第8話 モグラ包みゲーム
「ええっと、ノートパソコンはマウスの代わりにタッチパッドがあってだな……」
そう言って、巳次は真緒にパソコンの使い方を教え始める。
阿久津真緒にとって、それは新鮮な体験であった。
彼女は人から、ロクにモノを教わってきた経験がない。親からは『問題を起こすな』『世間体の悪いことをするな』としか言われておらず、学校では教師からも見放されている。
同年代の子どもたちからは好奇と蔑視の視線ばかりを向けられて、まともに関わり合う機会すらない。
そんな彼女にとって、巳次からこうして何かを教わっているという状況は非常にむず痒いものだったが――その一方で新鮮かつ心地の良い時間でもあった。
また、新鮮というならば、通学時にも関わらずこうして誰かと道草を食っているという今の状況そのものがそうであった。
幼い頃から羨ましかった。学校へ行く時に、あるいは学校から帰る時に、他の子どもたちには隣を歩く誰かがいるということが。
ずっとそんなシチュエーションを夢見ていたし、自分にもきっとそういう相手がいるはずだと思っていた。現れてくれる……そんな夢みたいなことを思い描いていた。
……ずっと、ずっと、いなかったけれども。
今日この日に、この男がこうして声をかけてくるその瞬間までは。
「――い、おい。聞いてるか阿久津?」
「は? 聞いてるが?」
「っさいなぁさっさと説明続けなよ」
「はいはい。で、クリックはこのボタンで――」
憎まれ口をついつい叩いてしまうのは、嫌われないって確認したいから。
厭味ったらしい口調になってしまいがちなのは、そうしないとこれまで誰からも反応を引き出せてこなかったから。
それでも嫌な顔一つしないこの葛谷巳次という男に対して、真緒の中で芽生え始めている感情の名前を、彼女はまだ知らない。
***
「よーし。じゃ、やるわよゲーム」
「おう、頼むぜ!」
ようやく阿久津にパソコンの使い方を覚えてもらったところで、ついに彼女がゲームを開始する。
「えーと、カーソルを合わせて、この『ゲーム開始』ボタンをクリックして……」
教えた通りに、阿久津がゲーム開始ボタンをクリックした。
同時に流れ出すのは、ズンチャ☆ズンチャ☆ というポップで軽快なメロディーである。
そのメロディーに合わせて右に左にヒョコヒョコしながら画面に登場したのは、まるでチ〇ポそっくりの見た目をした十一匹のモグラファミリーである。
次の瞬間、阿久津の右ストレートが俺の顔面を捉えていた。
「乙女になんてモン見せつけてんのよ!」
「ぬぶぉっ!?」
不意打ちの攻撃に反応できず、モロに攻撃を食らってしまう。
壮絶な痛みに顔面を抑えながら地面の上でもんどりうっている俺に、阿久津が怒りも露わに怒鳴り散らしてきた。
「な、ななななにを、真昼間から! こ、こんなのセクハラよ! 最低! 下品! 信っじらんない!」
「おおおおちつけ阿久津真緒! よく見ろ、それは別に下品なのなんかではない! ただのチ〇ポ風のモグラだ!」
「チ……そ、その、……ンポ風なのが大問題なのよ!」
「え? 今、何風って言った!?」
「言いたくないから濁したのよォ!」
ドゴッ、とさらに蹴りが降ってくる。
慌てて顔面だけでも庇いながら、俺は必死で言い返していた。
「だからよく見ろ! それはただのモグラだぞ! もし仮にカリ付き肉棒的なサムシングに見えるなら、それはお前の心が汚れているという何よりの証だろう!?」
「んぐっ」
「自分の心が汚れているのを棚上げにして他人を責めるのは良くない! そうは思わんかね阿久津真緒!」
適当に言った暴論だが、どうやら阿久津には通じてくれたらしい。
降ってきた蹴りの嵐はどうにか収まり、彼女もとりあえずは冷静さを取り戻してくれたようであった。
「……っ、わ、悪かったわね……。た、確かに私も、ついカッとなってしまったわ」
「いやなに、阿久津も分かってくれたようで何よりだ。よし、じゃあエンターキーを押すとゲームの続きを始められるぞ」
