第三話 放っておけない、その理由は



 入学してから、早一週間が過ぎた。

 五時間目の英語の授業が終わり教室内が騒めいている中、前方の席でひそひそと楽しそうにお喋りしている女の子たちの声が聞こえてくる。


「ねぇ、今日一緒に帰ろうって誘ってみなよ」

「えぇ、無理だよ……!」

「大丈夫だって、由美ちゃん可愛いもん! 綺羅くん、絶対良いって言ってくれるって!」


 女の子二人の視線は、どうやら私の隣の席で机に伏して眠っている男の子に向けられているようだ。

 私もチラリと目を向けてみれば、ちょうどこちらに顔が向けられていたので、その綺麗な顔が良く見えた。……睫毛ながっ。顔ちっちゃ。


 この席になって分かったことと言えば、隣の席の二階堂綺羅くんが、その端正な顔立ちも相俟って、女の子たちからモテモテだということ。そしてもう一つ分かったことが、二階堂くんが、ひどく面倒くさがりで無気力であるということだ。


 教科書は持ってこないし、授業中も机に伏せていることが多いので、必然的に隣の席の私が教科書を見せたり、先生に頼まれて二階堂くんを起こしたりする役を担っている。まぁ、ただ声を掛けたり教科書を見せるくらいなら、私は全然良いんだけど……そんな二階堂くんのことが、どうやら颯は気に入らないらしい。


「陽菜子ちゃんの手を煩わせるな」


 授業が終わる度に険しい顔をしてそんなことを言っている。だけど対する二階堂くんは、眠たそうに欠伸をしながら「んー、はいはい」と気だるげに応えるだけだ。


 そんな二階堂くんの態度が余計に火に油を注ぐ結果となっているようで、楓は苛々を隠そうともせずに、私の席に来るたびに二階堂くんを冷たい眼差しで見つめているのだ。


 鞄に教科書を詰めた颯が席を立った姿が見えたので、私も慌てて腰を上げて颯のもとへと向かう。目を覚ました二階堂くんとまた言い合いにでもなったら、色々と面倒だしね。


「颯、帰ろっか」

「陽菜子ちゃん、すみません。実は先ほど担任に呼ばれてしまったんです。急いで終わらせてくるので、少しだけ待っていてもらえませんか?」

「うん、分かった。それじゃあ図書室にいるね」


 申し訳なさそうな顔をしている颯に気にしないでいいことを伝えてから、教室で別れて、私は一人で図書室に向かう。

 この学校は部活動か委員会のどちらかに入れば良いことになっているから、本が好きな私は図書委員会に入ったのだ。待っている間に、どの辺りにどんな本があるのか見ておこうかな。


 ちなみに颯は学級委員だ。図書委員会に立候補していたけど、担任の先生に「皆より先輩なんだから、クラスを纏めてくれよ~」とか何とか笑いながら言われて、強制的に学級委員長にさせられていた。今の呼び出しも、もしかしたらそれ関係のものなのかもしれない。


「ねぇ、杠葉さん。ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」


 廊下を歩いていれば、誰かに名前を呼ばれる。振り返ればそこに立っていたのは、小首を傾げてニコリと可愛らしく笑っている女の子。

 彼女は、二階堂くんに話しかけている姿を目にすることの多い女子の一人だ。確か名前は……そう、河合美憂かわいみゆちゃん。


「うん、少しなら大丈夫だよ」

「それじゃあこっちで話そう?」


 河合さんの後を付いて行けば、彼女は下駄箱で靴を履き替える。どうやら校舎外に出るようだ。チラリと空を見上げれば、お昼休みの時には澄んでいた青空が、どんよりとした厚い雲で覆われている。今にも雨が降り出しそうだ。


 折りたたみ傘を持たせてくれたお母さんに心の中で感謝しながら、長いふわふわの焦げ茶の髪を追いかければ、河合さんは校舎裏で足を止める。そして、くるりと私の方に向き合った。


「杠葉さん。あのね、もう綺羅くんと仲良くしないでくれないかな?」

「仲良くって……えーっと、綺羅くんって、二階堂くんのことだよね? 私別に、二階堂くんと仲良くなったつもりはないんだけど……」

「っ、嘘! だって授業中、いっつも机くっつけたり、話しかけたりしてるじゃない!」


 ――いやいや、それは二階堂くんが教科書を忘れたり寝てるから声を掛けているだけで、その会話だって、九割以上が業務連絡みたいなものだ。


「あれは別に、仲が良いから話してるわけじゃないよ」

「っ、嘘つかないでよ! 杠葉さんだって、綺羅くんのことが好きなんでしょ!?」


 怖い顔をして詰め寄ってきた河合さんに驚いて後退れば、足がもつれて尻餅をついてしまった。その拍子に、肩に掛けていたスクールバッグも地面に落下し、弾みでバッグに付けていたお守りがプツリと切れてしまったようだ。

 拾い上げようとすれば、私の手が届くよりも早く、河合さんがお守りを手にして私から遠ざけようとする。


「っ、それは大切なものなの。返して」

「それじゃあ、もう綺羅くんに構わないって約束してくれる?」

「構わないも何も……私は初めから、そんなつもりないよっ!」


 河合さんがお守りを持った手を高く挙げる。私も手を伸ばしてお守りを取り返そうとすれば、後方に手首を捻った河合さんの掌から――宙で歪な弧を描いて、お守りが飛んでいった。目で追いかければ、お守りは近くにあった丸池にポチャンと吸い込まれてしまう。


