第10話 胃袋掌握作戦
「……おいクソ師匠」
「んぁ……?」
「んぁ、じゃねえ。なんだこの惨状は」
「ふが……」
「ふが、でもねぇよ……。ったく、しゃあねえな……」
ゴミ溜めみたいな部屋の真ん中、洗ってないシャツや下着(汚い)や散乱したエナドリやコーヒーの山に突っ伏すようにして寝ている師匠を見下ろして、俺は深く深くため息を漏らした。
故あって、俺は今親元を離れて師匠の家に居候をさせてもらっている。
師匠には比喩でも冗談でもなく、人生を救われ俺を『人間』にしてもらったとすら思っているし、その大恩を忘れるつもりはない。
ない、のだが……師匠のだらしなさ加減については、常日頃から一言物申したい気持ちで俺はいっぱいであった。
しかし、物申すべき相手は今現在、完全に寝落ちて「ふが」とか「もご」とかいう反応しか返すことができない有様である。これではなにを言ったところでどうせ筒抜けであることを、経験則から俺は分かっていた。
「とりあえず、このデカい荷物は横にどかしておいて、と」
ほとんど下着同然みたいな姿で寝っ転がっているこの女を足で蹴って転がして部屋の隅っこへと移動させていく。こんなに雑に扱っているのに調子よくいびきをかき続けているあたり、ぐうたらの本領を如何なく発揮し腐れやがっていらっしゃる。
それから未だ、空き巣か強盗の被害にでも遭ったような有様の部屋と向き直り、俺はぐいと袖をまくった。
「しますかー……掃除」
今月に入って何度目になるか分からない
***
「ふぁ……よく寝た」
「よく寝た、じゃねーよクソ師匠」
三時間後。
起き出してきた師匠にジト目を向けて俺が言うと、彼女はぼりぼり頭を掻きながらぐるりと部屋を見渡した。
それからぽつり、と。
「ありゃ。綺麗になってる」
そう呟く。
適当に脱いで放置されていた洗濯物は全て回収され、洗濯機で回した後に今はベランダで乾かしている真っ最中だ。
エナドリだのティッシュの切れ端だの毛だの縮れ毛だのといったゴミの類は燃えるゴミと燃えないゴミとで分別し、袋の口を縛って部屋の端へとまとめたあとだ。
シーツや布団を洗って干すことまではできなかったが、それに関しては目を瞑る。差し当たっては、人間が清潔に生活するだけの空間を確保することはできたしな。見えなくなりかかっていた床も、今はちゃんと足の踏み場が確保できるようになっているし。
そんな風に生まれ変わった空間をしげしげと眺めまわして、師匠は感心した様子でうなずいた。
「うーん、相変わらず巳次は家事上手だな。これならいつでもお嫁に行けるんじゃないか?」
「俺は男だ。嫁には行かん。御託はいいから、さっさと飯を食ってくれ」
ボケたことを抜かす師匠の前に、適当に作った夕飯をドンっと置く。
洗濯機を回している最中に炊いたご飯と、適当に作った筑前煮だ。
俺の用意した献立を前にして、師匠はパァっと表情を輝かせた。
「今日は筑前煮か! いいねぇ、私好物なんだよなこれ」
「そうかぁ? 別に特別なもん使ってねぇぞ」
「へぇ? それにしちゃなんか旨いんだよなぁ。私が作ると、こう、なーんか物足りない味になる」
「誰が作っても変わり映えしねえと思うんだけどな……てか師匠、前から思ってたんだけど」
ジト目を向けつつ、俺は問う。
「師匠って俺の料理やたら褒めるけど、テメェが家事サボりたいから適当に理由つけておだててるだけなんじゃねえ?」
「めっそうもない! そんな魂胆はちょっとしかないよ!」」
ちょっとはあるんじゃないか。
「しかしもったいないよねぇ。こんだけ料理ができるなら、女の子の胃袋なんかきっと掴みたい放題だろうに」
「男が女の胃袋掴んでどうすんだよ……」
「でも今、そういう男の需要って高いと思うぜー? ほら、一時期流行ったろう? イクメンだの料理系男子だのってジャンルの漫画とか」
「そういうもんかよ」
「そういうもんさ。ちなみに私は、家政夫なら常に募集中だ」
「少しは生活力を身に着けてくれこのダメ人間」
師匠にそんな言葉を返しつつ、俺はふと考え込んでみる。
男が女の胃袋を掴む、というのはこれまで発想として持ち合わせていなかったが、どうやら世の中にはそういう考え方も存在するらしい。
ということは、頑なに『友達になる』ことを拒んでいる阿久津真緒にも、飯なりなんなりを作ってやれば彼女の胃袋を掴み、そのまま友達にまでなってやることができるかもしれない。
そう思った俺は、師匠にちょっと聞いてみることにした。
「なあ師匠。俺の弁当を食えるとなったら胃袋掴まれるか?」
「え、嬉しい嬉しい。なに、作ってくれんの? やったー!」
「あ、作る相手は師匠じゃないんだけど」
「え、私の分はないの?」
「……え、マジで欲しいの?」
こくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこく、と物凄い勢いで師匠が首を縦に振る。
……明日は二人分の弁当を用意することにしよう。
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