好きへと変わる気持ち


  *


 夏の季節、ジンジンと暑い図書室の中で僕は相変わらず、本を読んでいた。


 図書委員である彼女はカウンターに座っていて、その向かい側には誰も座っていない机がある。


 そこが、僕の定位置だ。


 本を読むときは、なるべく静かな環境で読みたいから、いつも彼女がいるこの席を選んでいる。


 いつものように本を読んでいると、不意に横から声をかけられた。


「ねぇ」


 それは彼女からの呼びかけだった。


 それまで彼女とは必要最低限の会話しかしたことがなかったし、僕も自分から話しかけるタイプではなかったから、突然のことに驚いてしまった。


「……な、なに?」


 戸惑いながら答えると、彼女はじっと、こちらを見つめてきた。


 長い前髪のせいでその表情はよく見えないが、口元だけはよく見える。


 薄く開かれた唇から覗く八重歯が印象的だった。


「キミって、いつもここにいるよね」


「えっ? あ、うん」


 いきなり、なんだと思ったけれど、素直にうなずく。


 すると、彼女は、さらに質問を重ねてきた。


「友達とかいないの?」


「えっ……いや、まぁ……」


「ふーん、そうなんだ」


 それきり会話が途切れる。


 気まずい沈黙が流れる中、僕はどう反応したらいいのかわからずにいた。


 確かに友達はいないけど、それをわざわざ聞いてくるなんてどういうつもりなんだろう?


 もしかして、僕をバカにしてるのか?


 そんな考えが頭に浮かんだとき、再び彼女が口を開いた。


「あのさ、あたしと付き合わない?」


「……へ?」


 突然の言葉に、間抜けな声が出てしまう。


 付き合う? 僕と彼女が? なんで? 頭の中が疑問符でいっぱいになる。


 疑問符がいっぱいになったからこそ、僕は本心とは少し違うことを言う。


「ごめん、無理」


「そっかぁ……」


 そう呟いた彼女の顔には、なぜか笑みが浮かんでいた。


  *


 次の日、教室で友人達と談笑していると、ふいに肩を叩かれた。


 振り向くと、そこには彼女が立っていた。


 昨日の一件があったせいか、妙に意識してしまう。


 でも、向こうは特に変わった様子もなく話しかけてきた。


「ちょっといい?」


「う、うん」


 そのまま、廊下へと連れ出される。


 一体なんの用だろう? そう思っていると、彼女は唐突にこんなことを言い出した。


「昨日のことなんだけどさ、やっぱ付き合ってよ」


「……はい?」


 一瞬、なにを言っているのか、わからなかった。


 昨日、断ったはずなのに、なんで、また、そんなことを言ってくるんだ?


「あ、あのさぁ、どうしてそうなるわけ?」


「えー、いいじゃん別にー」


 そう言って笑う彼女からは、悪びれた様子は全く感じられない。


 それに昨日のやり取りを思い出す限り、彼女は僕のことを好きだとは思えない。


 それなのに、どうして、こんなことを言うんだろう?


 ますます意味がわからなくなった。


 だけど、そんな僕の気持ちなどお構いなしに、彼女は話を続けてくる。


「じゃあ、とりあえず連絡先交換しよ? スマホ持ってるでしょ?」


「えっ、いや、えっ?」


「ほら、早く!」


 半ば強引にスマホを奪われて、あっという間に連絡先を登録されてしまった。


 ――授業開始を告げるチャイムが鳴った。


「あっ、やば! もう行かなきゃ!」


 慌てた様子で教室へと戻っていく彼女を見送りながら、僕は途方に暮れていた。


 それからというもの、毎日のように彼女とメールのやりとりをしている。


 その内容は他愛もないものばかりだったけど、それがかえって不気味だった。


 彼女は、なにを考えているのだろう? なにを思って僕に告白してきたのか? まったくわからない。


 ただ、ひとつ言えることは、このままじゃ、まずいということだ。


 このままだとなし崩し的に付き合う羽目になってしまうかもしれない。


 それだけは絶対に避けないといけないような気がした。


  *


 ある日のこと、下駄箱に一通の手紙が入っていた。


 差出人の名前は書かれておらず、封を切ってみると中には一枚の便箋が入っていた。


 そこに書かれていた内容はというと……。


『放課後、校舎裏に来てください』


 たった、それだけだった。


 まさか、これってラブレター!?


