生まれ変わっても、また君と。

小花衣いろは

第一話 幼馴染と姫様



 空を見上げれば澄んだ青空が広がっている。右を見れば舗道の向こうで、大きな桜の木が桃色の花を咲かせている。左を見ればそこには、私と同じ制服に身を包んだ男の子が、ニコニコと嬉しそうに笑っている横顔が見えて。


「……ねぇ、颯」

「はい。何ですか、姫様?」


 名前を呼べば、私の左隣を歩いていた彼――紫吹颯しぶきはやては、満面の笑みを広げたまま私を“姫様”と呼んだ。


 けれど私の名前は杠葉陽菜子ゆずりはひなこであり、姫様などという名前ではもちろんない。この呼び方は、颯が勝手に命名した謎のあだ名のようなものだ。

 恥ずかしいからもう何度も止めてほしいってお願いしているのに、これは癖のようなものだからと意味が分からない屁理屈をこねて止めてくれないのだ。だから、二人きりの時限定で“姫様”呼びを許可している。


「鞄くらい自分で持てるから、いい加減返してほしいんだけど」

「いえ、それで姫様の手が赤くなったりお疲れになったら大変ですから」

「いや、まだ教科書も入ってないんだし、めちゃくちゃ軽いから。それに鞄持つくらいで疲れてたら、これから毎日登校できないよ」

「大丈夫です。登下校の際は、毎日俺が鞄をお持ちしますので」

「……それじゃあ、今日だけお願い。でも明日からは、さすがに自分で持たせてね」

「はい、分かりました」


 颯は中学二年生で、私の隣の家に住む一つ年上のお兄ちゃんであり、所謂いわゆる幼馴染という間柄だ。

 頭が良くて運動神経も抜群で、すごく頼りになる存在ではあるんだけど……今私の隣を歩いている颯は、とてもじゃないけど私より年上のお兄ちゃんには見えない。私の鞄を手にして何故か満足そうにしているその姿は、近所の田中さんが飼っている柴犬のシバオを彷彿ほうふつとさせる。ブンブンと揺れる尻尾の幻覚まで見えてきそうだ。


「でも、姫様ももう中学生になるんですね。……何だか感慨深いです」

「感慨深いって、颯もまだ中二でしょ。私と一つしか変わらないのに、お父さんみたいなこと言わないでよ」

「はは、確かにそうですね。でも、姫様がこんなに小さな頃から一緒にいたので、そんな気持ちにもなりますよ」


 颯は親指と人差し指の隙間を三センチほど開いて言うけど、さすがにそんなに小さくはないだろう。それじゃあ親指姫だ。

 ……でもまぁ、私が生まれた時から傍にはいつだって颯がいたから、颯が感慨深さを感じるのも、仕方のないことなのかもしれない。


「それにしても、姫様……やはりよく似合っていますね」

「似合ってるって、制服のこと?」

「はい。とても可愛らしいです」


 胸元に赤いリボンが付いた紺色のセーラー服を着ている私は、今日から中学一年生になる。颯は、これから毎日私と一緒に登校できることが嬉しいらしい。

 今朝なんかは、早朝の五時には学校に行く準備を終えてスタンバイしていたのだと、颯ママが可笑しそうに教えてくれた。


「颯って、中学でもそんな感じなの?」

「そんな感じ、とは?」

「いや、女の子のこと姫様って呼んだり、年下の子にも敬語で喋ったりとか……」

「まさか。これは姫様限定ですから」


 爽やかに笑っている颯は、顔だけ見ればイケメン好青年のはずなんだけど……性格がちょっと、ううん、かなり変わってるんだよね。私を姫様って呼ぶこともそうだし、何故か敬語で話してくるところとか、過保護過ぎるところとか。


「あのさ、颯が一緒の学校なのはすごく心強いんだけどね? でも、私ももう中学生になるわけだし……これからは、そんなに気にかけてくれなくても大丈夫だよ」


 小学校の時も大変だった。颯は休み時間のたびに私の教室にまで顔を出しにきたり、私にちょっかいをかけてくる男子に笑顔で詰め寄ったり、運動会では敵チームの私を大声で応援してきたり……とにかく色々とすごかったのだ。今でも鮮明に思い出せるびっくりエピソードが、山のようにある。


 中学生になるのだし、さすがにそこまでのことは、もうしてこないだろうと思いたいけど……念には念をと言うことで。

 学校で必要以上に関わってくることがないよう、やんわりと伝えておく。そうすれば、颯の顔から笑顔が消え去り、その端正な顔がサッと蒼ざめる。


「……も、もしや俺は、何か粗相をしてしまったでしょうか? 姫様に不快な思いをさせてしまったのだとしたら……今すぐ腹を切ります」

「って、いやいや何でそうなるの!? そうじゃなくてさ……!」


 泣きそうな顔で、今にも本気で腹を切りかねない雰囲気の颯の腕を掴んで、慌てて誤解を解く。


「その、颯にはさ、私にばっかり縛られないで、もっと色んな人と関わってほしいというか……自由に好きなことをして過ごしてほしいなって思ってるの! それこそ、私なんかに構ってたら、彼女とかもできないんじゃないの?」

「……はは、何だ。そんなことですか」

「な、何で笑うの!」

「いえ、すみません。姫様はお優しいなと思って」


 私の言葉を聞いた颯は、ぱちりと目を瞬いたかと思えば、緩く口角を上げて笑みを漏らす。


「ですが俺は、誰かと恋をするつもりなどありませんから大丈夫ですよ。俺の望みはただ一つ。姫様が幸せであることです」


 颯は目を細めて、優しい顔で、私を真っ直ぐに見つめる。


 ――颯はいつもそうだ。いつだって私の為を思って、私のことを一番に考えてくれる。だけど、それなら颯はどうなるの? 私は颯にだって、幸せになってほしいって、そう思ってるのに……。


「姫様、学校が見えてきましたよ。姫様のお母さまたちも後から来られるんですよね?」

「……うん、そうだね」

「後でお母さま方と写真を撮りますよね? 良ければ俺に写真係をさせてください」

「うん、お願い。でも、颯も一緒に撮ろうね」

「お、俺も一緒に写っていいんですか?」

「……当たり前でしょっ!」


 私がむくれていることには気づいていないらしい颯は、私の言葉を聞くと、その綺麗な顔にパッと笑顔を咲かせる。その顔を見上げていたら……何だか、不貞腐れているのが馬鹿らしくなってきた。


「……楽しい学校生活になるといいなぁ」

「心配しなくても、姫様なら大丈夫ですよ。絶対に楽しい毎日になりますから。俺が保証します」

「っ、ふふ。どこからくるの、その自信は」


 真面目な顔をして話す颯が可笑しくて笑ってしまいながら、とうとう辿り着いた中学校の正門を潜った。――これから私の中学校生活が始まるのだと、期待と少しの不安に、ドキドキと胸を高鳴らせながら。


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