第9話 初恋の約束(武部side)

 告白なんて物ではない。アレは、魔女の誘いだ。僕の意表を突いた、誘い。表裏がある人間の誘いである。自分は、その誘いに掛かってしまった。


 僕は、彼女に呼びだされた。学校の昼休み、学校の校舎裏に呼びだされたのである。僕は校舎の中から響く声や音を聞きつつも、真面目な顔で彼女の顔を見かえした。彼女の顔は、僕に「ニコッ」と笑っている。「話って、なに?」

 

 彼女は、その質問に笑みを消した。それを聞いて、本来の感情を表したらしい。「むすっちってさ、?」

 

 僕は、その返事に言いよどんだ。付き合っているわけではないが、関わっている事に変わりはない。彼女が「それ」を「付き合っている」と言っても、それが僕と彼女の真実で、また同時に事実であった。


 「彼氏」とか「彼女」とか、そう言う次元を超えた関係である。僕は彼女にそれを伝えようとしたが、彼女にはそれが通じなかった。「だから、付き合っていないって。僕達は、ただ……」

 

 彼女は、その「ただ」に目を細めた。それも、僕を射殺すような目で。その目をじっと睨んだのである。彼女は僕の顔をしばらく睨んだが、やがて僕の首に腕を回すと、僕がそれに「あっ!」と驚くのを無視して、僕の口にキスをしはじめた。「う、うううっ」

 

 僕も、その声を上げた。「興奮」とも「歓喜」とも言えない声を。ただ、恐怖のあまりに上げたのである。僕は妙に温かい彼女の唇から逃げて、自分の唇をすぐに拭った。「ちょっ、なっ! 当然、何するんだよ?」

 

 相手は、その質問に答えなかった。僕がもう一度聞いても同じ、今の沈黙を保っている。彼女は僕の前から少し引いて、地面の上に目を落とした。


?」


「え?」


「あぁしの事、ぜんぜん覚えていない?」


「え?」


 覚えていないよ?


「って言うか? 菊川さんと会ったのは、高校が初めてだし? 前にどこかで合った事は」


 菊川さんは、その返事に涙を浮かべた。どこか懐かしい涙を浮かべて。彼女は両手で自分の顔を覆うと、寂しげな顔で自分の涙を拭った。「小さい頃、真向かい」


 そう言われた瞬間に「え?」と思った。僕は記憶の中を巡って、そこから一つの記憶を取りだした。家の真向かいに住んでいた、一人の女の子を。名前も曖昧で、その名字も知らない女の子を。記憶の中にふと、思いだしたのである。


 僕は真剣な顔で、彼女の顔を見かえした。彼女の顔は、「不安」と「恐怖」に怯えている。「まさか? 小学校の時に引っ越した?」


 はーちゃん? そう思った瞬間に相手から「そうだよ?」と言われた。相手は昔の仕草、僕の奥になった記憶を呼び覚ました。恥ずかしげな顔で、自分の髪を掻き上げる動きである。彼女は昔の笑顔で「それ」をやると、今度は嬉しそうな顔で僕の目を見かえした。「思いだしてくれた?」

 

 僕は、その質問に息を飲んだ。そんな質問ができるのは、僕の中で一人しか居なかったから。彼女が私に笑いかけた時も、それに「う、ううん」と迷ってしまった。僕は自分の頭を掻いて、目の前の彼女に「ボソッ」と呟いた。「思いだしたよ。君は、あの」

 

 菊川さんは、その声に微笑んだ。あの時と同じ笑みを浮かべて。「、だよ。親が別れちゃったから、今はお母さんの姓だけどね? 昔は、『離婚』とか『名字』とか分からなかったから。結君にも、自分の渾名あだなしか教えていなかったんだ。自分の名前、あんまり好きじゃないし。学校で『りん』って言われるのも、本当は好きじゃないしね? なんかこう、おばあちゃんみたいな名前でだし? だから」

 

 僕は、相手の言葉を遮った。彼女の正体は分かったが、それでも分からない事はある。自分が僕と幼馴染みなら、僕に『それ』をどうして言わなかったのだろう? 彼女が「自分の幼馴染み」と分かれば、学校での態度も変わる筈なのに。


 僕はそんな疑問を抱いて、彼女の目を見かえした。彼女の目は、(「陽キャギャル」とは思えない)穏やかな光を見せている。「君の事、忘れていてごめん。昔はその、結構遊んでいたのに。僕は君からそう言われるまで、君の事をすっかり忘れていた。本当にごめん」

 

 相手は、その謝罪に首を振った。そうする事で、かつての関係を思いだすように。彼女は真剣な顔で、僕の目を見つめた。


「結君」


「なに?」


「昔の約束、覚えている?」


 その返事に困った。彼女の事すら忘れていたのに、そんな約束を覚えている筈がない。そう僕に訊いた本人すら、自分の質問に苦笑いしていた。僕は自分の頬を掻いて、目の前の陽キャギャルに頭を下げた。「ごめん。その、ぜんぜん」


 菊川さんは、その返事に溜め息をついた。少しは期待を抱いていたようだが、それと同じくらいに「やっぱり」と思っていたらしい。僕の「ごめん」にも、「大丈夫」と微笑んでいた。彼女は「ギャル」とは正反対の態度、どこか大人しい態度で、僕の唇にキスした。


 ……もう一度。「結君とまた会えたら、『その時は恋人になろう』って。結君は、覚えていないだろうけど。あぁし、うんう、私は本気。本気で、『そうしたい』と思っている。結君は、初恋の相手だから」

 

 僕は、その返事に困った。自分の唇に残る、この感触にも困った。僕は「混乱」と「興奮」の混じった思いで、相手の目をじっと見かえした。


「僕は……」


「永山さんと付き合っているの?」


「え?」


「二人の事は、あの頃から知っていたからから。永山さんとはまだ、話した事はないけど。結君は」


「付き合っていないよ? ただ、一緒に居るだけ。学校の放課後にお茶を飲んだり、二人でカラオケに行ったり。僕達は、周りの目が怖くて」


「私は、そんなの怖くない」


 彼女はまた、僕の唇にキスした。今度は、ちょっと乱暴に。僕の事を逃がさないようにして。


「私は……あぁしは、堂々と付き合う。永山さんのように怖がったりしない。あぁしは、むすっちの隣に居たいんだ」


 お願い。そう呟く彼女は、どこまでも綺麗だった。「あぁしと付き合って?」

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