第二話 春風に揺れる蜂蜜色
「ひめさ…陽菜子ちゃんは、一年二組のようですよ」
「ほんと? 見てくれてありがとう」
敷地内に足を踏み入れれば、玄関横の掲示板に張り出されたクラス表の前は、大勢の生徒でごった返していた。だけど、頭一つ分抜けて背が高い颯が私のクラスを確認してくれたおかげで、あの人混みにもまれることは回避することができたみたいだ。
「それじゃあ、私は自分のクラスに行くから。またあとでね」
学年が違う颯とは、ここでお別れだ。内履きに履き替えて教室に向かおうとすれば、何故か颯は不思議そうな顔をする。
「? 何言ってるんですか、俺も一緒に行きますよ」
「え? ……いや、教室くらい一人で行けるし、大丈夫だよ」
颯は昔から過保護だから、また私が校内で迷子にでもなるかもしれないと心配しているのだろう。……まぁ今日は初日だし、それで颯が安心するならいっか。
私の隣を当然のように歩いている颯と一緒に一年二組の教室に向かえば、迷うことなく辿り着くことができた。クラスメイトとなる生徒の多くは既に登校してきているようで、楽しそうなお喋りの声が廊下まで聞こえてくる。
「それじゃあ、本当にここまでで大丈夫だから。颯も自分のクラスに……」
「あぁ、実は俺も同じクラスだったんですよ。姫様と一緒のクラスだなんて、光栄です」
「……ん?」
――同じクラス? いやいや、颯は私より一つ年上なわけで、つまり二年生に進級しているはずだ。それなのに私と同じクラスって、一体どういう……。
意味が分からなくて混乱していれば、そんな私の心中を颯は察してくれたらしい。ニコリと微笑みながら、衝撃の事実を口にした。
「そう言えば、姫様には伝えていなかったかもしれませんが……俺、留年しているんです。なのでもう一度、一年生をやり直すんですよ」
「……。……はい!?」
留年ってどういうこと?だってあの颯がってことでしょ? 文武両道で素行も良い颯が留年しただなんて……何かの間違いに決まってるって。そう思いたいけど……颯がこんな嘘を吐くような人じゃないってことは、私もよく分かっているつもりだ。
「颯のお母さんたちも、このことは知ってるんだよね?」
「はい。母さんももちろん知っていますよ。笑っていましたね」
「いや、笑い事じゃないよね!?」
いや、颯のお母さんはふわふわでのほほんとした温厚な人だから、颯が留年したからって悲観したり怒ったりはしなさそうだけど……でもそれにしたって、中学一年生で留年だなんて聞いたことないよ! よっぽどのことをやらかさない限りありえないよね……?
「颯、何して留年することになったわけ?」
「それは……秘密です」
ニコリと笑って口許に人差し指を添えた颯は、留年することになった経緯を教えてくれる気はなさそうだ。
……とりあえず今は一旦、詮索することを諦めることにして、颯と一緒にクラスに足を踏み入れる。そうすれば、達筆な字で“入学おめでとう”と書かれた黒板が視界に入り込んできた。端の方には、座席表が張り出されている。
近くまで行って確認すれば、私は一番後ろの窓際の席みたいだ。一番後ろの席だなんて、入学早々ラッキーかもしれない。
どうやら颯も一番後ろの席だったみたいだけど、一番右端の廊下側の席だから、私の席とは離れている。
「ひめ…陽菜子ちゃん。それでは俺は、一旦自分の席に荷物を置いてきますね」
颯と別れて(と言っても同じ空間にはいるわけなんだけど)あてがわれた席に向かえば、そこに、眩しい金色が見えた。
「あの……そこ、私の席なんですけど」
窓際の一番後ろの席で、三人の女の子たちに囲まれてボーッと窓の外を見つめているのは、明るい蜂蜜色の髪が良く似合う、綺麗な顔をした男の子だった。
「……あんた、名前は?」
「え? ……私は、杠葉陽菜子、ですけど」
「……ふーん」
聞かれたから名乗ったのに、男の子は興味がなさげな顔で気のない返事をして、まだ窓の外に視線を移す。……というか、聞いてきたのはそっちなのに! 何なのその態度は! というかそこ、私の席だから!
「えー。もしかして、綺羅くんの知り合い? どこかで会ったことあるとか?」
ふわふわした長い焦げ茶の髪を揺らした女の子が、甘い声で男の子に問いかける。
「……いや、知らねーけど」
男の子は私をチラリと見て、だけどまたすぐに視線を逸らす。
――あれ。何だろう、これ。男の子に顔を背けられた瞬間、胸がずきりと痛むような、不思議な感覚が走った。胸の上に手を置いて首をひねっていれば、左隣から、妙な威圧感を感じる低い声が聞こえてくる。
「おい、そこは陽菜子ちゃんの席だ。さっさと退け」
いつの間にか隣に立っていた颯が、蜂蜜色の髪をした男の子を、鋭い目で睨みつけている。
「……何、おまえ」
「……俺は、紫吹颯だ」
険悪な雰囲気でジッと見つめ合っている二人をハラハラしながら見ていれば――私の脳内に、覚えのない記憶が流れ込んできた。
数メートル先には、皇子様のような格好をした男の子が立っている。そしてすぐ目の前には、腰に剣を携えた男の子が、私に背を向ける形で立っている。二人は向かい合って何かを話しているみたいだけど、その声は聞こえてこない。
脳内で映像が映し出されているような不思議な感覚に、目を閉じて浸っていれば、誰かにそっと肩を掴まれる。
「――ん、陽菜子ちゃん」
ハッと意識を浮上させれば、私の顔を覗き込んだ颯が、心配そうな顔で眉を下げている。
「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いんじゃ……」
「だ、大丈夫だから! あの……席もそこ、座ってもらっていいので。私はこっちに座るし」
本来なら蜂蜜色の髪をした男の子が座るはずだった、窓際から二番目の席に腰掛ければ、そのタイミングで始業のチャイムが鳴る。
「ほら、颯も自分の席に戻って」
「……分かりました」
納得がいかないような顔で小さく頷いた颯は、最後にジロリと蜂蜜髪の男の子を一瞥してから、自分の席に戻っていった。
「おれ、
「え?」
席に戻っていく颯の背を見送っていれば、耳に届いたのは――聞き慣れないはずなのに、もっと聞いていたいと思うような、涼やかで柔らかな声。
「よろしく」
少しだけ開いた窓から流れ込んでくる春風に、蜂蜜色の髪が揺れている。
ずっと無表情だった男の子……二階堂綺羅くんが、今はほんの微かにだけど、笑っているように見えて。――私はその表情に、思わず見惚れてしまったのだった。
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