社会

茜の行動を時系列にまとめた図を黒板に書き出しながら説明を進めていくうちに文字が溢れてごちゃごちゃになってしまった。見上は黒板に釘付けになって必死に頭の中を整理させている。

「つまり、あの時の茜が取った行動にはちゃんとした目的があったんだ」

「それは分かったんだけど」

「なんだ、何か引っかかるか?」

「うーん」

呻きながら煮え切らない見上に

「なんだ遠慮せずに言ってみろ」

と言うと、おもむろに見上が、

「先生の話が本当だとして、茜さんは、今までずっと真実を覆い隠してきたんだよね、北原君が悪者にならないように、それがどうして柴田先生を突き落とすようなことをしたのかなって」

「おかしいか」

「うん、だって、柴田先生を突き落とすことと北原君を守ることは繋がらないもん、でも、茜さんはあの時現場にいた、そこがよくわからないんだよね」

「見上の言う通りあの場に茜がいたのは確かだ、でも」

「でも、なに?」

見上が前のめりになって尋ねた。

「実はあのあともう一度柴田先生のお見舞いに行ってね、今度は主治医の先生にも話を聞いた、そしたらこんなことを言われたよ、本当に柴田先生は運がよかったあなたがいなかったらもっと酷いことになっていたって」

「先生何かしたの」

「してないからどういうことか尋ねたよ、医者が言うには柴田先生には運ばれてきた時、応急手当てを受けた痕があった、だからてっきりそれは俺がしたものだと勘違いしていたらしい」

「―それって」

「そのあとすぐに柴田先生に確認しに行った、事故が起きた時のことをもう一度思い出してもらうために、そしたらやっぱり違っていたんだよ」

「どこが」

「今までは事故直後に人影を見たと柴田先生は言っていた、でも、実際には柴田先生は事故直後しばらくの間気を失っていたんだ」

「―ということは柴田先生が見たのって―」

「うん、柴田先生が意識を取り戻して目を開けた時当然事故からしばらく時間が経っていたことになる、もし茜が犯人だったら一刻も早く現場から立ち去りたいはずなのに、現場にとどまって何をしていたんだろう」

「茜さんは柴田先生を助けた」

「そう、柴田先生が見たのは事故直後に逃げていく茜ではなく、応急手当をして去っていく茜の姿だったんだ」

「じゃあ先生」

「どうしたまだ何か気になることでもあるのか」

「柴田先生を突き落としたのって―」

見る見ると声のトーンが落ちていく見上に、

「これがなんだかわかるか」

と一枚の紙を出した。見上はキョトンとしながらしばらく見つめて、

「なにこれ」

と言った。

「憶えてないか、以前やった道徳のアンケート」

しばらく紙を見つめてから見上は小さく、

「ああ」

と声を出した。

「これ茜さんのだよね」

「そういうことになってる」

「なってる?」

首をかしげる見上の前にもう一枚の紙を出して二枚を並べて見せる。

「これって」

「そう、北原のアンケートだ」

二枚の紙を前にして見上の首が小刻みに動く、やがて何かに気付き、

「もしかして、入れ替わってる?」

と聞いた。

「その通り、あとで名前だけ書き替えたんだ、よく見ると茜の方のアンケートに痕が残ってる北原は筆圧が強いから」

「うん、そうだと思った」

「でも重要なのはそこじゃなくてこれだ」

北原から預かっていたリストを取り出して、そこに書かれている榊bを見上に見せた。

「これが重要なの?」

「よく見るとあることが分かるんだけど」

難しい顔をしたまま考え込む見上に

「bの文字をよく見てほしいんだけど」

とさらにヒントを出す。

「このbは一画二画ともつながっていないのに、アンケートに書かれている二人が書いたbは繋がっている」

「それがどうかしたの」

「書き順が違うんだ」

ピンと来てない見上のために黒板にbを書きながら、

「アンケートのbは正しい書き順で書いているのにリストの方のbは先に二画目を書いてから最後に縦棒を引いている、珍しい書き方だな、人間が文字を書くときは習慣に基づく影響が大きい、同じ文字を二つの方法で書くことはしない、このリストを書いたのが茜だったら同じになるはずなのにどちらとも違った書き方をしているのは一体どういうことだと思う?」