どうにか矛を収めてもらったところで、阿久津にゲームを進行するよう促した。
ちなみに簡単な説明をすると、『Draming Digder』はもぐら叩き系リズムアクションゲームである。
音楽のリズムに合わせて、それぞれ十一匹のペニ……モグラそれぞれに割り当てられたキーを押していくだけの簡単なゲームだ。
練習のために作ったゲームでもあり、まだ一曲しか音楽は組み込めていないが、プレイ自体は一応可能だ。自分でも動作確認のために何度かプレイをしてみたが、なかなか面白くできたと自負している。
「なんか気が進まないけど……仕方ないわね」
そう言いつつ、阿久津真緒はエンターキーを押し込んだ。
『MUSIC START!』の演出の後、ズンチャ☆ ズンチャ☆ と音楽が流れ始める。
そのリズムに合わせて、阿久津がキーボードを押し込んだその瞬間である。
ぬぽっ、という間の抜けた音と共に、〇ナホールの装着されたハンマーがモグラに振り下ろされていた。
ハンマーに包み込まれたモグラは、割り当てられた音を鳴らすのと同時に、白い泡を吹いて倒れる。ううむ、我ながら完璧な演出――。
「死ね殺す死ね死ね死ねッ!」
「ぐぼぉぁ!?」
自分の仕事ぶりに悦に浸っていると、顔面に再び阿久津の拳が叩き込まれていた。
さらに立て続けに、脇腹、みぞおち、さらに顎へのアッパーカットと、流れるような連打を食らう。凄まじい連撃に、俺は再び地面へと沈み込んでいた。
「な、な、なななんなんてものをあんあああんたは……っっっ、し、死ね! 死ね、死ね、死ねぇぇぇ!」
「な、なんだよ、そんなに照れなくてもいいだろ!?」
「照れてんじゃないわよブチ切れてんのよ!」
そう言う阿久津は、「フーッ!」とまるで猫が全身の毛を逆立てている時みたいな唸り声を上げていた。
その様子を見て俺も一瞬で理解する――あ、はい、これは怒り狂ってらっしゃいますね?
「こ、これ、アンタ……なに!? なんてもん作ってんのよ!?」
「なんだよぉ、最高に面白いだろ!? これがモグラ叩きならぬ、モグラ包みってやつだ」
「なに上手いこと言った、みたいなツラしてんのよ! 全然上手くないしただただ下品なだけだから!」
「はぁ!? いや、師匠には大うけだったぞこのネタ」
「まっっっっっったくウケないんですけど!? 死ね! 死ね死ね! ほんっと死んでお願いだから!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす阿久津真緒。
どうやら怒り心頭らしく、俺を殴ることすら忘れているようである。さてはこいつ、本格的にキレると手が出るよりもひたすら怒鳴りまくる派だな?
「ってか、なんでこんなド下品ゲームを私にやらせようと思ったのよ!?」
「そ、そりゃお前……いつもしかめっ面してるから、こういうのやったらちょっとは笑うかと思ってさぁ。あ、ちなみにタイトルの『Draming Digder』はダブルミーニングにもなっててな、モグラが穴を掘るついでに、頭でハンマーも掘ってるっていう――」
「この世で一番聞きたくない裏話だわ! てか、そもそもスペル間違ってるし! DramingじゃなくてDrummingでしょ!」
「え、マジ――んぐっ!?」
つ、ついにこいつ、俺の顔面を足の裏で踏みつけてきやがった……。
強制的に黙り込まされる俺に向かって、さらに阿久津は言ってくる。
「こんなので笑えるやつなんて、この世に一人だっているわけないんだから――!」
「
――阿久津真緒のこの言葉にブチ切れた俺は、その後ゲームを一週間で完成させてフリーゲームのアップロードサイトへと投稿した。
それから三日と経たずして、『不適切なコンテンツを投稿したこと』によりアカウントごとBANされたのは余談である。
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