第2話

 いつもの放課後。


 空の群青は焼き尽くされ、

残照は名残惜しそうに水平線の向こうに落ちていく。


 体育祭メンバーの決定から半月が経ち、

開催まで一か月を切っていた。


 静かさが音で聞こえる程の体育館。


 千冬は一人、随分と陽が伸びたと二階から差す斜陽を目を細くして睨んだ。


 梅雨明け宣言もまだなせいか、

熱くじめっとした空気が運動着の襟もとにまとわりつく。


 夕焼けと館内の熱気に灼かれながらバレーボールを高く放った。


 

 球が床を叩く音が何度もこだまし始めた時だった。




 「もっと腰を落として、

ボールを額のところでトスするといい感じかも?」



 一回一回感触を確かめながら手探りで実践する影に

声がかかる。



「海山さん・・・」



 声の主は金髪ポニーテールに、

はだけた格好のクラスの人気者。



 「自主練?旧校舎の体育館って鍵無しだと入れないんじゃないの?

噂になってるよ?黒髪の霊が一人でボールを追いかけまわしてるって」


 「先生に許可を得てカギを借りてるから問題ないけど。

海山さんはどうしてここに」


「うーん。自主練!」



 閃いたようなリアクションと共に、

サイドバックからバレーボールを取り出し見せた。



 「あぁ!これは家から持ってきたやつね!学校の備品じゃないから!

没収しないね!また反省文書かされるのやだもん」


「まだ、何も言ってないけど・・・」



 少し埃っぽい空気、扉や窓を開けていても粉っぽく滑る旧体育館に

ボールが跳ねる音が増えた。




 「飽きた!!

そもそも二人もいるのに、

それぞれトス練習だけなんてもったいなくない?」



 数分経って、

柚夏はその場に座り込んでボール抱いて座り込んでいた。



 「そう?」


 「一緒にやろうよぉ」


 「うん、わかった」



 子供が駄々をこねるように足を前に突き出しじだばたする柚夏は

驚くほど即答で、素直な子供のような返事に面を喰らった。


 それから程なくして、

床を叩くボールの音が一つだけになる。



 「国木さんって真面目だよね、予習とかしっかりしてそうなタイプだとは

思ったけどスポーツまで毎日練習していく真面目ちゃんとは。

見る度いつもトス練習ばっかだけど、ねッ」


 「え?見にきてたの?」


 「え?あぁ!ちょいちょいね。

体育無い日でも体操着持ってくるから、なんか気になっちゃって」


「海山さんって・・・スケベねっ」



 会話を挟みながらボールを送り合う、

この日初めて柚夏がボールを床に落とした。



 「なんか、国木さんに言われるとエロいね」


 「なにそれ、やっぱり海山さんって変な人」


 

 千冬がボールを持つ。


 互いの動きが止まると、

すぐに静けさが敷き詰められる。



 「モチベないとか言っておきながら

しっかりこそ連してる国木さんだって負けてないと思うけどー」


「モチベーションはないわ」



 手は届かずとも、呟く声が届く距離。


 再びボールは互いを行き来する。



「じゃあなんで練習してるの?去年の卓球、

初戦負けしたから悔しさをバネに的な?」


「そんなんじゃないわ。でも、しかしまぁよく、覚えてるわね」


「そりゃ応援しに行ったもん。

髪ぶわんぶわんして髪の毛お化けみたいになってて怖かったけど」



 「休憩タイム」と座り込む柚夏。

また足を投げ出し、下着の透けたワイシャツの胸ぐらをつかんでパタパタと風を取り込んだ。



 「どうして私に構うの?」


 「え?だって同じクラスだし、同じチームじゃん。

それに同じ中学のよしみだし、

一緒に練習するのは普通じゃない?」


 「そういうものなの?

てっきり気を使って使われてるのか、クラスへの気配りなのかと思った。

私の事は気に掛けなくていいのに・・・クラスの人気者って色々大変ね。」



 皮肉を込めて冷罵を送る千冬だったが

「え?誰かに気に掛けられてるの?どのクラスの男子!?」

と全く話がかみ合っておらず肩を落とした。



 「海山さんは周りの目とか気になるの?

