第1話 異世界からの漂流者、そして転移

 西暦2011(平成23)年。この時代を知る日本人の多くは、それを知らない者に対して説明する時、『混沌の年だった』と説明するだろう。


 曰く、東日本に甚大な被害を与え、後年にも長きにわたって影響をもたらした大地震が起きた。曰く、菊花賞にて勝利後に騎手をコースに叩き落した三冠馬が生まれた。様々な悲喜こもごもと表現される出来事が起きただけに適当な表現であるが、その説明を決定づけたのは、異世界からの難民の漂流であろう。


 魔法以外説明のつかない―実際彼らも『魔法を用いてここに来た』と主張している―現象とともに現れた彼らは、エルフやドワーフ、ゴブリンに獣人族ビースターズ、果てにはオーガといったファンタジー作品の常連とも言うべき者たちであり、当然ながら多くの日本人を驚愕せしめた。


 まだ大地震の傷が癒えぬ上に、時の政権が恥ずべき失態を積み重ねていた日本は、彼らの取り扱いについて大変苦慮し、結局代わりに預けられる国がないという事で難民申請を出した上で受け入れる事となった。難民の知識人は魔法で地球の言語を覚えると、世界に対して自分たちがこの世界に現れた理由を話した。


「私たちの故郷は、邪悪なる国々に蝕まれ、強大な悪意に汚された。安住の地を求めて手段を模索していた時、この地に辿り着いたのだ」


 そうして僅か1年のうちに日本にやってきた難民の数は、実に50万人。彼らは地方の過疎化が進む地域に進んで移住し、現地の在来住民との対立や衝突があったにせよ日本社会に適応していった。彼らの影響力は大きく、例えばファンタジー要素を取り扱う作品では監修に必ず異世界人の名が見られる様になったし、特撮映画においてもCGやそれに類する映像合成技術を使わずに超常的な現象を起こしてリアリティを持った映像を作り出すアクターが多数輩出された。


 日本側も研究は怠らなかった。異世界人は移住の際、対価として様々な物品を手にやってきたのだが、中でも鉱石樹と呼ばれる人工植物と、その果実から生成される魔結晶と呼ばれる物質は、鉱石の一種である魔鉱石と同様に魔力を帯びたものであり、政府はこの物質の有効利用のために国立の研究所を設立。さらに政府関係者の何人かを異世界人と婚姻関係を結ばせて子供を作らせ、日本人でも魔法を使える者を生み出そうと目論んだのである。その頃には日本人と異世界人の交流は相当進んでいたとはいえ、一般的な恋愛と結婚の末に生まれた子供をモルモットにするのは憚られた。


 やがて14年の歳月が流れる。当時6歳で地球の土を踏んだ子供は社会人となり、日本人と異世界人のハーフもわずかながら増え、魔法を利用した道具も日常生活に普及し始めていた。世界規模で見れば微々たる変化ではあったものの、日本社会における常識が変化するには十分すぎるものであった。そして彼らは安寧の時がこのまま続くだろうと思っていた。


 だが、その思いは或る時を境に崩れ去る事となる。


・・・


 西暦2025(令和7)年8月15日。日本国と周辺地域は、前代未聞の異常事態に見舞われた。


 正午、まるでブレーカーが落ちて照明が消えたかの様に空が闇に覆われ、数分の間日本全土を混乱と恐怖が満ちた。闇が晴れ、航空機の幾つかがどうにか近隣の飛行場へ緊急着陸を進める中、政府は終戦記念式典の場を利用した玉音放送を流す事により、国内の混乱鎮静化を図った。


 だが、日本各地では甚大な被害が同時多発的に起きていた。全ての人工衛星と通信が途絶した事により、当然ながらGPSも喪失。カーナビの不調を由来とするヒューマンエラーからの交通事故が後を絶たず、北海道沖合や日本海上では数隻のロシア海軍潜水艦や北朝鮮潜水艦が浮上して、本国への連絡確認を試みる事態となっていた。


 事故だけではない。いわゆる出稼ぎ労働者として来日していた外国人を中心とした暴動や強盗が多発し、同時に左派系の政治団体が何をとち狂ったのか、反政府デモを無許可で開始。メディアが国民に重要な情報を正確に伝える報道機関としての機能を停止し、情報が錯綜する中、警察は激務に追われる事となった。


 さらにその1時間後、長崎県対馬沖合に展開していた海上保安庁巡視船より、驚きの報告が上がる。北西方向より韓国のとは異なる国籍不明船が複数隻現れ、砲撃を仕掛けてきたのだ。


