公爵令嬢の悪役事情~婚約破棄を突き付けられたけど、残念ながら【監視役】ですので逆断罪して初恋を実らせます~

香散見 羽弥

第1話 甘いですわ~~~!!

 


「……甘い……甘いですわ~~~~!!」


 きらびやかな卒業パーティーが開かれている会場で女の甲高い声が響いた。


 貴族子女の通う学園の卒業パーティーでは本来ならば今までの思い出話をしたり、卒業後の話をしたりして盛り上がるモノだろう。


 だがしかし今この場はそれとは似つかわしくない程しんっと静まり返っていた。


 会場中の注目は、今し方叫んだゆるく波打つ薄紫色の髪を持つ令嬢に注がれている。



 何故楽しいはずの卒業パーティーがこうなっているのか、それは少し前にさかのぼらなくてはいけない。



 ◇



「エーデリュナ・ウィチアース! 貴様のような心根の醜いものとこれ以上婚約者でいることはできない! よって婚約破棄を言い渡す!!」



 光に照らされたパーティー会場でひと際目を引く男がそう叫んだ。

 赤と白と金の派手な配色のモーニングコートを着こなし亜麻色の髪を肩口で軽く結った男の名はカイゼン・ナキイラ。


 このティラゾーン学園のあるナキイラ王国の第一王子である。



 そしてカイゼンの指さす場所にいたのは彼の婚約者、エーデリュナ・ウィチアース。

 ナキイラ王国の二大公爵のうち魔術師全般を取り仕切るウィチアース公爵家の長女だ。


 薄紫のウェーブの掛かった長い髪に深紅しんくに染まり吊り上がった瞳。

 整った顔立ちであるけれど、どこか物語などに出てくる悪者のような雰囲気が出ている。



「あら殿下。一体どういうことでしょう?」


 エーデリュナは少しも動じていないように薄く笑みを浮かべたままカイゼンと向かい合っている。

 対するカイゼンの顔は険しく、その額には青筋が浮かんでいた。


「しらばっくれるかっ! この悪女め!! この俺が貴様の悪事を知らないとでも思ったか!?」


「ですからそれが何かをお聞きしているのです。悪事、などと抽象的なことを申し上げられてもなんのことか皆目見当がつきませんもの」



 エーデリュナはそう言いつつカイゼンの後ろへ目を向けた。

 そこには数名の高位貴族の令息と真っ赤なドレスに身を包んだ豊満なボディをもつ令嬢の姿があった。


(確かあの方は1年前にこの学園へ転入してきたリリアーヌ・バゼル男爵令嬢だったかしら)


 リリアーヌは多額の献金をして爵位を買い取り男爵の地位についた男が連れていた娘だ。

 元は平民で17歳までは酒場で働いていたと言われているが、その酒場というのがいわゆる娼館しょうかんのような役割も持っており、そこで現男爵に買われたのではないかと噂されている。



(……まあ確かに好色の男であれば飛びつきそうな程立派なものを持っていらっしゃるようですけど)


 欲望に忠実な男であれば誰でも籠絡ろうらくできそうなその体は、今は無遠慮にカイゼンに押し付けられている。

 見ればそれに気をよくしているカイゼンの顔が目に入った。


 どうやらカイゼンも籠絡されたうちの一人のようだ、とエーデリュナは予想してあきれ果てる。



「貴様はこのリリアーヌに嫉妬し、度重なる嫌がらせを続けた! 今までは婚約者ということで我慢していたがもう限界だ!!」


 カイゼンはゆるんでいた顔を引き締めるとそう叫ぶ。


「だから俺は貴様とは縁を切って、このリリアーヌとの婚約を結び直す!!」


「カイゼン様ぁ! わたしぃ、嬉しいです!」


 そう言いながらカイゼンの胸に手を這わせるリリアーヌはどう見ても娼婦のそれ。

 そんなことにも気が付かないカイゼンはさらに気を良くしてリリアーヌの肩を抱く。


 ちらりと見えたリリアーヌの顔は勝ちを確信したのか愉悦ゆえつの色を濃く表していた。



 エーデリュナの顔が僅かに歪む。

 けれどそれは悲しみや怒りからではなかった。



 エーデリュナは喜んでいたのだ。

 平静を装っていても口角はわずかに上がり、上気してくる頬の熱は抑えきれない。

 その衝動のままに口を開いた。



「おーほっほっほ!! あらあら殿下。何か勘違いをされていらっしゃるようですね?」


 左手を腰に添え、右手は口元を隠すように高笑いをするエーデリュナに会場はざわめいた。


「なにを言っている!? 勘違いだと!? ふざけるな! お前はリリアーヌに悪逆非道なことを……」


「先ほども申し上げましたが、具体例をお示しくださいな? 悪逆非道と申されましても、わたくしには身に覚えがありませんもの」


 エーデリュナは肩にかかった長い髪を手の甲で流し、にやりと笑う。


「いつまでその態度たいどが続くか見ものだな! いいだろうではこれを見よ!」



 そういってカイゼンが取り出したのはボロボロになったポーチ。

 使い古されたようにすり切れたものではなく、明らかに人の手によって切り刻まれたと分かるものだ。


「見覚えがあるだろう! これはお前がリリアーヌに嫉妬して切り刻んだリリアーヌの私物だからな!」


「わたくしが切り刻んだ? 嫌ですわ殿下。わたくしが下々のものに手を出すわけがないではないですか」


 にこりと一部の曇りもなく笑うエーデリュナに、カイゼンは爆発寸前まで怒りをあらわにする。


「貴様っ! この期に及んでまだリリアーヌを侮辱ぶじょくするかっ!」

「酷いですわ! エーデリュナ様、ご自分の罪をお認めになってください!」


 カイゼンの後ろではリリアーヌが目に涙を称え体を余計に密着させている。

 カイゼンは分かりやすく鼻の下を伸ばしてリリアーヌを見ていた。


 その後ろに控える高位貴族の子息達は思い思いに笑みを浮かべている。

 よく見ればその全員がウィチアース公爵家と敵対もしくは恨みを持っている家の者達であった。



(なるほど。カイゼンお馬鹿さんなら操りやすいからこのまま王になってほしい。けれどわたくしがいては傀儡かいらいにできないから排除しようって魂胆こんたんね。分かりやすいったらないわ)


