第20話 カップル誕生(川崎side)

 。なんて言葉があるけれど、今が正にそれだった。自分の殻が割れて、そこに春が流れる気配。春の気配に打たれて、その頬が熱くなる感じ。春の小径こみちにときめく感情が、その表情に表れていた。


 私は、その表情に驚いた。驚いて、「それが自分もある」と思った。くすぐったくも嬉しい感情が、「この自分もある」と思ったのである。私は、目の前の少女にそんな気配を感じとった。「黒岩さん」

 

 勇気を出して。そう、彼女に訴えた。無言の目配りを通して、彼女にそれを伝えたのである。彼女がそれを「嫌だ」と拒んでも、この意思だけは決して曲げなかった。私は彼女に何度もうなずいて、その勇気をうながした。「自分を認めてくれる人は、とても素敵な人だよ?」

 

 彼女は、その言葉にうつむいた。恥ずかしい気持ちと、怖い気持ち。その二つが、こんがらがっているらしい。給仕係の男子は、それをじっと見ているが。見られている方は、その視線に耐えられないらしかった。


 彼女は残りの紅茶を飲みほして、椅子の上から立ちあがった。そして、「わ、私、帰る!」と叫んだが……。それを許せないのが、早見君だった。早見君は彼女の気持ちを察したようで、彼女に(おそらくは、給仕係の男子にも)助け船を出した。


「まあまあ、そう言わずに? 三次元の方も、意外と良いかもよ? 『二次元のキャラ』とは違ってさ? 実際に触られるし。二次元に浸るよりはずっと、『建設的だ』と思うな?」


 二人は、その言葉に固まった。特に黒岩さんの方は、今の助言に戸惑っている。それを見ている男子も含めて、自分の中に葛藤を抱いているようだった。二人は互いの顔を見合って、その様子をじっと窺った。


 ……最初に動いたのは、男子の方だった。男子は彼女の目を見て、彼女に自分の趣味を明かした。「僕もね、そんなに詳しくないけど。実は、二次元が好きなんですよ。みんなが見ている物しか知らないけどね? それでも、好きな事に変わりはない。僕はできれば、自分と同じ人と付き合いたいな?」

 

 黒岩さんは、その言葉に倒れた。最初は「え? え?」と戸惑っていただけだが、やがて地面の上に倒れてしまった。彼女は男子に自分の身体を起こされてもなお、しばらくは呆然とした顔で相手の顔を眺めていた。「わ、わ、『私と付き合いたい』ってコト?」

 

 その答えは、「ダメかな?」だった。男子は穏やかな顔で、彼女の目を見つめた。彼女の目は、今の一言に潤んでいる。「僕も……その、『一目惚れ』って言うか? 君にときめいちゃったし。今の瞬間を逃したらきっと、『後で悔やむ』と思うから。こう言うチャンスは、逃がしたくない。僕は……僕も、こう言うのは苦手だけど。それでも、『頑張りたい』と思うんだ」

 

 黒井さんは、その一言に戸惑った。が、やがて「うん」とうなずいた。周りの視線を浴びる中で、その気持ちに感動を覚えた。彼女は男子の手に従って、床の上からそっと立ちあがった。


「私、メンヘラだよ?」


「別に良い?」


「付き合ったら、絶対に放さないよ?」


 男子は、その言葉に微笑んだ。「そんなのは、別に構わない」と言う風に。「僕も、離れるのは嫌だからね。全部の要求には、『応えられない』と思うけど。僕も僕で、君とはずっと付き合いたい」


 それが決定打になった、らしい。今までは拒否の姿勢を見せていた黒岩さんも、それにはとうとう折れてしまった。黒岩さんは恥ずかしげな顔で、彼に自分の連絡先を教えた。「これ、番号。また、後で」


 連絡はもちろん、遊ぶ約束まで結んでしまった。黒岩さんは人生初の彼氏にウキウキしているのか、しばらくは自分の世界から帰ってこなかった。私達も「それ」を見て、彼女の気持ちを察した。彼女がこうなるのは、「時間もそれなりに掛かるだろう」と思ったのに。


 彼女に相談の話を持ちかけた当日にまさか、「こんな事になる」とは思わなかった。私達は恋愛の不思議と、人生の不思議に笑い合った。「と、とにかく、良かったよ。黒岩さんに彼氏ができて」


 大上君や早見君も、その言葉にうなずいた。二人も二人で、今回の事は想定外だったようである。二人は黒岩さんが「ふわん」としている前で、それぞれに互いの顔を見合ったり、彼女の反応に「やれやれ」と呆れたりした。


「なんかこう、物語みたいだな。少女漫画の話を見ている感じ。コイツはもしかすると、そう言う話の主人公かもね?」


 角川さんも、その意見にうなずいた。付き合う経緯こそ違うが、彼女も(ついこの間までは)似たような物だったからである。運命の導きか何かで、彼女も運命の人と結ばれたのだ。


 そう考えると、やはり物語かも知れない。自分達が「それ」をただ知らないだけで、この世は一つの物語かも知れなかった。


 角川さんはそんな風に考えたらしいが、給仕係の男子が彼女に微笑むと、それに何かを思いだしたようで、彼に「そう言えば」と聞きはじめた。「貴方の名前は、なんて言うの?」

 

 男子は、その質問に微笑んだ。そうする事で、自分の事を知って貰うように。彼は嬉しそうな顔で、私達の顔を見わたした。「伊藤いとう蓮也れんやです。店のオーナーからは、『漣』って呼ばれています」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る