第2話

 計測の歴史は古代までさかのぼる。今のところ発見されている古文書の中で最古の記録では、原初の計測法を編み出したのはひとりの測量士だったという。

 けて一面黄色くなった大地に立ち、長く真っ直ぐな棒を片手に、測量士は仲間たちが後ろ歩きで離れていくのをじっと見ていた。棒には玉結びを等間隔にこしらえたひもが結んであり、ぴんと張れば土地の長さを測ることができた。

 その日も暑かった。サンダル履きの足の甲をこそこそとカクを払いもせず、測量士はぼんやりしていた。毎日毎日どこぞの地主や行政官に呼ばれては、開墾やら水路増設やらのために広さを測ってばかり。棒を地面に突き刺しては紐で長さを数える、同じことを繰り返す単調な作業にも飽きていたが、この日は特に眠気が強かった。昨晩妙に寝付きが悪く、何度も夢を見ては飛び起き、隣で寝ていた妻が不平を漏らした。

 あくびをひとつして、地面に突き立てた棒にそっと体重をかける。角度がゆがむから力をかけてはいけないとわかっているが、そうでもしないと眠気でよろめいてしまいそうだ。こくりこくりと船をぎはじめたその時、がくんと体がかしいだ。支えにしたせいで棒が折れたのかと、慌てて飛び起きた測量士の目に映ったのは、棒を挿したちょうどその箇所に開いた穴と、そこからふわりふわりと浮かんで、宙へ向かって行こうとする小さな土塊たちだった。

 土塊昇天現象自体は測量士も二、三度目にしていたし、土がすっかり抜けて空っぽになった穴は、農地や森の木の根の間、民家の前などで時折見かける。しかし広い広い星の地表のどこに、いつ起きるかもわからなかったし、運がいい者、あるいは運の悪い者が偶然遭遇する程度の頻度であって、まさか自分が挿した棒の根元がちょうど開くなどとは、思いも寄らなかった。

 つちくれが穴から浮かべば浮かぶほど、棒の根元はずぶずぶと埋もれていき、まるで土の中にいる何者かに引っ張られているようだった。

 測量士はぼうぜんと現象を眺めると、急に行動をはじめた。その猛然とした行動力とへんぼうぶりに、後になって仲間たちは、「あいつは長い眠りからやっと目覚めたりゆうのようだった」と言った。

「砂だ、砂を測ってくれ!」

 測量士は仲間に呼びかけてその場にうずくまると、腰に巻いた道具入れからぼくを出して、棒に線を引いた。穴の縁からどれだけ沈んだかを記録することで、深さを測ろうとしていた。少し沈んでは線を引き、また少し沈んでは線を引く。傍らにいた測量士の友は戸惑いつつも、測量長から預かっていたようけいをパチンと開き、測量士の言うとおりにした。砂の落下速度で時間を計る砂陽計は精度が高く、一そくから刻むことができる。

「穴の大きさは二爪。穴が深まる速さは……友よ、今どれほどった?」

「砂陽計を開いてから三十足だ」

「ということは……」

 他の仲間たちが何事かと不審がってふたりを囲み、騒ぎを聞きつけた測量長が駆けつけて怒鳴っても、測量士は穴が深くなる速度を測り続けた。結果、一足──六十足で一しゆう、六十周で一ようかんであることはわかっている──につき、穴は一・五爪深くなることがわかった。

 後の時代の者は「若干の誤りがある」とすぐに気づくだろう。今は子どもでも、穴の沈降速度は一足につき一・三爪だと知っている。しかし充分な設備のない古代の測量士が、誤差ほんの〇・二爪にまで迫っていたという事実は、評価されるべきだ。

 記録によると、測量士は「なぜ沈降の速度を測ろうと思ったのか」という問いに、「昨夜、神からの啓示を受けたのだ」と答えたそうだ。本当にそう言ったのかは定かではなく、記録者がよかれと思って書いたのかもしれない。だがたとえ測量士が本気で神の啓示を受けたと主張したとしても、不思議ではなかった。この頃の一般常識は、神がすべての自然現象をつかさどっているというもので、現代でも有用な数式を編み出した数学者でさえ、万物は神がこしらえ、また人々は神に見守られ、見張られていると考えていた。

「その筋でいくならば、〝土塊昇天現象を一番はじめに目撃した人物は、異常と感じただろうか?〟の問いの答えは簡単だ。つまり〝異常と感じた〟。古代の人間はすべての自然現象を畏れていたから、当然の反応だろう」

 とある星塊哲学者の意見は確かにもっともらしく聞こえ、問題は解決したかに思われた。しかし別の星塊哲学者がまた反論する。

「かもしれない。だが君は〝一番はじめに目撃した〟という問題を解決していない。その人物は異常と感じず、二番目の人物が異常と感じたとしたら?」

「何を、それはくつだろう!」

「屁理屈などではないさ。二番目でも、百万とんで一番目の人物でも、変わりはないんだから。この命題の最大の要点は〝最初〟であることだよ」

 さて、測量士が速度を計測したのち、現象について研究しようとする者が増えはじめた。速度はわかった。では深さはどうだろう? この穴はどのくらい深くなって、土の放出を終えるのだろうか?

 すぐに解決できそうに思える単純なこの疑問は、しかし、この後二千陽年以上経つまで解明されなかった。

 最初の測量士も、速度を測るついでに深さを計測しようとした。測量棒は長く、測量士の背丈をゆうに超えていた。けれども棒はどこまでも潜っていく──もういい加減に終わるだろうと思っても、なおも棒の先端はずぶずぶと穴に沈んだ。結局、指の先で棒の頂点をつまみ、穴のふちぎりぎりいっぱいまで耐えたところで、引き抜いた。

 その後も大勢の者が、現象を終えて静かになった穴に長い棒や紐を入れ、深さを測ろうとしたが、底にたどり着かなかった。それならばと発明されたばかりの数字や数式を使って、間接的に計測しようと試みる者もいたが、なかなかうまくいかない。たとえば道のりと速度と時間に関係があるように、現象がはじまってから終わるまでの時間を計れば、速度と掛け合わせて長さが求められるはずだった。だが、いかんせん排出の時間が長すぎた。

 穴の沈降速度は一足一・三爪、つまり一陽間あたり四六八〇爪──約〇・〇四六八の速さで進む。これはこの世で最も遅い生物、ねんぎゆうの速度とほぼ同じだった。

 そして排出はいつまでもいつまでも続いた。陰が星を一回りする一ヶ陰どころか、陽が星のまわりをひとめぐりする一陽年が経っても、まだまだ土は穴から出続けていた。計測者は根気も人材も金も必要だったが、時間が経過するにしたがって消えていく。家族に愛想を尽かされ、仲間に金を払えず、路頭に迷う者もいた。たとえ途中まではうまく行っても、交替するとはいえ穴を見張り続けなければならない記録者たちは必ず飽きて、どうせ排出はいつまでも終わらないからと、酒を飲みに出かけたり欲を発散しに行ったりした。そして大概、誰も見ていない時間に排出は終わり、誰も記録をしておらず、すべて無駄、すべてはじめからやり直しとなり、計測者は心も折れた。

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