第8話 公式接触

西暦2025(令和7)年9月18日 グレナダ平原東部


 会戦から1週間が経過し、第7師団は再編を終えて防衛体制を整えていた。何せ相手は4個師団が壊滅し、残る3個師団も特科部隊の自走りゅう弾砲と多連装ロケット砲の猛撃を受けて撤退。しばらく大規模な攻勢を仕掛ける事は出来ないだろうと見られていた。


「今回の戦闘にて、我が方は相当数の捕虜を得ました。その中には貴族を名乗る者もおり、一般兵との明確な区別をしてほしいと文句を言ってきております。まぁ、あのまま放置すると、一般の兵士がリンチを試みてくるので、隔離はしておりますが」


 報告を聞き、師団長の西田は小さく息をつく。


「まさか、貴族階級の者たちが部隊の指揮官として戦場に出張ってくるとは…時代錯誤にも程があるな」


「我が国との戦争ですら、彼らの出世争いの一つに過ぎないと考えると、何とも言い難いものがありますね」


「だが、交渉のカードとして使い道はあろう。何せ外交交渉すら至っていないのだ。彼らの身柄を返す条件として、土地の一部を拝借する権利を得る事も考えねばならんな。問題は、外務省の連中にその度胸と知恵があるかどうか、だがな」


 我ながら卑怯な手法だとは思うが、彼らは1億2千万の同胞の将来を守るために戦っているのだ。姑息だと言われようが、国家の未来を繋げるためにも、リスヴォアとその周辺地域の権益を得る事が求められた。だが外交官の多くを喪失した外務省が果たして、強気かつ狡猾な交渉を行う事が出来るのか、はなはだ不安でしかなかった。


「ともかく、捕虜を用いて交渉の掴みを得たいところだな。このままでは戦争を終える事すら出来ん。結果がどうなろうが、国家間のあるべきやり取りができる様にしたいところだ」


 西田の言葉に、多くの幕僚が頷く。師団自体の損害は軽微だし、弾薬に燃料も余裕はある。しかし防衛費は厳しすぎる上限がある以上、早く撤収して北海道に帰りたいのが切実な思いであった。


・・・


 幸いな事に、現場で考えられた事は本土の政治の場でも考慮されていた。


「現在、自衛隊は帝国軍の捕虜を用いて、相手と交渉の席を設けようとしております。相手が素直に応じてくれるかどうかは不明ですが、通信機器もいくつか鹵獲出来ておりますし、周波数が分かれば無線で呼びかける事も可能でしょう」


 西岡統合幕僚長の説明を聞き、大久保は頷く。


「これで、少なくとも交渉のテーブルを設けるまでの算段がついたか…だが、果たして相手は大人しく話し合いに応じてくれるだろうか?」


 大久保の問いに答えたのは、森野外務大臣だった。


「応じてくれなくても、こちらから押し入るしかないでしょう。相手は迂闊に過ぎました。自慢の大軍が容易く敗北し、帝国の政治体制の象徴である貴族も大量に戦死したのです。民衆の反乱を招くリスクを考慮して、講和の場を設けようとしてくれるのなら、十分な成果となります」


「後がないのはあちらも同じだからな。流石に矛の収め方を模索してくれているといいのだがな」


 官房長官が不満そうに呟く中、大久保は須田に目を向ける。


「そう言えば、自衛隊の防衛力整備計画に修正が加わると聞きましたが、どの様に変わりますか?」


「はい。まず陸戦がこれまで以上に重視される事になったのと、自前で航空戦力を更新・調達しなければならなくなったため、防衛産業に関わる企業に対して、装甲車両及び航空機の開発と生産を要請しております。すでに岩崎重工は装軌式装甲車両と先進技術実証機をベースとした航空機の開発を進めており、来年より本格的な量産に臨む予定です」


 須田曰く、数だけは驚異的であるヒスパニア帝国軍に対して自衛隊を外交カードとして機能させるためには、3個機甲師団と2個航空団をリスヴォア周辺の地域に張り付けておかねばならず、新たな方面隊を作り出す程の行動をしなければならないという。当然ながら岩崎重工の有する工場のみでは生産が追い付かないため、他の企業の生産能力にも頼る様にする方針である。


「それに需要はヒスパニア方面のみならず、台湾でも旧式化している装備の更新として、装甲車両や航空機を求めていますからね。共同開発という形で効率的に調達する予定です」


「成程…」


 須田の説明に大久保が頷いていたその時、西岡が報告を上げてくる。


「総理、現場より報告です。帝国と無線が通じたそうです。今後は外務省の主導での交渉を開始する様に求めております」


・・・


 斯くして、無線通信を用いた現場での接触が開始されたのであるが、交渉は平行線を辿る事となった。


 まず日本側は、損害賠償と謝罪を求めた。唐突な侵攻と攻撃を謝罪し、その賠償として一部の土地を譲渡してくれれば、これ以上攻め入る事はしないと、自分たちは理性的かつ約束に厳しい国である事をアピールした。


 だが、ヒスパニア帝国の面々はプライドが高かった。これまで『未開の蛮族どもの集団』だと思い込んでいた国に屈し、甘んじて謝罪と賠償など行えば、帝国としての矜持は無残なものとなる。むしろ戦死した貴族の遺族に対して、法外な賠償を求めてきたのだ。


 とはいえ、日本側は直ぐに決裂する事を想定していた。虜囚の身に落ちぶれた者から、この国の実情を聞き出している政府は、自衛隊が本格的な攻勢に出るまでの時間稼ぎとして、無線越しでの交渉を実施していた。相手が納得する部分を探りつつ、『ヒスパニア側が勝手に交渉を打ち切って、平和への努力を無為にした事に対する報復』の正当性を得る事が出来れば、国民も自衛隊の行動を支持してくれよう。外交官の大量喪失と、外交ではどうにもならない存在の出現は、皮肉にも外務省職員及び官僚の能力向上を引き出していた。


 そして平行線を辿るばかりの交渉が行われている最中、自衛隊は着々と攻勢の準備を整えていた。まず陸上では、第2・3・7・8・9師団に第12旅団、富士教導団の5個師団及び2個旅団が配置を進めており、航空自衛隊も〈F-2〉や〈F-35A〉戦闘機を中心とした部隊を展開していた。手始めに〈F-35A〉が自慢のステルス性能を駆使して敵の飛行場や哨戒機に突撃し、これを排除ないし無力化。続けて〈F-2〉が爆撃を敢行し、制空権を握った上で5個師団が前進。敵の戦線を崩しながら支配領域を広げる作戦が考案された。


 海上戦力も増強されている。「かが」のみならず「ひゅうが」と「いせ」も、対戦車ミサイルを装備した汎用ヘリコプターを搭載して航空攻撃に参加できる様にしている。3個護衛隊群による洋上からの攻勢は、物量に依存する敵軍を蹴散らしつつ、敵艦隊を蹂躙するのに十分な火力を発揮できる筈だった。


 斯くして、時は流れていき、10月に入る頃にはリスヴォアの様子は大きく変わる事となった。まず日本式の税制は現地住民からすれば理想的なものであり、自分たちの生活の余裕もある程度確保できるものであったため、秘密裏に移住する者が続出。さらに貴族の中にも、将来の自分たちの生命が危ないと断じて、こっそり亡命を企てる者も現れ始めた。しかし、ヒスパニア帝国はそれに対して有効的な解決を成す事は出来なかったのである。

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