第5話 通学路にて

 その日、阿久津真緒は朝からイライラしていた。

 とてもとてもイライラしていた。


 というのも、仕事に行く前の母親が、いきなり「あんた学校で問題起こしていないでしょうね?」と話しかけてきたからである。


「あなたが学校で問題起こすとまたお母さん色んなところで人からあれこれ言われるのよ? 小学校の時も中学の時も問題ばっか起こして、それでお母さんずっと恥ずかしい思いしてたんだからね? お願いだから穏便に過ごしてちょうだいよ? お母さんだってあんたのことで恥をかきたくないんだから。もうこれ以上、私に恥をかかせないでちょうだいよお願いだから? ね、分かる? 分かるわよねあなたももう十六歳なんだから?」


 ――死・ね・よ! というのが真っ先に頭に浮かんだ言葉であった。


 しかしそれを正直に口にしたところで水掛け論になるのは分かっているので、「……ん」と不愛想な返事であしらってその場から逃げた。高校を卒業したら速攻で家なんか出てってやる、と何度目になるかも分からない決意を胸に刻み込んだ。


 そんな朝の一件のせいで、とにかく彼女は朝っぱらからストレスを抱え込んでいたのである。


(そりゃ、私だって問題とか色々起こしてるかもしんないけどさ!)


 今日も遠巻きな視線を向けられる中、気性も荒い足取りで学校への道を向かいながら彼女は思う。


(先に喧嘩売って、仲間外れにして、バカにしてくるのはいつも周りの方じゃん!)


 真緒の方からわざわざ他人に喧嘩を仕掛けたことはない。少なくとも自分ではそのつもりだ。

 これまで自分に対して友好的に接してくれる人間なんて一人もいなかったから。いつも『人殺しの父親』のことで後ろ指ばかりさされてきたから。『娘のお前もきっとそういう人間なんだろう』と蔑まれ恐れられ続けてきたから。そうやって攻撃され続けてきたから、攻撃をし返しているだけに過ぎない。


 ただ、それだけのことなのに。


 しかし。


「来たな、阿久津真緒! おはよう!」


 今の阿久津真緒には、なぜか友好的に関わってくる人間がたった一人だけ存在した。


「……うっわ」

「なんだその嫌そうな顔は。相変わらず失礼なやつだなー、お前は」

「あんたに言われたくないよ!?」


 葛谷巳次のことである。


  ***


 阿久津真緒は俺の顔を見るなり、思いっきり表情を歪ませていた。

 目が、「うっわぁ……」と言っている。


「……うっわ」


 口でも言った。


「なんだその嫌そうな顔は。相変わらず失礼なやつだなー、お前は」

「あんたには言われたくないよ!?」

「俺のどこが失礼だというんだ? かの劉備玄徳に倣い、阿久津に対しても礼を尽くしているつもりなんだが……」

「あんたは一度、本気で劉備玄徳に謝罪を申し入れた方がいいと思う。てか、なんであんたこんなところにいるの?」

「通学路だ!」

「……あ、へぇ、あんた通学路私と一緒なんだ。へぇ、ふーん……キモ。ウザ。……ふーん?」


 俺の答えに、何やら阿久津真緒が頬を染めてそんなことを言ってきた。

 俺からも妙に視線を逸らして……何がそんなに不愉快なんだ?


「……ま、あんたみたいな無礼なやつと通学路一緒とか最悪だけど、まあ別に我慢してあげなくもないし? 向かう場所が同じなら一緒に通学するのもやむなし、みたいな?」


 なぜか俺の顔を見ることもなく、阿久津がなにやら早口にまくし立てる。

 後半の言葉は良く聞こえなかったが、『無礼』というワードだけははっきりと聞こえた。


 俺は彼女に向かって胸を張ってこう告げる。


「無礼とはなんだ無礼とは。これだけ袖にされ続けているにも関わらず、めげずにこうして話しかけているんだ。これを礼と言わずしてなんという?」

「それを自分でこれ見よがしに言っちゃうところがなってない。ウザい。キモい」

「まあそれはそれとして、阿久津に見てもらいたいものがあるんだ」

「人の話聞いてる? ねぇ聞いてる? 自分のペースだけでぽんぽん会話飛ばすのやめてよ、ねぇ?」

「これなんだが」

「ねぇってばぁ!?」

「無礼者なんだから自分のペースでぽんぽん会話すっ飛ばすのも仕方がないだろう」

「無礼って言ったの根に持ってる?」


 持ってる。


「それはさておき、まあ阿久津に見てもらいたいものがあるんだ。いや、やってもらいたいもの、と言った方が良いかもしれんが……とりあえず、そこの公園までいったんついてきてくれないか?」

「……今は通学時間中で、朝のホームルームまであと二十分で、それに間に合わせるには途中で油売ってる時間とかないんだけど?」

「安心しろ。俺の特技は遅刻とサボりだ」

「それ、自慢げに言うことじゃなくない?」


 ため息交じりに阿久津が言う。

 それから、「まったく……」と彼女は呟き、


「ウザいしキモいし鬱陶しいけど、仕方ないから今日だけは付き合ってあげるわよ。……あ、付き合ってあげるっていうのはそういう意味じゃないんだからね!? 勘違いしないでよ!? あんたのことなんて、そんな風にはこれっぽっちも思ってたりなんかしないんだからね!?」

そういう意味・・・・・・ってどういう意味だ?」

「そんなのなんでもいいじゃない!」

「いや、ちょっと気になったから具体的にどのような意味を想定して言ったのか教えてくれると助かる――」

「コ・ロ・ス・ワ・ヨ?」


 ガチの殺意を感じたのでおとなしく俺は口を噤んだ。

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