「「あっ‼」」


 私と河合さんの声が、綺麗にハモった。

 河合さんの顔を見れば、気まずそうに目線を逸らして、口をもごもごと動かしている。


「わっ……私は悪くないから!」


 そう言ってこの場に背を向けたかと思えば、あっという間に駆けて行ってしまった。


「……最悪だ」


 この場に一人取り残された私は、数秒ほど呆然と突っ立っていたけれど、まずは早くお守りを捜そうと思い、慌てて池の方に向かった。


 丸石で囲まれた池は、直径四メートルほどはありそうだ。水は少しだけ濁っているから、その底まではよく見えない。だけどそこまで深くもないし、直ぐに見つかるだろう。


 靴と靴下を脱いで恐る恐る池に足を踏み入れれば、ひんやりとした水の冷たさが足の指先からじわじわと伝わってくる。


 あのお守りは、私が小学一年生になったお祝いにって、颯が自分で貯めていたお小遣いでプレゼントしてくれた、大切なものなんだから。――絶対に見つけないと。



 捜し始めて五分ほど。気づけばポツポツと雨が降り始めている。


 本格的に降り出す前に見つけたいところだけど、絶対にこの池に落ちたはずなのに、お守りは中々その姿を見せてはくれない。

 でも、絶対にこの池のどこかにあるはずなんだから。早く、早く見つけなくちゃ……!


「水遊びにはまだ早いんじゃない?」


 背後から聞こえた声に、反射でビクリと肩が上がる。後ろに振り向けば、そこに立っていたのは二階堂くんだった。何故か傘も差さずに突っ立っている。


「……これが水遊びしてるように見える?」

「……まぁ、見えないけど」


 今は二階堂くんに構っている暇はないと、再び視線を池に落としてお守りの捜索を始める。そうすればまた後ろから、今度は声ではなく、音が聞こえてきた。――ポチャン、と、水中に足を踏み入れたような音。


「……え。何で……」

「何でって……捜してるの、大切なものなんだろ? だったら二人で捜した方が早いじゃん」


 二階堂くんは制服が濡れてしまうのも気にせずに、池の中に両手を突っ込んでいる。


「い、いいよ、大丈夫だから! 雨だって降ってるし、二階堂くんが風邪引いちゃったら大変だから…「ねぇ、捜してるのって、もしかしてこれ?」


 二階堂くんの手に握られているのは、本来なら淡い緑色だったはずが、たっぷりと水を含んで濃い緑色に変色している、私が捜していたお守りだった。


「っ、うん、それ!」

「じゃあ、はい」


 二階堂くんが手渡してくれたお守りを両手で受け取って、もう失くさないようにと、ぎゅっと力を込めて握りしめる。


「……二階堂くん、ありがとう」

「別に……いいよ」


 笑顔でお礼を伝えれば、二階堂くんは視線を逸らして、素っ気ない声色で呟くように返事をする。


「そういえば、二階堂くんはどうして校舎裏なんかにきたの?」

「起きて窓の外ぼうっと見てたら、あんたがクラスの女子とこっちに向かうのが見えて……気づいたら、足が動いてた」

「気づいたらって……何それ。っ、ふふ、変なの」

「……確かに、変だよな。でも……あんたのこと、一人にしておけないって思ったから」




「――のこと、絶対に一人になんてしないから」




 ――――あぁ、まただ。また、不思議な記憶が流れ込んできた。


 二階堂くんの言葉が、知らない誰かの言葉とリンクして、私の胸を痛いくらいに締め付ける。何でこんなにも、泣きたいような気持ちになるんだろう。


「ねぇ、二階堂くんと私って……」


 ――どこかで会ったこと、ないかな?


 そう続けようとした言葉は、けれど声となって二階堂くんに届くことはなかった。



「姫様!」


 傘も差さずに走ってきたらしい颯は、池の中で雨に濡れている私と二階堂くんを交互に見て、グッと眉根を寄せた。苦虫を噛み潰したような、何とも複雑そうな顔をしている。


「……姫様?」


 颯の呼び方が気になったのか、二階堂くんがボソリと、その言葉を復唱する。


 颯はそんな二階堂くんを真っ直ぐに見つめる。だけど声を掛けることはせずに、靴を履いたまま、躊躇なく池に入ってきた。


「……陽菜子ちゃん、行きましょう」

「え、颯、ちょっと待っ…「今度こそ、姫様は俺が守ります」

「……颯? 急に何言って……「さぁ、行きましょう」


 私の腕を掴んで歩き出した颯に引っ張られるようにして、私も池の外へと足を踏みだした。颯は投げ捨てるようにして置かれていた私の靴と靴下を持つと、裸足の私を横抱きにして無言で歩き出す。


 後方からは、二階堂くんの視線が突き刺さってくるのを感じる。だけど……いつもと全く違う雰囲気を纏った颯の姿に困惑してしまった私は、何故だか二階堂くんの方に振り向くことを躊躇してしまって。


 そのまま大人しく颯の腕に抱かれて、校舎内に向かったのだった。


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