不意を突かれ言葉に詰まる見上に、

「答えは簡単、リストは茜が書いたものではなかったんだ」

そうネタバラしても見上の表情は大して変わることはなかった。

「では一体榊bは誰が書いたのか―」

「・・・・・・」

「見上お前だよ」

一瞬生まれた間、その遅れを取り戻すように、

「待って先生おかしいよどうしてそうなるの、それは茜さんから受け取ったものだって北原君が言ってたじゃない、それとも北原君が嘘をついたってこと」

「北原は嘘なんかついてない」

「じゃあやっぱり―」

「ただそうするように操られていただけだ」

「それは茜さんでしょもう訳わかんない、わかるように説明してよ」

見上は半分ヒステリーを起こしながら泣き声交じりに叫んだ。

「リストを書いた人物は特徴的なbを書く人物で、三人の中でそのbの書き方をするのは見上お前だけなんだ」

「そんなのたまたま似てしまっただけかもしれないじゃない」

「じゃあこれはどうだ」

最後の武器として隠し持っていた見上のアンケートを取り出してリストと重ね合わせて窓からの光にかざしてみる。

「ふたつのbはきれいに重なる、つまりやることリストは茜から北原に向けて書かれたものではなく見上から北原に向けて書かれたものだったんだ、それだけじゃない今までの北原の異常行動はすべて見上、お前の指示によって引き起こされたものだったんだ、今にして思えば朝の会議をやりだしたのも先生を監視するためだったんだな」

そう言っても見上は黙ったままだった。

「一つだけ確認させてくれ、北原に柴田先生を突き落とすように指示したのはお前だな」

「はぁー」

見上は面倒くさそうにため息をついた後、

「そうだよ」

とハッキリと答えて、一枚の紙を机の上に出した。上からのぞくとそこには柴田Aと書かれてあった。

「どうして、なぜこんなことをしたんだ」

見上はまた気怠そうにため息をついてから、

「先生はあの二人のこといつから知ってたの」

「茜と北原のことか」

「そうだよ、二人が付き合ってることいつ知ったの」

そう聞かれてすぐ答えられずにいると見上が、

「なに、気付いてなかったの、あれだけのことしてるんだから、付き合ってるに決まってんじゃん、先生どんだけ鈍いんだよ」

と、半ば呆れたという感じで笑いながら言った。

「でも、あの二人がそうなったのは五年の時だから」

「そんなに前からか」

見上はこくりと頷き、

「クラスで私が一番最初に気付いた、ていうか内緒で付き合っていたから、ほとんどの人は気付いていなかったと思う、だから先生が気付かないのもしょうがないとは思うけど」

見上は最後に慰めの言葉を付け加えた。

「それから私はずっと二人のことを見てきた、そのことを二人は知らなかったと思う、そしてある時確かめてみたくなったの」

「確かめる?」

「そう、一度好きになった人のことを人はどれだけ嫌いになれるのか」

その目から好奇心が滲み出ていた。見上が本当に心からそう言っているのが分かった。

「確かめてどうする」

「どうもしないよ、確かめるだけ」

「しかしそんなこと確かめようがないだろ」

「確かめようがないことを二人は信じていた、相手の好意は自分に向けられているって」

「だってそれは、二人は付き合っていたんだろ?」

「でも、先生、私、北原君に聞いてみたの、茜さんが誰かを好きだとして、それが何で自分だってわかるの?茜さんと何をしたのって、そしたら私びっくりしちゃった、茜さんがそう言ってくれたし、手をつないだからって北原君は言ったんだよ」

「それじゃダメなのか」

「ダメだよ、だから私、北原君に教えてあげたの、そんなことは好きじゃなくても出来るんだよって、それから茜さんとしてないことを最後までした、そしたら北原君は何でもお願いを聞いてくれるようになったの」