 人工衛星の代わりに電波塔を介した中継通信で送られてきた画像は、首相官邸地下の内閣危機管理センターで対応に当たっていた者たち全てに衝撃を与えた。それは複数の単装砲を有する第一次世界大戦時の巡洋艦であり、どう考えても韓国海軍が有する艦艇とは思えなかった。


 そこで日本は、ようやく『敵』の姿を知る事が出来た。しかしそれは、日本にとって想像の遥か外にある存在であった。そう、異世界人が地球へ逃げてくる原因を生み出したのは、20世紀レベルの科学技術で作られた現代兵器で武装する国であったのだ。


・・・


西暦2025年8月17日 日本国東京都 首相官邸地下


 未知の異常事態が起きて2日が経ったこの日、首相官邸の地下にある内閣危機管理センターでは、大久保和雄おおくぼ かずお内閣総理大臣以下大久保内閣を構成する閣僚が集い、福井剛ふくい つよし内閣情報官から報告を受けていた。


「現在、連絡が取れているのは台湾とロシア連邦サハリン州、大韓民国済州島の三つのみであり、他の地域は未だに連絡が途絶しております。そして在日米軍は、アメリカ大使館に臨時指揮権を求め、国内の米国民保護に努めております」


 大使館や在日米軍基地近くのホテルの空き部屋を米大使館が急遽借り上げたという話は、すでにアメリカ側が異常事態が起きたという事を把握している事の証明でもあり、大久保は対応が後手に回ったなと内心で論じた。


 未知の異常現象に対する混乱は東京にも波及しており、永田町や丸の内、そして東京駅は陸上自衛隊第1師団と警視庁機動隊の治安維持によって大した影響は出ていない一方、羽田空港周辺や品川、お台場といった場所では、外国人労働者の犯罪に業を煮やした右派政治団体や運動家の暴走、突然故郷へ帰れなくなった外国人観光客達の動揺と衝突が頻発しているという。


「また、左派の運動家や政治団体が無許可でデモ行進を開始しており、政府に対して支援を求めてきております。如何致しますか?」


 森野もりの外務大臣が不安そうな表情を浮かべて尋ね、大久保は小さくため息をつく。とその時、一人の官僚が須田すだ防衛大臣に駆け寄り、小さく耳打ちする。


「何っ、国籍不明の船団が対馬を攻撃しただと…!?」


「す、須田君、本当かね!?」


「先程、九州から北西の方角にて、文明の存在する陸地を発見したという報告が上がってきたばかりだというのに…」


「その陸地からやってきたのは間違いないでしょう。すでに海保の巡視船が先制攻撃を受けており、死者こそ出ませんでしたが損傷も負っております。防衛出動まではいかずとも、海上警備行動を発令すべきでは…」


 多くの閣僚が喧々諤々と話し合う中、大久保は須田と西岡にしおか統合幕僚長に尋ねる。


「須田防衛大臣、確か第1護衛隊群の主力は終戦記念式典のためにハワイへ出張しているんでしたね?」


「え?はい、「いずも」は「まや」、「むらさめ」、「たかなみ」とともに横須賀に不在であり、代わって第4護衛隊群に属する「かが」が横須賀に展開しております」


 大久保の問いに対し、須田は真意を測りかねて首を傾げる。と西岡が気付く。


「…東側や南側も同様に、普段と異なる状態にある可能性を考慮して、ですか?」


「そちらにも敵対的な武装勢力がいた場合、水上戦力をそちらにも割かねばなりません。ですので、海自は護衛艦と海保の巡視船を混成して領海警備に当たらせ、警告でこれ以上の攻撃を阻止する様に注力して下さい。反撃よりも先ずは状態の悪化を防ぐ様にお願いします」


 無論、もし相手が本気で攻撃を仕掛けてきた場合は、自己防衛のために撃沈を前提とした応戦も許可すると付け加えて。流石に専守防衛の面子に拘泥して現場に犠牲を強いるのは薄情にも程があろう。


 この会議から数時間後、大久保は記者会見にて全ての原子力発電所の再稼働を許可する事を宣言すると共に、全国民に対し倹約と配給制への協力を要請。これに対して一部の反原発の評論家や反戦を語る者が批難の声を上げたが、同時に秘密裏に命じられた、『現状の社会にとって有害となる分子の摘発』を円滑に行うための撒き餌である事に彼らは気付く事無く、迂闊にも無許可のデモ行進という形で食いつく。そして餌を取り付けた釣り針で引っ掛ける様に、警察は多くの運動家や評論家を逮捕したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る