじゃ…………」
「はぁん?てめぇが姉御のことを、イカれたバケモノとかぬかしたんだろうが!」
「ヒメカ……いいの………私バケモノなのは本当だから…………」
「ねぇナナちゃん。ナナちゃんは本当にルルップのことを、バケモノだと思っているの?」
「………………」
「アリサの姉貴、そう言ってんだから、そう思ってるに決まってるじゃないですか」
「人は思ってることを素直に表現できるほど利口な生き物じゃないよ。時には逆を言うこともあるし、あえて何も言わないことだってある」
「そういうもんすか………」
「ナナちゃん。それでも今は、君の素直な気持ちを聞きたいな」
雨が降り続いている。俺たちの服も、髪も、顔も、びしょびしょに濡れている。視界も悪い。だから彼女が泣いているのか、涙からは推察できない。
ナナは心を打ち明けた。一昨年の秋、自分を痛めつけたルルップが、至極恐ろしかったこと。あれからルルップを心から、信じられなくなったこと。ルルップを信頼できないことが、また辛いことであるということ。ヒメカが羨ましかったこと。盗賊である自分とは違い、同じ戦士であったこと。ルルップを心底信じることは、自分にはできないことだったこと。でも暴走を知らないでいる、無知な楽観が鼻についたこと。自分でも自分の気持ちが、よく分からなくなっていること。ルルップのことを本当は、大好きなはずであるということ。
突如雨の向こう側から、下品な声が響いてきた。
「ナナ!あたしたちが助けるよ!」
「貴様ら!ナナにちょっかいを出すなぁ!」
「ナナが可哀そうよ!嗚呼可哀そう!可哀そう!」
離れた場所で傍観していたナナの取り巻きたちが、俺たちに囲まれてうつむくナナを見るに見かね、ギャーギャー騒ぎ出した。すると何本ものナイフが一斉に、ヒメカと俺めがけて飛んで来た。
「危ない!!!」
ヒメカから太刀を奪い取り、即座に全てのナイフを振り払ったのはルルップだった。無駄な動きも力みもない、あまりに見事な太刀捌きだった。ナナは立ち上がり、取り巻きに対して怒鳴りつけた。
「お前ら!!余計なことすんなって言っただろ!!!」
「アリサの姉貴!!!ルルップの姉御の様子が変だ!!!」
目の前では、ルルップの全身の筋肉が膨れ上がっていた。太刀を持つ手はごつごつと、岩石のように硬化している。ツインテールの髪が逆立ち、鋭い牙がきつく食いしばられ、目に狂気が帯びる。黒い靄を纏いながら、ルルップは正気を失い、豪快に吠えた。
「ボァオオオォォォオオオォォ!!!!!」
これが武器を持ち、正気を失ったルルップ。俺は雨に濡れた肌でもなお、冷や汗が流れるのを感じた。その姿は異様で、圧倒的で、不可思議的だった。
ナナは腰を抜かして尻もちをつき、ガタガタと震えていた。息が途切れ途切れになり、蒼白した顔面ではもはや、目の焦点が合っていないようだった。
「ルルップ!!目を覚まして!!!太刀を捨てて!!!」
俺は呼びかけを試みたが、ルルップの耳に届いた様子は一切なかった。彼女は筋肉をほぐすように軽く肩を動かして、ゴキゴキと首の関節を鳴らすと、全身を妙に脱力させて、取り巻きの方へ歩き始めた。ナナの取り巻きたちもまた、恐怖で身が固まってしまい、逃げ出せずにいるようだ。
とにかくルルップを止めなければならない。彼女の手から太刀を取り上げなければならない。絶対これ以上ルルップに、誰かを傷つけさせてはならない。彼女の心から大好きな剣を、遠ざけさせることがあってはならない。
彼女は戦士。戦いに生きる者。
「ルルップ・ベル!!俺と勝負だ!!!」
俺がそう叫ぶとルルップは、ゆっくりこちらに振り向いて、そういう彫刻のように均整のとれた、美しい姿勢で太刀を構えた。俺もまた、恐怖で肩をすぼませながら、相手へヒメカのバットを向ける。
春雷が鳴った!
