第2話 向こうの世界?(川崎side)

 今日は、大上君とお買い物。そんな気持ちで自分の家を出た私だが、そこから先の流れがどうもおかしかった。大上君が待ち合わせの場所に来ない。と言うか、その場所すらもおかしかった。


 いつも見慣れている筈の公園が、「私の知っている公園」と違う。公園の真ん中に建っている時計も、小さい子ども達が遊んでいる滑り台も、お爺さんが腰かけているベンチもみんな、私の知らない物に変わっていた。挙げ句は、一時間後に流れる音楽も流れない始末。


 私は「自分の頭がおかしくなったのではないか?」と思ったが、「そんなわけがない」と言う気持ちもあったので、(心の不安を無くす意味から)大上君のスマホに電話を掛けた。

 

 が、それに出たのは。それも、私と同い年くらいの少女だった。少女は私の電話に驚いているのか、しばらくは無言を貫いていたが、私が相手に「もしもし?」と言うと、それに「貴女は、誰ですか?」と返した。「?」


  私は、その質問に戸惑った。「どうして?」と聞かれても、分からない。私はただ「大上君」に電話を掛けただけで、彼女に電話を掛けたわけではないからだ。彼女が訪ねた「たけちゃん」も、私の記憶には無い人物である。


 私は相手の返答に怯んだが、それが相手には「挑発」と思えたようで、私の沈黙に「悪ふざけは、止めて!」と怒りはじめた。「ふざけてなんかいません。私は、本当に分からないんです。たけちゃんが誰なのかも。私はただ、に電話を掛けただけで」

 

 相手は、その言葉に怒った。激しい怒り方ではないものの、確かな怒りを感じる怒り方である。相手は私の反論が気に入らないのか、特に「幼馴染」の部分を言って、私に「嘘を付かないで下さい!」と怒鳴った。「たけちゃんの幼馴染は、私だけです! 幼稚園の頃からずっと! たけちゃんは」


 そこから先は、聞きながした。これは、聞いても仕方ない。相手の名前は一応分かったが、それで事態が良くなる事はなかった。私は相手が落ちつくのを待って、相手に自分の疑問を投げかけた。「貴女の気持ちは、分かりました。でも、一つだけ。これだけは、応えてください。貴女はどうして、大上君のスマホを持っているの?」


 今度は、相手が黙った。私の質問を聞いて、本来の性格を思い出したらしい。彼女は何度か深呼吸して、私の質問に「分かりません」と答えた。「そもそも、大上君が誰かも分からないし。私はただ、貴女の電話に出ただけだから」


  私は、その言葉に押しだまった。彼女の話を信じるわけではないが、それでも「嘘を付いている」とは思えない。彼女に「貴女は、たけちゃんの恋人ですか?」と訊いた時も、それに「まだ、幼馴染です」と答えただけだった。


 私は、その答えに眉を寄せた。それがもし、「本当だ」とすれば。彼女と大上君は同じスマホで、同じ番号を使っている事になる。普通の感覚では「浮気」を疑うべきだろうが、彼女も私と同じ反応を見せている以上、すぐに「浮気だ」と決めつけるのは「不味い」と思った。


 私は「相手が危険人物である可能性」も考えて、彼女との通話も「それじゃ」と切った。「たけちゃんに繋がるといいね?」

 

 相手は、それに答えなかった。私の話をやはり、信じていなかったらしい。私がすぐに切った事もあったが、相手も相手で「ブツリ」と切ってしまった。


 私は、その反応に溜め息をついた。相手の態度に苛立つよりも、通話の終了に「ホッ」としたらしい。鞄の中にスマホと入れると、言いようのない安堵感を覚えた。「とにかく動こう」

 

 今の会話が幻覚である可能性もあるし。「私の精神に異常が起きている」とすれば、「それをどうにかする方が大事」と思った。私は見慣れない町をさまよって、自分の家を黙々と捜した。


 が、それがなかなか見つからない。通りの構造は大体同じだが、細かいところが微妙に違っているせいで、普段は行く筈のない場所を通ったり、入った事のない横道を通ったり、見た事がない店の前を通ったりした。私はスマホの地図も当てにならない、自分の知らない道を辿って、自分の家をひたすらに捜しつづけた。

 

 私の家は、二時間後に見つかった。正確には家の手掛かりだが、その目印を見つけたのである。私は自分の記憶と目の前の風景、それ等をじっと照らして、その手掛かりが本物である事を確かめた。


 大きな川を跨いで、隣の町に繋がる橋。橋の向こう側には住宅街があり、住宅街の外にはショッピングモールが、ショッピングモールの隣には家電量販店があった。私の家は、住宅街の真ん中辺りにある。

 

 私は胸の高鳴りを感じて、橋の向こう側に走った。橋の向こう側には、見慣れた光景。ではない。確かに住宅街だが、私の知っている住宅街ではなかった。家々の姿が妙に古くさいし、洋風よりも和風の方が多い。私がどうにか辿り着いた自分の家も、「築何十年」と言った風の日本家屋だった。


 私は、その光景に言葉を忘れた。家の場所や住所は同じでも、ここは自分の家ではなかったから。それに驚く気持ちも含めて、目の前の光景に震えるしかなかった。

 

 私は変わり果てた自分の家を嘆くあまり、家の表札にふと目をやってしまった。家の表札には、「武部たけべ」と書かれている。お母さんの旧姓と同じ、武部の文字が刻まれていた。


