第2話 赤ちゃんはドラゴン
「ところでサリア……一つ確認しておきたいことがあるのだが」
「へっ? は、はい何でしょうか……?」
再び長いこと馬車に揺られて、私は教会へと戻ってきた。聖女は国に仕える教会が管理することになっており、ここには私の居室があるのだ。
なので家についた私は仕事を終わり、個人の時間へと戻る――のだが、教会に入っていく前に、共に馬車を降りていたルーファウス様がお声をかけてきた。
「お前、そんなに胸が大きかったか? 僕の記憶ではもう少し小さく……いや、それでも他の聖女と比べるとある方だったと思うのだがな?」
「あっ、えっと……それは」
まずい所を突かれてしまった。胸には赤ちゃんを入れたままにしてある。何とか馬車の中では我慢してもらって、部屋に入ったら開放しようと思っていたのだ。
ルーファウス様は気付く様子もなかったので、何とかいけると思っていた矢先、直前でのピンチ。えっと、ええーっと……
「今日は巨乳になりたい気分だったんです!」
「何ぃ!? 巨乳になりたい気分だとぉ!?」
「はい、そうなんです……私聖女ですから! 魔法で胸のサイズを操って巨乳になったり、逆に貧乳になることもできるんです!」
「そうだったのか……! これはいいことを聞いた!! 他の聖女もできるかどうか、あとで聞くとしよう!!!」
「はーっはっはっは……! 突然雑務に駆り出され、窮屈な気分だったが、最後にいいことがあった……! 巨乳巨乳巨乳ーッ!!! 最高だーッ!!!」
……どうやら上手くごまかせたみたい。
「またのお越しをお待ちしております、ルーファウス様ーっ!」
馬車を走らせて去っていく彼に、私は別れの挨拶を添えるのだった。
……さて。すれ違う教会関係者への挨拶もそこそこに、私は自分の部屋に戻る。
「ただいまー……っと」
普段そんなことしていないのに、戻ってきたことを部屋全体に知らせる。机とかベッドとかクローゼットとか、生活に最低限必要な物だけが取り揃えられた、質素な部屋。
ここに来てもう5年になるのかな。それぐらいの長い間、お世話になっている。
「ごめんね、結構息苦しかったでしょ……というか、ちゃんと静かにしててってお願い守ってて、すごくいい子……」
中央にあるテーブルまで早足で向かい、私は胸の中をまさぐり出す――
手がローブの中に入った、その瞬間。
「ばっぶう~!!!」
赤ちゃんは自分から飛び出してきた。
「人間! よくやったでちゅ! このおれちゃまが褒めてちゅかわちゅでしゅ!」
……
……えっ。
「えええええええ~……!?」
「竜、またの名をドラゴン。それはちんぴとなじょに包まれた生物でちゅ」
「人間では考えられない……屈強な肉体! 威厳をちめちゅ、でっかいちゅの! 硬くてちゅやちゅやした、きらめく鱗! 振るえば敵対ちた相手を無に帰す、手足のでっかいちゅめ!」
「人間の理では計れない、人間じょころか神も魔も敵わない、ちゅばらちーそんじゃい! それがおれちゃまなのでちゅ~!!!」
……私が言おうとしていた台詞を奪っていった!?
「え、えっと……あなたはドラゴン、なの……?」
「ちょーでしゅ! 見てのちょおーり、角と尻尾が生えているのでちゅ!」
「あ、確かに……」
赤ちゃんはテーブルの上にどっしり座って、私を見下ろす形で話を続けている。
そんな彼をよく観察してみると、確かに赤ちゃん服の下から、尻尾が覗いていた。加えて僅かに服からはみ出ている足や腕には、鱗らしい物が生えている。
そして角は……あ、黒髪に隠れるようにしてあったよ。そもそも生えていたら、出会った時点で気付くか。胸に入れている間も、ちくちくして痛いだろうし。
「むむっ、そのまなじゃしは! おれちゃまがドラゴンであることをちんじていないでちゅね!?」
「え、いやそんなことはないけどちょっと意外っていうか」
「だったらこの部屋を今すぐ燃やちてやるのでちゅー!!!」
「ちょっ、それはやめて!!! えっと、リンゴあげるから!!!」
急いでクローゼットの近くまで移動。そして隣に置いてあった箱から、新鮮な赤いリンゴを取り出して渡す。
「むっ、これは美味そうな木の実でちゅ! おれちゃまに献上ちゅるとな!?」
「はい、はいそうですいくらでも食べていってください」
「いただくでちゅー!」
赤ちゃんはけろっとご機嫌になった。単純な性格……なのは、赤ちゃんだからなのかな?