 いや、でもまだそうと決まったわけじゃないし……とにかく行ってみよう。


 そして、放課後になって校舎裏に行ってみると、そこで待っていたのは彼女だった。


「来てくれたんだね」


「ま、まぁね……」


 気まずさを誤魔化すように頬を掻く。


 すると、彼女は笑顔でこう言った。


「ねぇ、あたしの彼氏になってくれない?」


 やっぱり、そういうことだったのか。


 そう思った瞬間、思わずため息が出てしまった。


 どうせ、そんなことだろうと思ったよ。


 でも、ここは、きっぱりと断らないと。


 じゃないと、ずっと、つきまとわれることになるかもしれないし。


 そう思って口を開きかけたとき、先に彼女が口を開いた。


「ダメかな……?」


 上目遣いでじっと見つめられ、言葉に詰まってしまう。


 そんな彼女を見ていると、なんだか自分が悪いことをしたような気分になってきた。


「い、いや、その……」


 ダメだ、うまく言葉が出てこない。


 なにも言えずにいると、不意に彼女の方から離れていった。


「そっか……わかった」


 そう言って立ち去ろうとする彼女に、僕は慌てて声をかける。


「ち、ちょっと待ってよ!」


 その声に振り向いた彼女は、少し悲しげな表情を浮かべていた。


 それを見て胸がズキリと痛む。


 そんな顔されたら放っておけないじゃないか……!


「……いいよ」


 気がつくと、そう答えてしまっていた。


 その瞬間、彼女の顔がぱぁっと明るくなる。


「ホント!?」


「う、うん……」


 頷くと、今度は満面の笑みになった。


 その顔を見た瞬間、胸の鼓動が速くなるのを感じた。


 顔が熱い。


 きっと真っ赤になっているに違いない。


 でも、不思議と悪い気分じゃなかった。


 むしろ嬉しいと思っている自分に驚いているくらいだ。


 どうしてだろう……?


 彼女は嬉しそうに笑っている。


「やったぁ! これからよろしくねっ♪」


 こうして僕と彼女の奇妙な交際が始まったのだった。


  *


 夏休みに入っても、僕達の関係は変わらなかった。


 毎日メールのやりとりをして、たまにデートして、一緒に過ごす時間が増えていって……気が付けば彼女と一緒にいることが当たり前になっていた。


 そんな、ある日のこと、いつものように部屋で本を読んでいると、ふと背後から声をかけられた。


 振り返ると、そこには彼女が立っていた。


「ねえ」


「なに?」


「キスしたいな」


 その言葉にドキッとする。


 それと同時に胸の奥から温かいものが込み上げてきた。


 ああ、そうか。


 僕、この子のことが好きなんだ。


 だから、こんなにドキドキしているのかもしれない。


 このとき、初めて自分の気持ちを自覚した気がする。


 だけど、同時に疑問が浮かんだ。


 はたして、このままでいいのだろうか?


 確かに彼女は可愛いと思う。


 見た目だけじゃなくて性格もいいし、一緒にいると楽しいと感じることも多い。


 それに僕なんかにはもったいないくらいのいい子だとも思う。


 だけど、僕なんかには釣り合わないんじゃないかって思うと不安になるんだ。


 こんな地味な僕なんかより、もっと、ふさわしい相手がいるんじゃないか?


 そう考えると怖くなってくる。


 だけど、そんな僕とは対照的に、彼女は平然としているように見えた。


 まるで、僕のことなんか眼中にないような感じだ。


 ひょっとしたら、僕なんかいなくても平気なのかもしれない。


 そう思うと悲しくなってきた。


 そんなことを考えていたせいだろうか?


 無意識のうちにこんな言葉を口走っていた。


「あのさ、僕なんかじゃなくて別の子と付き合った方がいいんじゃない?」


 その言葉を聞いた途端、彼女の顔が強張ったような気がした。


 もしかして怒らせちゃったのかな?


 そう思った瞬間、いきなり彼女に両肩を掴まれた。


 突然のことに驚いていると、そのまま壁際まで追いつめられてしまう。


 そのまま壁に両手をついて顔を近づけてきたかと思うと、至近距離で見つめられた。


 間近で見た彼女の顔は驚くほど綺麗だった。


 長い睫毛に大きな瞳、すっと通った鼻筋に艶やかな唇。


 それらが目の前にあるという事実に、頭がクラクラしてくる。


 そして、そのまま唇を重ねられた。


 柔らかくて温かい感触が伝わってくる。


 初めての感覚に頭の中が真っ白になっていくようだった。


 やがて唇が離れると、彼女は笑顔を浮かべながら言った。


「あたしはキミが好きなの。ほかの子なんてどうでもいいよ」


 そう言って再びキスをされる。


 今度のキスは、さっきよりも長くて深いものだった。


 口の中を舐め回され、舌を絡ませられる度にゾクゾクとした快感に襲われる。


 あまりの気持ちよさに意識が飛びそうになった頃、ようやく解放された。


 荒い息を吐きながら呆然としていると、耳元で囁かれる。


「あたしのこと好き?」


 その問いに僕は頷いた。


 もう、なにも考えられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る