第38話 諦め(∥武部side)

 見知らぬ世界に不安しかないが、今は彼に頼るしかない。彼の善意に甘えて、その厚意を受けるしかなかった。僕は彼の案内に従って、その家に向かった。彼の家は、遠かった。今の場所から距離があったし、その道中にも不安しかない。自分の知っている場所が、自分の知らない場所になっていた。

 

 僕はそんな異変に怯えながらも、一方では妙な安心を抱いていた。ここには、あの二人が居ない。僕の精神を悩ます少女達が、この世界には見られなかった。川崎智世の家を見た時には、流石に怯えてしまったものの。それ以外は、別に怖くなかった。


 僕は不思議な感覚を覚えたままで、彼の家に向かった。彼の家は、川崎家の隣。しかも、行った事のある家だった。「文美の家」と思った場所、そこが大上君の家だったのである。

 

 僕はその事実に驚いたが、それ以上に驚く事が起こった。大上君の声に応えた女性、それがあの時にあった女性だったのである。女性は僕の顔をまじまじと見たが、大上君からアイコンタクトを受けると、それに「はい、はい」と応えて、家の中に僕を通した。「訳ありなんでしょう? 細かい事は、良いから」

 

 僕は、その言葉に救われた。彼女と前に会った時もそうだが、彼女はとても親切な人らしい。大上君と似て無愛想な人だが、家の中に僕を通した態度はもちろん、それから自分の家族に事情を話した時も、大上君とのアイコンタクトを通して、それっぽい嘘を作ってしまった。


。その時も何だか、困っていたようだし。あたしは、全然気にしないから」


 彼を泊めても良いでしょう? そう加えて、自分の両親を見た。「何かやらかしたら、すぐに追いだして良いし。あたしも、そう言う方面に知り合いが居るから」


 彼女の両親は、その提案に押しだまった。普通に考えれば、こんな事は受けいれられない。町の警察か児童相談所に任せる話である。一般人がどうこうすべき問題ではない。両親はそう考えたようで、彼女の提案にも苛立ってしまった。


「『人助けが悪い』とは、言わない。でも、これはダメだ。何の権限も無い人が、他人の子どもを預かるなんて。俺達は、国の役人じゃないんだぞ?」


 彼女は、その言葉にうつむいた。大上君も、それに「うっ」とうなだれた。二人は両親の正論を受けて、その場にしばらく立ちつづけた。が、その沈黙に一つ。大上君が爆弾を投げた。彼は両親の前に歩みよって、その顔をゆっくりと見わたした。


「じゃあ、どうすれば良い?」


「え?」


「コイツは、どうすれば良い? 帰る家も無くて。コイツは」


「ちょっ! 待ちなさい。『帰る家が無い』とは、どう言う意味だ?」


 大上君は、その疑問に息を吸った。それに精神を研ぎ澄ませて。「信じられないかも知れないが。コイツは余所の世界、平行世界から来たんだよ。何かの事件に巻きこまれてね? この世界に飛んできたんだ」


 彼の姉も、その言葉に続いた。「今の話を聞いて、あの謎がようやく分かった。この子がどうして、自分の家を間違ったのかも。そして、ここを『幼馴染みの家』と思ったのかも。今の話が『本当だ』とすれば、その答えがすべて分かるんだ。彼はここではない世界、こことよく似た世界から来たんだって。私は、その目撃者になった」


 二人の両親は、今の話に黙った。今の話が、あまりに衝撃過ぎて。恐らくは、考える事を忘れたのだろう。僕がたまたま見た二人の母親も、今の話に呆然としていた。両親は互いの顔を見合ったが、やがて「そんな事、信じられない」と話しはじめた。


「そいつをさっさと追いだせ! お前達は、そいつに騙されているんだ。『自分は、余所の世界から来た』と言って。普通の感覚では、ありえないだろう? 訳ありの人間が嘘を付くのは、それしか逃げる道が無いからだ」


 追いだせ。二人はまた、繰りかえした。僕の腕を掴んで。「お前達がやらないなら、私達がやろう」


 大上君は、その言葉に刃向かった。その姉も、弟の後に続いた。二人は両親の暴挙を「止めよう」としたが、父親の抵抗が予想以上に強くて、家の廊下を進んだ時にはもう、玄関の外に僕を放り投げていた。「おい、警察に電話しろ! 。訳ありを装って、家の金品を盗む人間だよ」


 母親も、その指示に従った。「平行世界の存在」を信じるよりは、そちらの方がずっと現実的である。僕は(彼等の認識から言えば)そう言う道に通じた、「犯罪者」と言うわけだ。


 犯罪者は、司法に任せる。彼等が取った行動は、至極まともな事だった。二人は母親が警察への通報を受け持ち、父親が子ども達の制止を受け持った。「あんな奴には、関わるな! そうでないと」

 

 大上君は、その声を無視した。無視して、「武部、逃げろ!」と叫んだ。「警察が来る前に。お前には、帰らなきゃならないところがあるんだろう?」

 

 僕は、その返事に戸惑った。特に「帰らなきゃならない場所」と言う部分、これには妙な抵抗を覚えてしまった。今の状態で向こうに帰っても、待っているのは地獄。あの苦しいハーレム地獄だけだった。あのハーレム地獄に戻れば、この精神がまたおかしくなってしまう。「だったら……」


 僕は無感動な顔で、大上君の声を聞きつづけた。遠くから聞こえてくる、パトカーの音と共に。

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