そして思わず丸ごと渡してしまったけど、赤ちゃんは何の抵抗もなく丸かじりして食べた。赤ちゃんとは思えない力だったから、やっぱりこの子はドラゴンなのだろう。
……にしては、結構上機嫌でリンゴ食べてるけど。ドラゴンは謎めいた生物だから、何を主食にするかも知られていない。案外リンゴは大好物なのかもね。
「はー、これは美味い! やっぱりちょくじはいいものでちゅ! はらがみたちゃれるでちゅ!」
「……そっか。喜んでくれてよかった」
「ちて人間よ! お前はちゃっき『いくらでも』と言っちゃな!? まだあるのか!?」
「うん……結構残ってる。腐らせるのもあれだし、あげるよ」
「おおっ、自分の物を進んで献上するとは、しゅちょーな心がけでちゅ! まちゃに人間のあるべきちゅがた!!」
「そんな……そんなこと、ないよ……」
リンゴを持ってくる……のも面倒臭いので、箱ごと引っ張ってくる。踏ん張ってテーブルに置くと、赤ちゃんはそこからリンゴを取り出して、両手に1個ずつ持っても食べていく。
「美味いー♪ 美味いでちゅー!」
「……」
彼がリンゴを食べている最中、私はずっとその瞳を見ていた。
何度見ても美しい瞳だ。翡翠をそのまま閉じ込めたかのような、輝く緑色。
この美しさはどこから来ているのだろうか。赤ちゃん由来の純朴さ……いや、ドラゴンの持つ神秘性かな。
いずれにしても、ルーファウス様と比べられるものじゃない。ドラゴンである以上、人間とはそもそも住んでいる世界が違うのだから。
……なのにどうして、私の心はすぐに比べたがるんだろう。
「ふぱー! ごちそうだった! うむ、良い働きをちたな、人間!」
赤ちゃんは満腹になったようで、私の方を向いて声をかけた。たくさん食べるつもりでいたようだけど、箱にはまだまだリンゴが残っている。ドラゴンと言っても、赤ちゃんだからお腹の大きさに限界があるみたい。
「良い働きって、リンゴあげただけだけど」
「おれちゃまにちゅちゅんで献上するのは、良き人間の証拠でちゅ! ちょれにおれちゃまは、お前に危うい所をたちゅけられた!」
「あ、そういえばそうか……」
火の中で元気にはいはいしていたのも、ドラゴンだから納得できる。さっきこの子が言った通り、ドラゴンは人間の理からかけ離れた存在だから。
――火の中と言えば、一応聞いておこうかな。
「ねえ……町が燃えた理由、何か心当たりない?」
「ぶ? そんなのちらないでちゅ。おれちゃまが目をちゃました時には、もう燃えていたでちゅ」
「そっか……」
ドラゴンだから偶然生き残れたのかな。ドラゴンは鱗が硬いから、火なんてどうということはないだろう。
「でも、あの状況が危ないって……具体的には何が危なかったの?」
「みちぇのとぉーり、おれちゃまは力を失くしたよわよわの状態でちゅ。この状況で『りゅーてー』なぞに襲われたらイチコロでちゅ!」
「そうなんだ……」
竜帝……童貞? やだ、何言ってんだろ私。とにかくこの子が偉そうな態度で話すものだから、完全に話のペースを握られているな。
まあ、喋る赤ちゃんってだけで珍しがって、傍観している私にも問題はあるけど……
「決めたでちゅ! お前は今から、おれちゃまの
「え、手下? 何を言って――」
私の問いに一つも答えようとせず、赤ちゃんは私の腕に爪を立て――
ぐっと力を入れ突き刺す。傷がついた皮膚から、赤い血が噴き出した。
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