第29話 ワールドチェンジ(川崎side、三人称)

 悔しい、悔しい、悔しい。あの人にまさか、彼女ができていたなんて。心の底から「悔しい」と思ってしまった。彼の事はずっと、(おそらくは彼女よりも前から)好きだったのに。それがこんな風に裏切られるなんて。彼が大好きな彼女には、とても信じられなかった。


 彼と一緒の世界に居られるなら、自分の存在が消えても良い。元の世界から消えて、彼の傍に「ずっと居たい」と思った。それで自分の未来が潰えても、「そうするだけの価値がある」と思ったのである。彼女は部屋の窓を開けて、そこから自分の町を見わたした。

「会いたいよ」

 

 あの素敵な笑顔に、あの穏やかな態度に。彼の正面に立って、そこから彼の光を眺めたかった。彼女はそんな思いに駆られて、窓の外に「飛びだしたい!」と叫んだ。「こんな場所から、早く! 私は」

 

 そう、捕らわれている。世界の実験台にされて、こんな所に閉じこめられている。自分の両親にも捨てられて。彼女は某施設の、某実験室の中から「逃げだしたい!」と叫びつづけた。「こんな所は、嫌! 武部君、助けて!」

 

 そう叫んだ瞬間に開かれた、部屋の扉。それを開けたのは、白衣を着た研究所の職員だった。職員は彼女の所に走りよると、その身体を捕まえて、ベッドの上に押し倒した。「何を勝手に! 部屋の扉も、勝手に開けて!」

 

 彼女は、その怒声に苛立った。怒声の意味にも苛立ったが、その感情も気に食わない。正直、今すぐにでも泣きさけびたかった。彼女は自分の感情を際して、目の前の男をじっと睨みはじめた。「クソ人間! こんな事」


 そう、許されない。それは職員も分かっていたが、組織の性質上、それを「見せよう」とは思わなかった。職員は彼女の興奮を収めると、今度は椅子の上に彼女を座らせて、その目をじっと見かえした。


「君が叫んだところで、誰の助けも来ない。君は言わば、捨てられた子どもだからね? 生物上では残っていても、戸籍上では残されていない。君は、今の社会には居ない人間だ。居ない人間をどのように使っても、世間の人達には」


 彼女は、その言葉を遮った。それは、何度も聞いた。何度も聞いて、その度にガッカリした。自分が親の都合で売られた子どもである事も、そして、自分には日本の法律が適しない事も。みんな、「嫌」と言う程に分かっていた。


 この場所から逃げだせば、「飢え」と「苦しみ」が待っている。彼女はそんな運命を呪って、自分の頭を「ううん」と掻きむしった。「もう一層、殺してよ? こんな目に遭わせるくらいなら!」

 

 楽にして欲しい。そう訴える彼女に「それは、できない」と返す、職員。職員は部屋のコーヒーメーカーを使って、彼女に温かい珈琲を煎れた。「君が死ねば、世界がおかしくなる。我々が調べた限りでは、ね。君の遺伝子には」

 

 彼女はまた、相手の言葉を遮った。その言葉はもう、聞きたくない。「被害者は……新しい被害者はまだ、出ていないんでしょう? 貴方達が知っている限りでは?」

 

 その答えは、「出ている」だった。彼女の希望を、その願いを踏みにじるように。「残念な柄ね。君が『向こうの世界で好きになった』と言う、武部結。彼とこの世界に居る少女、調査員の情報では、『川崎智世』と言うが。その二人が、ワールドチェンジを起こしたようだ」

 

 彼女は、その情報に言葉を失った。情報の中に出てきた名前、「武部結」の名前にも肩を落とした。彼女は、思わぬ人物の名前に呆然とした。


「武部君は、今?」


。チェンジの影響が、低かったんだろうね? 川崎さんの方も短かったが、彼も同じくらいに短かったようだ。平行世界の同一人物……今回のケースでは、その性別が逆転しているが。それが同じ世界に居るのは、世界のバランスを崩してしまう。君が向こうで武部君と会うには、こちら側に向こうの君を呼びだすしかない。それがたとえ、どんなに酷い事であっても。君が自分の願いを叶えれば」


「分かっている! でも、私の所為じゃない!」


「分かっている。分かっているが、それが現実だ。君は自分の現実を受けいれて、我々の研究に付き合うしかない。世界の飛躍を促すためにも。君は」


「実験動物じゃない」


「だが、人間でもない。生物上では、普通の分類でも。君は、未来の物質なんだ。人間と世界を繋ぐ架け橋。君が武部結を好きになっても」


「『運命』ってわけ? 冗談じゃない。武部君は、普通の人だよ?」


「そうだ。彼は我々が調べた限り、普通の人間。どこにでも居る、普通の少年だ。しかし」


「え?」


「君と結ばれてしまった。相手がそれを知らなくても、彼との縁が結ばれてしまった。君が彼を好きになった事で、この異変がより一層に」


「……私が悪いの?」


「分からない。が、最大の原因ではある。君が世界を繋げられる人なら、そこにも結びがある筈だ。あらゆる世を繋げられるように」


「そんなのは、言いすぎだよ。私は、神様じゃない」


「が、神様に近くはある。普通の人間には、こんな事はできないからね? 普通の人間は、自分の世界しか分からない筈だ。創作や想像の中で平行世界を知れても、その存在自体を知れるわけがない。君は、人間の可能性を作る人間なんだよ」


 少女は、その言葉に口を紡いだ。可能性なんて、そんな物は欲しくない。自分が欲しいのは、普通の青春だ。好きな人と普通に過ごせる青春、それが彼女の欲しい物なのである。彼女は彼の煎れた珈琲を飲んで、テーブルの上にカップを置いた。


「世界は、広い筈なのに。私の世界は、狭すぎる。私が関われる世界は、こんなにたくさんあるのに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る