 私は、その文字に目を見開いた。あの子が、たけちゃんの電話に出たように。その文字にもまた、言いようのない恐怖を覚えてしまったのである。私はその恐怖に負けて、子どものように泣いてしまった。「どうして?」

 

 こんな事になったのだろう? 昨日までは……少なくとも、今朝までは、普通の世界だったのに。頭の何処かがおかしくなったせいで、こんな幻を見るようになってしまった。


 私はそんな自分に肩を落としたが、一方では「冗談じゃない!」と思うところもあって、まともな神経なら決してやらない事、つまりは武部家の玄関を「すいません」と叩いてしまった。「ちょっと聞きたい事があるんです!」

 

 その返事は、すぐに聞えた。私の声が大きかったのか、家の中から住人が出てきたのである。住人の女性は「ニコッ」と笑って、私に「あらあら、可愛い子ね?」と言った。「むすびの友達?」

 

 私は一瞬、その質問に固まった。「結」と言うのは、「武部君?」の名前だろう。さっきの電話から考えれば、そう考えるのが自然だった。家の中から出て来た彼女も、彼の母親に違いない。私は探りの意味も込めて、彼女に尤もらしい嘘を付いた。


「そう、なんですけど? 私、『川崎智世』って言います。実は、人を捜していて。武部君には、その場所を教えて貰う筈だったんですけど。それが」


「どうしたの?」


「電話に出ないんです、私がいくら掛けても。『電源が切られる』とかで。だから」


「ふうん、なるほど。つまりは、うちの馬鹿息子に困っているのね?」


 それに「うん」と答えるのは、難しかった。私は「そうです」の意味を隠して、目の前の女性に苦笑いした。「ごめんなさい」


 彼女は、その謝罪に首を振った。本当は、無関係な息子に代わって。


「それで、場所は?」


「え?」


「私でも、分かるかも知れないし? 結にしか分からない場所なら別だけど」


 私は、その質問に息を吸った。質問の答えによっては、この世界から抜けだせるかも知れない。この狂った世界から、僅かに抜けだせるかも知れなかった。私は「ある仮定」を立てて、武部結の母親に問いかけた。「この近所に『大上』と言う家は、ありますか?」


 彼女は、その質問に驚いた。質問の内容はもちろん、私がそれを聞いた事に驚いているらしい。私が彼女に「分からなかったら大丈夫です」と言った時も、それに「うんう、大丈夫よ」と微笑んでいた。彼女は私の顔をじっと見て、それから自分の顎を摘まんだ。


「近所には、居ないけど。お隣の奥さん、『永山ながやまさん』って言うんだけどね?」


「永山さん?」


 あの子の名字と同じ。大上君の電話に出た、あの子と。


「もしかして?」


「うん?」


「い、いえ、何でもありません。その奥さんが?」


「そう、旧姓が大上。大学の時に旦那さんと知り合ってね。今は、親子四人の生活よ。上のお兄さんが大学生で、下の女の子が息子と同い年。その子、うちの息子にお熱なんだけど」


「付き合っては、いない?」


「そうそう! 結は、変に鈍感だからね。そう言う好意に疎いのよ」


「へ、へぇ、そうなんですか」


 何だろう? 他人とは、思えない。親近感を覚える。


「大変ですね?」


「まったく。『お前は、ラブコメの主人公じゃないんだぞ!』って」


 私は、その言葉から逃げた。これ以上は、私の精神が持たない。気持ちの中がチクチクする。目の前の女性は、「それ」を笑っているようだけど。それが引っかかる私には、優しい悪意にしか思えなかった。私は彼女にお礼を言って、武部家の前から歩きだした。「さて」


 これからどうしよう? 幻覚の内容は分かったが、その対処法は分からない。気持ちの一部が、「ホッ」としただけだ。幼馴染の家を通りすぎた時も、その悲しみを味わっただけである。私は自分の限界を知って、その幻に涙を流した。「疲れた」


 幻覚の中身を受けいれただけでも、その泥沼に疲れてしまった。私はポケットの中からスマホを出して、地面の上にそれを叩きつけた。



 それが良かったのか? 私が「ハッ」と気づいた時にはもう、元の世界に戻っていた。スマホの着信履歴も普通、そこに残されたメッセージも普通。父さんや母さんからは、「どうして、電話を掛けたんだ?」と聞かれたけれど。その意味が分からない私は、二人に「ごめんね、間違えた」と答えるしかなかった。


 だって、実際にそうだし。知らない物を「知らない」と答えるのは至って、普通の事だった。私は大上君にも嘘を付いて、「来週は、絶対に行こう!」と言った。「今日は、一緒に遊べなかったから」

 

 大上君は、その言葉に微笑んだ。私の言葉を心から喜ぶように。


「そうだな。俺も、お前と遊びたいし。今日は、ずっと……そういえば?」


「なに?」


「お前の事を待っている時にさ、変な奴を見たんだよ」


「変な奴? 変な奴って?」


「俺等と同じくらいの男子。たぶん、『他校の奴だ』と思うけど。公園の中をキョロキョロ見ていたんだ。何かこう、焦っているみたいに。周りの奴等も、何人か見ていたよ」


 私は、その言葉に固まった。彼の話が本当ならば、「その変な奴こそ、武部結ではないか?」と。私はそんな不安を抱いて、「今日のこれが、自分の幻であるように」と祈った。

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