 エーデリュナは怒りを通り越して呆れてしまった。

 仮にも貴族の端くれなのだから表情の訓練くらいしておけばいいものの、どうやら彼らはその努力をしなくてもエーデリュナを引きずり降ろせると思っているらしい。



(随分となめられたものねぇ)


 正直もう全てを把握したエーデリュナとしては早々にこの茶番を終わらせたいところではあるが、厄介なのがカイゼン自身がこの茶番を本気にしているということだ。


 カイゼンはよく言えば純真、言い換えれば操りやすい人間なのだ。

 仮にも一国の王子がそんなことでは困る。



 だからこそエーデリュナが婚約者として選ばれたのだ。

 エーデリュナは昔から公爵家の長女としてしっかりとしており、二人の婚約は二人が10歳のころに国王、及び王妃の直々の願いで結ばれた。



(王命となれば断れないけれど本当に面倒な役目を押し付けられたわ)


 エーデリュナに期待された役割はカイゼンをいさめつつ正しい道に導いていくこと。



 国王と王妃にはカイゼン以外に6年もの間子ができなかった。

 その6年のうちにわがまま放題育てられたカイゼンは勉強や武術をことごとく拒んでいたのだ。


 このままでは貴族社会で生きていくことなど到底不可能。

 それに焦った国王夫妻の目に留まったのがエーデリュナだったのだ。


 要は貴族たちに騙されないように腹芸を覚えさせ、王族らしい振る舞いができる様にすることを命じられたに過ぎない。



 だからこそエーデリュナは命令に従いカイゼンが何かをやらかす度にしりぬぐいをして諫言かんげんしてきた。

 何度も繰り返される過ちにすっかり慣れてしまったエーデリュナは、今ではもう何が起きても動じない鋼のメンタルを持つようになったのだ。



「はあ、殿下。また乗せられておりますのね。いつまでたっても成長のない方ですこと」


 エーデリュナはこめかみを押さえて溜息を吐く。

 カイゼンの逆鱗に触れるには十分だった。


「貴様!! この俺まで愚弄ぐろうするつもりか!? いくら公爵令嬢とはいえ許してはおけんぞ!」


 後ろに控える令息たちの笑みが深まる。

 自分たちの計画が順調に進んでいると思っているのだろう。


 カイゼンがエーデリュナを嫌っているということは公然の事実であるのだし、王子相手にも不遜ふそんな態度をとるエーデリュナを影で悪役・悪女と呼んでいることも知っている。



 そんな不仲の婚約者相手であれば、その座から引きずり下ろすのは容易いとふんでいるのだ。



(でも、本当に順調かしら? 殿下のお馬鹿さん加減を甘く見過ぎているのではないかしら?)


 エーデリュナは不敵に笑う。


 成績優秀、魔術も優れ実技にも強い。

 王家の信用もあつく重要な任務を与えられたエーデリュナですらこの年になるまでカイゼンの性格を矯正きょうせいできていない、その意味を考えればカイゼンに近寄ろうとは思わなかっただろうに、と。



「ではお聞きしますが、わたくしがどうやってリリアーヌ様の持ち物をダメにしたというのです? いつ、どのように、どうして、をまじえてご説明くださいな」


「だからっ! 貴様がリリアーヌに嫉妬して切り裂いたと言っている!」


「いつのことですの?」


「それは……えっと……いつだ? リリアーヌ」

「え!?」


 何故か途中で勢いを無くしリリアーヌに疑問を向けるカイゼン。

 リリアーヌは話題を振られると思っていなかったようで挙動不審きょどうふしんになった。



 後ろにいた一人の子息がカイゼンに耳打ちをしている。


「あ、ああ。そうだ。1月ほど前の放課後のことだ!」


「1月前というと最終テスト期間ですわね。放課後はわたくしご令嬢の皆さまと図書館で勉強会をしていましたが、どうやってリリアーヌ様の元にいって嫌がらせを行ったのでしょう?」


「どうって……」



 またしても子息の一人が耳打ちをする。


「ま、魔法でだ!」


「遠隔魔法ということですか?」


「そうだ!!」



 エーデリュナは溜息を吐いた。


「殿下。遠隔魔法は精密操作が出来ない代わりに広範囲に影響力を及ぼすものです。例えば結界のような。それを使用して嫌がらせをしたとしたらリリアーヌ様のものに限らず学園中のものがボロボロになりますわ」


 カイゼンの言い分に頭が痛くなる。

 どう考えても実現不可能なことばかり言っているのに、その自覚がないのだ。


「そんなこと分からないではないか! とにかく貴様がやったんだ!」



 その後も根拠のない言いがかりばかりを口にするカイゼンに、エーデリュナの堪忍袋かんにんぶくろが切れた。


「……甘い……甘いですわ~~~~!!!!」


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