1.プロポーズ ②

「えっ?」


 正座した膝をつねり、勝利を確信して零れかけた笑いをこらえていたかえでは、唖然として祖母を見返した。


「おばあさま、蒼さんはわたしの手を売り物にすると言ったんですよ?」


「売り物はかえでの手じゃなくて、記憶を取り除くサービスでしょうよ」


「そういうことじゃなく。知らない相手に力を使うのがどれだけ危険か、おばあさまならご存じじゃないですか」


「相手の同意も得て、触ると決めて触るなら危険はないでしょうよ。蒼はそこのところも考えて提案してくれたんよね?」


「当然です」


 蒼が、隙なく着こなしたスーツ姿で請け合う。かえでは顔を青くして蒼をにらんだ。

 ひょっとして、休日なのに蒼がスーツを着てきたのはこのためか。責任ある社会人だと知らしめて、祖母の信用を得るため。

 これでは予想と違う。


「でも、あとで記憶を戻せと言われても戻せないんですよ? 望まない結果に終わっても取り返しがつきません。それに、もし手のことが広まったら? わたしはぜったい嫌です、なにが起きるかわからないのに……!」


 ただ目立たず、誰にも指をさされずに生きたいだけなのに。


「……かえでには話したことがあったっけね」


祖母は落ちついた様子を崩さずに言う。


「今はかえでにしかその力はないけれど……もともと私の曾祖母の代までは、才宮は蒼が言ったような商売を生業なりわいにしていた家なんよ。当時は政財界の大物さんが主なお客様で、いわくつきの依頼も受けていたと聞くわ」


蒼もかえでも、目を見開く。


「といっても、私が知っているのはそれくらい。私自身ももみじ……あんたの母にも、その力は現れなかった。だからあんたに力があるとわかって驚いたわ……せめて当時の文書でも残っていれば、かえでの助けになれたかもしれないのにね」


 才宮にかえでとおなじ手を持つ人間がいたのは、祖母に預けられてまもなくのころに教わった。

 何代も発現しなかった能力が自分に現れたことを思うと、いまだに怒りとも恨みともつかない複雑な感情が胸に湧く。

 しかし、商売にしていたのは初耳だ。


「そんなの……昔とは時代が違います。今はSNSだってありますし、どんな形で拡散されるかわかりません。面白半分で依頼されるのも嫌です。それに、あまり必要以上にひとと関わりたくありません」


「引き受けるのは、信用できる人間に限ればいい。SNSは心配要らないと思う。客としても、記憶を抜かれたなんて軽々しく口にできないだろ。証拠もないし、言ったとして自分の頭を疑われるだけだ。かえでが危惧きぐするほど表には出ない」


 横から口を挟んだ蒼に祖母も同調した。


「お客は私が紹介するわ。信用できるひとだけを集められると思う。衰退したとはいっても、一部では才宮の名前は今も知られてるんよ」


「助かります。広告を打つわけにもいかないので、客を取る方法が悩みの種でした」


「店舗はここの離れを使いなさい。かえでが出ていって、部屋が空いたままなんよ」


「待ってください! わたしはっ……」


 テーブルに両手をついて身を乗り出すも、かえでの言葉は蒼にかき消されてしまった。


「正直、ありがたいです。個人情報をさらすのですから、誰にも聞かれない場所が必要だと思っていました。これで想定より早く店を開く目処めどが立ちました」


 あれよあれよというまに、祖母と蒼のあいだで話がまとまってしまう。その後も、かえでがいくら反論しても、情に訴えても、かわされるばかりだった。

 話のあと夕食を勧められたが、とうていそんな気分になれず、かえでは蒼を連れて早々に祖母の家を辞した。

 蒼だけでなく祖母にまで裏切られた気分で、坂道を下る目線はどうしても下がりがちになる。


「幼なじみだっていうのは事実だったんだな」


 かえでが「え?」と首を捻ると、蒼が遠くに視線を向けたままつぶやいた。


「緑茶」


 短い返答に、あ、と口をつく。昔の蒼は緑茶が苦手だった。だから早苗はいつも蒼が来るときには、ほうじ茶を出していた。


「蒼さん、苦いのも飲めるようになったんですね」


「いつまでも子どもじゃない。……なんで俺の記憶を抜いた? それだけ自分の力を嫌がっておきながら」


 足を止めた蒼に正面から見つめられ、ぐっと喉がつまった。


「……蒼さん、やっぱりわたしとは関わらないほうがいいです」


「なんだ急に。店は予定どおり開くからな。記憶を戻せないなら抜くところは見せてもらう」


「お店のこともですけど、わたしに関わったら蒼さんはきっと嫌な思いをします。……お先に失礼しますね」


 かえでは素早く頭を下げると、今度はいつかみたいに蒼にバッグを取られないよう腕に抱えて走った。

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