第3話 サリアとジェイド
「……いっ」
「痛ああああああああ……!?!?」
傷口の大きさを加味すれば痛さはそれほどでもない。でも、衝撃的だった。
これまで平和に話をしていた赤ちゃんが、突然攻撃を仕掛けてくるなんて……!
突拍子があまりにもなさすぎる。人間の常識では考えられない辺り、やっぱりこの子、本当にドラゴンだ!!!
「ちょっと!! サリア、一体何の騒ぎなの!!」
あっやばい。本日二度目のやばい事案発生だ。どうやらあまりにも衝撃すぎて、痛みに悶える声が結構響いてしまったようだ。
「え、えっと、スカーレットさん……!」
「何……? 私達は今隣でパーティをしているのよ。それを貴女のきったない悲鳴で台無しにされたわけだけど、どう弁明するつもり!?」
「す……すみませんでした!」
謝りつつも私は赤ちゃんを見る。どうやらまずい気配を察知したのか、リンゴの箱より小さくなるようにして縮こまっている。
それが功を奏しているのだろう、スカーレットさんは赤ちゃんに気付いている様子が全くない……! あとはこのまま突っ切る!
「実は今リンゴを食べておりまして、ナイフで手を切ってしまったのです!」
「はぁ!? そんなリンゴの皮剥きなんて、侍従に任せておけばいいのよ!」
「ああでも!? サリアは
そして、スカーレットさんは扉を壊れそうな勢いで閉めて去っていった。
「……よかったぁ~。あなたのことがバレなくて……それにしても、息をひそめるの、上手なんだね」
「ドラゴンに不可能はないのでちゅ! というかちゃっきの人間、一体誰なんでちゅか?」
「あの人は……私の先輩。私よりも長く聖女やってるから、偉いんだよ」
「むむっ! 人間は生まれた順番によって、偉さが決まるのでちゅか?」
「まあ……大体そうかな」
身分とか考えなければそうかもね。だって先に生まれてきた分、色んなことを知っているわけだし。
「むむ~! 理解できないのでちゅ。ドラゴンにおいては、力こちょがちぇーぎ! ちゅよいやちゅが偉いのでちゅ。そしておれちゃまは一番ちゅよいから、一番えらいのでちゅ!」
「そう来るかぁ」
もはや見習いたいレベルの自尊心の高さ。今どきここまで偉そうにできるの、人間では見かけないもんだ。
「ちゃて! おれちゃまは今気分がいいから、儀式を邪魔ちゃれたことは不問にちゅるのでちゅ。改めてちゅじゅきをやるでちゅよー!」
赤ちゃんはそう言うと、血が止まりかけた私の傷口に口を当て――
時々引っかいて出血を促しながら、ぺろぺろと舐めるのだった。
「うっ……ドラゴンでも血を媒介にして、契約とか、するんだ……」
「古今東西、契約をする時は血とちょーばが決まっているのでちゅ。ぢっちゃいには体液なら何でもいいんでちゅけどねー」
「そうなの? じゃあ、唾液とかでもいいんだ」
「涙でも構わないのでちゅー! でも提供する体液によって、契約の強度が変わってくるのでちゅ。一番ちゅよいのが血! おれちゃまはお前と、最もちゅよい契約を交わちゅのでちゅー!」
赤ちゃんはぱっと傷口から口を離す。そして見るも鮮やかに、今度は自分の腕の鱗が生えていない所に爪を突き立てる。
「ああ……私もやらないといけないんだ」
「ちょーでちゅ! 拒否権はないでちゅよ! おれちゃまに血をちゃちゃげた時点で消え失せたのでちゅ!」
「はいはい、わかりましたよ……っと」
……スカーレットさんが来たタイミング、この時じゃなくてよかった。
「ぺろ……ぺろ……」
赤ちゃんの腕から直接血を舐めているなんて光景、見られてしまったら――
聖女どころかマクシミリアンのどこにも居場所がなくなってしまう。
居場所を失くすなんて経験、あの時以来でもう十分だ。
「……普通の味だ」
人間の血と全く同じ味だった。ドラゴンだからえぐみが強いとか、そんなことは一切なく。赤ちゃんの姿しているからかな。
「何~ぃ? お前、おれちゃまの血にケチつけるでちゅか!!」
「ち、違うよそうじゃない。もっとひどい味を想像していたから、普通に舐められる味だなーって、感心したの」
「ちょーかちょーか! つまりおれちゃまの血は美味いということでちゅね!!」
「ま、まあ……そういうことだね」