私みたいな運動音痴、相手にしなくても誰も気にしないと思うけど」



 千冬は誰にでもなく自分にがっかりするように論じた。



 「え?誰の目も気にしてないよ?」


 「ほんと?聞いたことある、ギャルは自分のコンプレックスを隠すために

わざと派手な格好や、言動をとってるって。

みんなと流行のモノを揃えてるのだって周りから違うタイプの人間だって思われたくないからだって?」


「あぁこの格好かぁ。

ぶっちゃけ高校デビューだからなぁ。

面と向かってギャルって言われるとハズイね・・・」



 柚夏はポニーテールヘアの横から垂れた長い髪を、

人差し指でくるくると巻き取りながらはにかんだ。



「知ってる。前は黒髪でおさげしてたもんね」


 「うん。可愛い格好とかやっぱ憧れるじゃん?

 それで恋人なんかできちゃったりしてさ、

来月の夏祭りとか一緒に浴衣で回っちゃったりして。

キ、キスとかしちゃったりして・・・」



 ボールを両手に持ったまままっすぐな瞳で

柚夏に迫っていく。



「恋人とキスがしたくて、そういう格好してるの?」


「ああああくまで、目標というか出来たらいいなぁ的な?」



たじろぎながらも柚夏は、前髪の分け目を直しながら続ける。



「それにコンプレックスが無いって言ったら噓だけど

私、好きでこの格好してるし、好きで皆と一緒にいるし

好きでここにいるのは本当だよ」


「自分の事、死ぬまで愛してくれるのなんて自分しかいないからね

自分の好きは大事にしていこうをモットーに生きてるの」


「そう」



「国木さんは?」


「私?」


「何で毎日練習してるの?」



 質問は再び振り出しに戻った。

先程とは違い千冬は一歩、柚夏に歩み寄る。



「後悔したくないから。

思い出もいらない、勝てなくてもいい。

ただ、試合が終わった時に、あの時ボールを触ったのが私じゃなかったらって、

何で今の出来なかったんだろって、練習しなかったことを後悔したくないの」



 言いながら千冬はあることに気づいた。


 どうしたら自分を好きになれるかで物事を選ぶ柚夏の存在と

 どうしたら自分を嫌いにならないかで物事を選択する自分の存在の在り方に



 真剣な顔で沈黙する黒髪を

金髪は大口を開けて笑い飛ばした。



 「なにそれ!超負けず嫌いじゃん。

国木さんって涼しい顔してめちゃくちゃ熱いタイプじゃん!」


 「笑うとこ?別に負けず嫌いじゃない。

ただ、去年みたいに負けた自分に納得できなかったし、

回りにこんな『国木はこんなもんだよね』

って知った顔されるのが少しムカつくだけ」


 「それを負けず嫌いっていうんだよッ!

はぁ、おっかしぃ。でも気持ちわかるよ、

私も負けたくないって気持ちはあるから!仲間だね!」


 「それってギャル特有のとりあえず共感するってやつでしょ?」


 「違うってば!本心!神に誓ったっていいね。

私は本気だって」

 

 「じゃあ負けたらどうする?」


 「え?負けたら?・・・そうだなぁ。夏祭り一緒にいく!」


 「何それ、私罰ゲーム扱い?」



 大きく細い目をさらに薄くする千冬。


 

「ちがうよ!国木さんクラスの打ち上げ勝っても負けても打ち上げ来ないでしょ

去年も来なかったし。

だから負けたら連帯責任みたいな」


 「本当によく覚えてるわね・・・

分かったわ」


「勝とうね、国木さん」


「千冬、下の名前でいい。バレーの時さん付けめんどくさいでしょ

私も柚夏って呼ぶから」


 柚夏はその瞬間全身の血液が熱くなるような高揚と

心臓の音が顔を打つ鼓動を感じながら立ち上がる。


 勝ち負けの定義はあってもどこまでが勝ちでどこまでが負けか決めないまま。


 二人はそれから時間や場所を約束するでもなく、

放課後練習するのが日課になった。


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