第39話 安心(∥川崎side)

 彼女は、料理も上手かった。私も家の手伝いで作る事はあるけど、彼女の料理はそれを遙かに超えていた。挙げ句は、デザートすら出してくれる始末。彼女は食器の片付けを終わらせると、今度は浴室の場所を教えて、私に「汚いところだけど。お湯は、一応出るから」と言った。「好きなだけ入って良いよ?」

 

 私は、その言葉に頭を下げた。浴槽の状態を見て、「普段は、シャワーなんだろう」と思ったけど。(一応)お客様である私が自分の家に来た事で、私にお風呂の使用を許してくれたらしい。


 私が遠慮がちに「これくらいかな?」と呟いた時も、それに「大丈夫」と微笑んでくれた。私はそんな厚意が嬉しくて、彼女の事を想わず抱きしめてしまった。「本当にありがとう! マジで、助かります!」

 

 彼女は、その言葉にうなずいた。私への厚意と同情を込めて。彼女は私の体を放すと、私に「ごゆっくり」と言って、リビングの方に戻った。「ドライヤーは、洗面所に置いてあるから」

 

 私はまた、彼女の厚意にうなずいた。もう、本当に凄い。何から何まで揃っている。「汚い」と言っていたお風呂も気持ちよかったし、シャンプーやリンスの趣味も完璧、ドライヤーも良い奴を使っていた。


 私は彼女のドライヤーで紙を乾かすと、彼女が持ってきたらしいパジャマに着替えて(少し小さかったが)、彼女のところに戻った。「ありがとう、本当に最高だった!」

 

 彼女は、その言葉に喜んだ。喜んで、私に「こっちも、良かったよ」と言った。彼女は自分のスマホを弄って、私にスマホの画面を見せた。スマホの画面には、彼女の働いていた喫茶店が映っている。


「店長に話したらさ、


「はい?」


 何を言っているのだろう? 一人を雇ってくれるって?


「それは」


「もちろん、貴女を。私も、二人分の生活費は払えないからね?」


「な、なるほど」


 それで、店長に話したのか。私がこちらの生活に困らないように。当面の生活基盤を見つけてくれたらしい。


「でも」


「うん?」


「それが一体、いつまで続くのか?」


 下手したら、一生……。


「ここから帰れないかも知れない。こっちに来た方法も、分からないんだから。来た方法が分からないじゃ、帰る方法も分からない」


 だから、こんなのは無駄。「ただの誤魔化しでしかない」と思った。ただの誤魔化でしかないなら、もっと根本的な事を考えなければならない。


 私は自分の幸運に「ホッ」とする一方で、その暗部に絶望を覚えた。「私、どうやって生きていけば良いんだろう?」


 こっちの世界に家族は居ない。親戚も恋人も、そして、友達も。全部、全部、向こうの世界だ。(お母さんから聞いた話では)自分の身分を証す、戸籍登録も無い。それに類する情報もみんな、あっちの世界に置かれたままだった。


 何の証明も無い私が、「証明が必要な世界で生きていける」とは思えない。私は異常の弊害はもちろん、現実の問題にもうなだれてしまった。「私は、普通の人間なのに?」


 立木さんは、その続きを遮った。そうする事で、私の気持ちを癒すように。「私もね? 実家を出る時、すごく寂しかった。周りの人達には、『大丈夫』って言ったけど。寂しい気持ちはやっぱり、抑えられなかった。自分がこうして、友達と向きあっている時も」


 だから、頑張ろう。彼女はそう、私に言った。私の事をまた、抱きしめて。「来られたのならきっと、帰れる。一方通行の道もあるけど。貴女の道は、絶対に一方通行じゃない」

 

 私は、その言葉に胸を打たれた。それこそ、「うわん」と泣きくずれる程に。彼女の体に抱きついては、その不安を吐きだしたのである。私は自分の気持ちが落ちつくまで、彼女の体を抱きしめつづけた。


「立木さん」


「真央、で良いよ? その方が好きだしね。私も川崎さんの事、『智世』って呼んで良い?」


 それに「うん」とうなずいた。断る理由がなんて、あるわけない。「良いよ、良いに決まっている! 真央は、私の恩人だから」


 私は「ニコッ」と笑って、両目の涙を拭った。そうしなければ、この心が砕けてしまう。真央が私の体を抱きしめているけれど。それに「いつまでも甘えてはいられない」と思った。私は彼女の体を放して、相手の目を見かえした。相手の目は、私以上に潤んでいる。


「私、頑張るよ。真央のために、私を待っている」


「人のために?」


「そう。私はたぶん、向こうでは行方不明になっているから。みんなもきっと、心配している。私は、みんなに心配を掛けたくないんだ」


 真央は、その言葉にうなずいた。私の頭をそっと撫でて。「私も、手伝う。智世が向こうに帰れるように。私も、自分のできる事をするよ!」


 私は、その言葉に救われた。自分の知らない土地でまさか、こんな友情を受けるなんて。普通の高校生でしかない私には、文字通りの救いだった。私は(彼女の案内で)家の寝室に行き、床の上に布団を敷いて、その毛布にゆっくりと包まった。「お休み」


 真央も、それに「お休み」と返した。真央は私の頬を撫で、私がそれにうっとりしたところで、ベッドの上に寝そべり、毛布の中に入った。


「また、明日」


「また、明日」


 私は彼女の寝息に会わせて、その瞼をゆっくりと閉じた。瞼の裏にある、安心感と共に。

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