そもそも人間は頻繁に血を舐める生物ではありません。うーん、この辺りの感性がやっぱりドラゴン。
「これでお前はちぇーちきにおれちゃまの『てちた』でちゅー! つまりお前は他とは違う特別な人間ということでちゅ!」
「は、はあ。そうなのかな?」
だって私は聖女だし、特別なのはその通り……
「故に! お前は他の人間と区別をつけなければならないでちゅ! よっておれちゃまに名前を教えろでちゅー!」
「……えっ?」
……そういえば、自己紹介していなかった。
赤ちゃんがあまりにも物分かりが良すぎるから――
すっかりしている体で話を進めてしまっていた。
「……サリア。私の名前はサリア……」
「サリアでちゅか。いい名前でちゅね」
「え? ええ? 私の名前は言えるの???」
今まで話した限りでは、さ行の発音が上手くいっていないようだったのに……
「何を言うか! 『てちた』の名前ぐらいちゃんと言えなくてどうちゅるでちゅ! おれちゃまは誇り高きドラゴン、そのぐらいじょーちゃもないのでちゅ」
「つまり、気合でどうにかしているってこと?」
「ちょのとぉーりでちゅ! おれちゃまは最強のドラゴン、ちゅよちゃには気品が伴うものでちゅ。並大ちぇーのドラゴンとも比較にならないのでちゅ!」
「……気品の為だけに、私の名前を……」
その通りだ、その通りなんだ。赤ちゃんの言うことには一理ある。
その通りなのに……私の心はどうして。
この上ないことだと喜んで、縋るように嬉しがるんだろう。
「……ねえ、ドラゴンさん。あなたのお名前はなあに?」
嬉しくなった私は、彼の翡翠色の瞳を見ながら、こう尋ねた。
「ぶっ? ちょんなのないでちゅよ。おれちゃまはちゅよいから、名前なんかに頼らなくちぇも、ちょんじゃいをちょーめーできるのでちゅ!」
「だったらあってもなくても関係ないってことだね。それじゃあ、私、あなたに名前をつけてもいいかな?」
「ぶう~……?」
「……『ジェイド』。私、あなたのことをそう呼びたい」
名前がなくてかわいそう――なんてのは、人間が勝手に抱いたエゴなんだろう。
それでも私は彼に名前をつけたかった。溢れるばかりの輝きに名前をつけて、自分の中に留めておきたかった。
その光は――私の中に染み入ってきて、優しく包み込んでくれた。何故だか、そんな気持ちになったから。
「くぅ……? 『ジェイド』とは、何か意味のある言葉でちゅか?」
「翡翠って宝石があってね。それのことをこう呼んだりもするの。あなたの瞳、まるで翡翠のように美しかったから……」
「宝ちぇき……宝ちぇきだってぇー!?!?!?」
赤ちゃんはこれまでとは一転、大きな声を出してテーブルから飛び降り――
それから落ち着かない様子ではいはいを繰り返し、私の周囲をうろうろしていた。え、今の声でまたバレないかな。ちょっと心配に――
「サリアよ!! ちゅ、ちゅまりお前は、おれちゃまに宝ちぇきのような価値があると、そう言いたいのだな!?」
「え……うん、そういうことに……」
言い切ろうとした直前で、一瞬息を飲んだ。宝石のような価値なんてものじゃない。
「……ううん。宝石以上の価値があなたにはあるよ。ドラゴンってことを差し置いても、あなたはとってもいい子」
褒めすぎかな、と言った直後に思った。でもこれは、私の素直な気持ちを言葉にしただけ。
たったそれだけなのに、こんなにも言葉が溢れてきたんだ。
この子も『言っていい』と言ったわけじゃない。でも、しっかりと言葉を聞き届けてくれた。
「やったー! やったでちゅー! とうとうおれちゃまの価値に気じゅいた人間に出会えたでちゅー!」
両手を挙げて赤ちゃんは――ジェイドは喜んでいる。自分を認めてもらえただけで喜ぶなんて、純粋にも程がある。ドラゴンは自分を認められると喜ぶものなのかな。
「よーち、おれちゃまは今日からジェイドでちゅ! サリアもちゃんと呼ぶでちゅよ!」
「わかっているよ、ジェイド。これからよろしくね」
「よろちくでちゅー!」
ドラゴンは神秘と謎に包まれた生物。そんな生物の赤ちゃんと出会った私には、何が待ち受けているんだろう。
――それが今を
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