俺とルルップは一斉に走り出し、お互いの武器を思いっきり振るう。
ギイイイィィィィンンンン!!!!!
雨音の楽譜に穴を空けるよう、武器同士の衝突音が、激烈に轟き空気を揺らした。ルルップは太刀を離さないまま、独りその場で立ちつくした。自我を失った表情からは、なぜか戸惑いが感じ取られた。その場で状況を眺めていた、ヒメカやナナ、取り巻きたちも、ポカンと口を開いたまま、呆然としていることが分かる。落胆の気持ちもちょびっとだけ、その様相には含まれていた。
そんな彼女らのたたずまいを、俺は上空から望んでいた。上空から彼女らを見て、すぐに視界から見失った。
女子高生であるルルップに、俺が敵うはずがなかった。衝突の際、巨大な音こそ轟かせはしたものの、俺は大空の彼方向こうへと、軽々吹き飛ばされてしまった。遥か遠い下方にある地面と身体を平行にし、ミサイルのように物凄いスピードで空を縦断している俺は、顔面を雨に打たれながら、自分の情けなさを悔い、どこまで行ってしまうのだろうと、少し悲しい気持ちになった。
そうして俺は学園から、遠くへ遠くへ消えていった。
ゆえに、ここからはその夜206号室で、リトスの温かいシチューを食べながら、ヒメカに聞いた話の一部始終である。
俺が雨空の星となったことにヒメカたちがきょとんとしていると、しばし停止していたルルップが再び動き出した。引き続きナナは恐れおののき、ヒメカやナナの取り巻きたちも、為す術がなくて狼狽していたところ、ヒメカとナナの背後から、1人の女子高生がおでましになった。
華麗で美しい銀髪の彼女は、去年まで中等部で生徒会長を務めていた、誰しもが知る学園のカリスマ、サイカ・ホワイトスノーだった。今年入学したばかりのヒメカやリトスでさえも、サイカの噂は聞いていたらしい。
「ルルップ!サイカよ!返事して!!」
サイカも何度か呼びかけはしたものの、やはりルルップは反応を示さず、持っている太刀を振りかぶりながら、3人の方へ突進してきた。
「力ずくで止めるしかないようね」
「おい!やめとけ!ルルップの姉御はとんでもねぇ力の持ち主なんだぞ!しかも正気じゃねぇ今戦ったら、あんた怪我じゃ済まなくなる!」
「大丈夫よ。私の属性最強だから」
そう言いながらサイカは手のひらに人らしき字を3回書き、飲み込んだ。そしてルルップを真っ直ぐ見つめると、彼女の背中から大きな翼が出現した。体中が白い鱗に覆われていき、艶のあるサラサラの長髪が、凛としたたてがみへと変貌していく。頭からは2本の、力強くも気品のある角が生えてきて、太く逞しい尾も長く伸びていた。身体もぐんぐんと大きくなり、手足からは鋭く堅固な爪が伸び、牙もまた、引き裂けないものがないのではと思わせるほどのものだった。
サイカ・ホワイトスノーはドラゴンだった。最強レベルの属性を持つ彼女に、暴走したルルップが飛びかかる。しかし逆にルルップは押さえつけられて、手から太刀を取り上げられた。
ルルップはみるみる元の姿に戻り、意識を取り戻した。
「あれ………?」
「ルルップの姉御!よかった!元に戻った!」
「ルルップ姉………!」
「2人とも……ごめんね……また危ない目に遭わせちゃったみたい………」
「あたいたちは無傷ですよ!」
「そうだよ……ルルップ姉………」
「よかった………ってええっ!?ドラゴンがいる!?もしかして、サイカ!?」
「そうよ。無事そうねルルップ。よかった。安心したわ」
「サイカが助けてくれたんだね。ありがとう。本当にありがとう……………で、アリサは?」
「今から迎えにいくのよ」
そう言うとサイカは背中にルルップを乗せ、俺が消えていった方角へと、巨大な翼を羽ばたかせたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます