第36話 大上の厚意(∥武部side)

 武部結。彼にそう名乗った瞬間、相手に「なっ!」と驚かれた。僕の名前を知っているわけがないのに。それを聞いただけで、その表情を変えたのである。彼は僕の顔をまじまじと見たが、やがて「そんな事」と唸りはじめた。「ありえない。SFの世界じゃあるまいし、名前が同じなのも……いや」

 

 偶然、らしい。僕には分からないが、そう言う答えが出たようだ。僕が彼に話しかけた時も、その答えにうなずいていたし。その眼光が鋭くなった時も、今の疑問を忘れてしまった。彼は自分の頭を何度か掻いて、例の川崎智世(もしかして、あの子か?)に電話を掛けた。


 が、やはり出ないらしい。電話の呼び出し音は鳴るらしいが、肝心の相手がまったく出ないようだった。彼は自分の抵抗を諦め、ポケットの中にスマホを仕舞った。「おかしなところがあったら、言え。お前は、余所の世界から来たのか?」

 

 沈黙。いや、思わず黙ってしまった。彼からまさか、そんな事を聞かれるなんて。僕自身もまったく考えていなかったからである。僕は彼の顔を眺めたまま、その異様な質問に立ちつくしてしまった。


「『余所』って、そんな。僕は、ただ」


。だが、こんな事はおかしい。智世の家に訪れたのも、お前と同じ武部結だった。武部結は『自分の家』と思って、智世の家を訪れている。そして、今回も」


 僕は、その言葉に参った。これはもう、素直に話した方が良いかも知れない。相手は「自分がおかしくなった」と思っているかも知れないが。「余所から来た」と言う僕の方が、相手よりも「ずっとおかしい」と思った。同じ日本の、同じ地方に居て、「自分の家が分からない」と言うのはおかしい。


 僕は声の調子を落として、自分の周りを確かめた。周りにこれから話す事を聞かれないためである。「信じて貰えないかも知れないけど。僕は……たぶん、向こうの世界から来た。漫画の世界とかにある、平行世界から。今の状況から察すると。僕はまた、こっちの世界に迷いこんだんだ」


 彼は、その推測に眉を潜めた。今の推測を怪しんでいるのかも知れない。あるいは、こんな事を考える僕に呆れているのかも知れない。僕の目からは何が真実かは分からないが、彼の態度を見る限り、そう考えるのが自然なようだった。


 彼は自分の顎を摘まんで、僕に自分の想像を話した。「お前の考えが、『正しい』として。平行世界の存在がもし、『本当だ』とすれば。お前と同じ状況になっている奴が、少なくとも一人。向こうの世界に迷いこんでいるかも知れない。アイツの話が本当なら」

 

 僕は、その話に息を飲んだ。僕以外の人間が、僕と同じ目に遭っているなんて。現実の価値観が抜けない僕には、すぐに信じられない話だったが……。彼の話に出てきた少女、「川崎智世」の名前がそう信じさせる材料になってしまった。


 。「僕がもし、女の子だったら」と言う、ifの自分だった。Ifの自分が、自分と入れ替わっても不思議ではない。彼女はきっと、向こうの世界に飛ばされたのである。

 

 そう考えると、ますますヤバイ事になった。自分の意思で平行世界を飛べるならまだしも、自然現象(と言うべきだろう)が原因ならどうする事もできない。自然の成り行きを待って、元の世界に帰るしかないのだ。


 が、今はそれも危うい。帰る手段が見つからない以上は、この世界に留まるしかなかった。僕は自分の状況を憂えて、その場に「うっ」としゃがみ込んだ。


「どうして、こんな事に?」


「分からない。だが、結果には原因がある筈だ。お前と智世が飛ばされた時点で。SFの世界が、そう簡単にできる筈がない」


 僕は、その考えに顔を上げた。確かにそうかも知れないが、「だから」と言ってどうする事もできない。映画やドラマなら何かのヒントが出てくるが、この現実にそれを望むのは難しそうだった。自然の超常現象に対して、人間の解釈が通じる筈はない。


 僕は今の状態に頭を抱える一方で、これからの事を考えはじめた。「家は、どうしよう? ここが自分の世界でないのなら、僕の家も当然に無い。自分の家に行っても、あるのは」

 

 あの家、川崎智世の家である。彼女の家に行っても、この僕を入れるわけがない。それどころか、門前払いを食らってしまう。家出少年を匿う人は居るかも知れないが、それも一時だけの話だ。ある程度の時間が経てば、その厚意すらも消えてしまう。僕はそんな現実を考えて、彼の周りをゆっくりと歩きだした。「どうしよう? どうしよう? どうしよう?」

 

 彼は、その言葉に目を細めた。それに苛ついたのかは分からない。が、その態度に呆れたわけでもない。僕が自分の未来に苛立つ横で、その様子をじっと見ているだけだ。僕の声を聞いても、その声自体を聞いているだけである。彼は僕の動きをしばらく見ていたが、やがて諦めたように「分かったよ」と呟きはじめた。「二、三日だけだが。俺の家に来い」

 

 僕は、その提案に立ち止まった。今の僕には、最高の提案だからである。見ず知らずの彼に助けて貰うのは、色々な意味で複雑な気持ちだが。僕は少しの沈黙を置いて、彼の目を見かえした。彼の目は、僕の迷いに「大丈夫」と呆れている。


「本当に良いの?」


「俺個人としては、ね。少しの日数は、我慢できる。俺の家族が、受けいれるかは不明だが。それでも、数日なら大丈夫だ。自分の知り合いが、犯罪を起こされたらたまらない。向こうの金はたぶん、こっちじゃ使えないだろうからな?」


 僕は、その言葉に胸を打たれた。普通なら拒まれる内容なのに。今は、その厚意が嬉しかった。僕は厳かな気持ちで、目の前の少年に頭を下げた。


「ありがとう」


「いや、それよりも」


「え?」


「お前の名前。智世からは、『武部結』と聞いているが。その名前で、本当に合っているのか?」


 僕は、その質問にうなずいた。彼の厚意に感謝を込めて。


「うん、合っているよ。僕の名前は、武部結。川崎さんとはたぶん、同じ学年の」


「タメか、なるほどね。それなら色々と」


「君は?」


「うん?」


「君の名前は?」


 彼は、その質問に微笑んだ。まるでそう、僕への友情を示すように。「大上楓。みんなからは、『大上君』と呼ばれている」

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