先輩と後輩は一歩前へ踏み出す


  *


「……あの、私……その……」


 もじもじと指を動かしながら、彼女は何かを言おうとするが、なかなか言葉にならない。


 それでも辛抱強く待っている俺の耳に、やがて蚊の鳴くような声が届けられた。


「わ、私は……ずっと前から、先輩のことが好きだったんです……!」


「………………は?」


 思わず俺は耳を疑った。


 え?


 なに?


 どういうこと?


 好きって、まさかそういうアレなのか!?


 いやいやいや!


 そんなはずはないだろう!


 だって相手は後輩ちゃんだぞ!?


 こんなにかわいくて優しくて良い子で、おまけに料理もできるハイスペックな女の子に好かれる要素なんて、俺にあるはずがないじゃないか!


 きっと何かの間違いだ。


 そうに違いない。


 うん、そうだ。


「……あー、それはどうもありがとう」


 とりあえず、お礼を言っておくことにした。


「あ、はい、どういたしまして!」


 なぜか嬉しそうに笑う後輩ちゃん。


 しかし、すぐにその表情を曇らせて、しょんぼりと肩を落とす。


「でも、先輩が私の気持ちを受け入れてくれるはずないですよね……。私なんかじゃ、先輩の彼女になる資格ないですし……」


 いや、そんなことないよ!


 俺が君を振るなんてことありえないから!


 心の中で叫びながら、俺は慌てて口を開く。


「そ、そんなことはないぞ! 君はとても魅力的だよ!」


「本当ですか!?」


 俺の言葉に、後輩ちゃんはパッと表情を輝かせた。


「じゃあ、私と付き合ってくれますか?」


 期待に満ちた目で見つめられ、俺は言葉に詰まる。


 もちろん答えはイエスなのだが、それを伝える勇気がない。


「い、いや、その……」


 口ごもる俺に、後輩ちゃんが悲しげに目を伏せる。


「やっぱり、私みたいな子ではダメなんですね……」


 違うんだ!


 そうじゃないんだよ!


 ただ、俺は君が思ってくれているほど立派な人間じゃないんだ!


 だから、君の想いに応えることはできないんだよ!


 心の中の叫びは、しかし声にならない。


 結局、俺は何も言うことができず、気まずい沈黙が流れる。


 すると、突然、後輩ちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。


「えっ!? ど、どうしたんだ!?」


 突然のことに、慌てる俺。


「ごめんなさい……! 先輩に迷惑をかけるつもりじゃなかったんですけど、どうしても我慢できなくて……!」


 しゃくりあげながら、必死に謝る後輩ちゃん。


 その姿を見ていると、なんだか胸が締め付けられるような気持ちになる。


「お、落ち着いてくれ! 迷惑だなんて、そんなこと全然ないから!」


 俺は慌てて彼女に駆け寄り、その華奢な体を抱きしめた。


「せ、先輩……?」


 驚いたように目を見開く彼女の耳元で、俺は優しく囁く。


「大丈夫だ。何があっても、俺は君のことを見捨てたりしないから」


 その言葉に、後輩ちゃんは一瞬体を震わせると、ぎゅっと俺の背中に手を回してきた。


 そして、堰を切ったように大声で泣き始める。


 そのまましばらくの間、俺たちは抱き合っていた。


 どれくらい経っただろうか。


 ようやく落ち着いたらしい後輩ちゃんが、恥ずかしそうに俺から体を離した。


「すみません、取り乱してしまって……」


 顔を赤らめて俯く後輩ちゃんに、俺は笑って首を振る。


「気にするな。誰だって泣きたい時はあるさ」


 そう言うと、彼女はほっとしたような表情を浮かべた。


「ありがとうございます。優しいんですね、先輩は」


 それから、再び俺たちの間に沈黙が訪れる。


 さて、どうしたものか。


 このまま黙っていても仕方ないのだが、何か言わなければと思っても、なかなか言葉が出てこない。


 そんな俺を、不意に後輩ちゃんが上目遣いに見つめてきた。


「あの、先輩……」


「ん? なんだ?」


「一つお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?」


「ああ、構わないけど、どんな願いだ?」


 尋ねると、彼女は少し躊躇う様子を見せてから口を開いた。


「もしよかったら、私のことを名前で呼んでほしいんです」


「え? でも、いいのか?」


「はい! 大丈夫です! お願いします!」


 そこまで言って、ふと気づく。


 もしかして、これはチャンスなんじゃないか?


 ここで呼び方を変えれば、二人の関係が変わるかもしれない。


「わかったよ。これからは君を『真白』と呼ぶことにする」


 覚悟を決めて告げると、後輩ちゃん――もとい、真白の顔がぱあっと輝いた。


「はい! よろしくお願いしますね、和成さん!」


 嬉しそうに微笑む彼女の顔を見つめながら、俺は思う。


 ああ、本当に、かわいいなあ……。


 そう思った俺は、もう一度、真白の体をそっと抱き寄せたのだった。

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