見上は淡々と話しを続ける、その姿に呆気にとられた。

「そうなってからは嫌われることをさせていった約束を破ったり、大事なものを借りさせてワザと無くさせたり」

「元々北原はそんな人間じゃないだろ、急に不自然じゃないか」

「最初は嫌いになるというより戸惑いの方が大きかった、なんでそんな風になっちゃったのって心配する始末、だから北原君には俺は元々こういう人間だからってことにしてもらった、これが本当の俺なんだってことでやらせ続けた、そうすればいつか愛想が尽きるだろうって、でも茜さんは、北原君はそんな人じゃないってずっと言い続けた、結局いつまでたっても二人の関係は変わらなかった」

「それでもう答えは出たじゃないか」

「だから今度はみんなに嫌われてもらうことにした、茜さんが信じてやまないその本当の北原君とやらが絶対にやらないであろうことをさせることにした、そしたらいくら茜さんでも認めざるを得ないでしょ」

「それが今回の一連の事件か」

「それもそうだけど、一番最初は五年生の三学期、先生はいなかったから知らないと思うけど当時五年一組は教室でめだかを飼っていたの」

そう言われすぐ教室の後ろに置かれている水槽に目がいった。

「今は六年一組にあるあの水槽、みんな気が付いてないと思うけど、あの中のめだかって一回死んでるんだよ」

訳が分からずに黙っていると静かな教室にブーンと言う水槽内のモーター音だけが鳴り響いた。微かに水槽の中で何かが動くのを視認できる、今日この教室に入って来る時もめだかは元気に泳いでいた。

「じゃあ、あれは全部生き返ったのか?」

そのことには答えずに見上は、

「あの頃水槽の掃除は日直がやることになっていて、その日は私と北原君が日直だった、休み時間に水を替えて、最後にめだかを水槽に戻す、綺麗になった水の中でまた泳ぎ始めるめだかをしばらくの間二人で見ていた、その時北原君にこう言ったの、この中の命全部なくしちゃってよって」

「北原はなにをしたんだ」

「その日の放課後、誰もいなくなった教室で北原君は茜さんの前で水槽の水をひっくり返した、私はその様子を教室の外からっこっそり見てた、茜さんは少し驚いて、でも悲鳴は上げなかった」

「そのあとはどうなったんだ」

「北原君はすぐ教室を出て行った、私も見たいものは見れたし、その場にいる理由もなかったから離れた、だから教室には茜さんだけ」

「かわいそうに」

「でもね、次の日学校に行ったら―泳いでたの、メダカが―」

見上は水槽の方に顔を向けて、

「あの後茜さんが一人教室に残って何をしたのかは分からないでも、次の日には元に戻ってた、教室にあるいつもの水槽がそこにあった、そこから茜さんはずっと北原君を庇い続けてる、それがずーっとだよ、考えられる?何が起きてもまるでフィクサーみたいに真実を隠しちゃうの、自分が悪者になろうとそこだけは絶対に守り抜く、私いい加減頭にきちゃってさ、だから全部話しちゃった」

皮肉な笑みを浮かべる見上の最後の言葉の意味を考えながら、

「全部」

という単語を無意識に呟いていた。それに反応した見上が、

「そう、今までのこと全部」

「お前それが茜にとってどんなことを意味するのか分かってるのか?」

「わかってるよ、だから言ったんだもん、それと先生は茜さんよりももっと心配しなくちゃいけない人がいると思うんだ」

楽しそうに見上がフフッと笑った。

「お前また何かやったのか」

「そんな、怒らないでよ」

「ふざけるな、隠していることがあるなら正直に言うんだ」

「昨日北原君にも最後のお願いをしたの」

「今度は何をやらせるつもりだ」

「私は北原君にこう言ったの、明日の学校が始まるまでに自分が死ぬか茜さんに全部話すか選んでって」

「そんなこと、選べるはずないだろ」

「でも選んだみたいだよ」

そう言って見上は教室の入り口の方に視線を向けた。

「さっき話してる時に見えちゃったんだよね、ここから階段を上っていく北原君が」

「嘘だ」

「本当だよ今頃屋上にいるんじゃないかな、嘘だと思うなら確かめてみなよ」

不敵な笑みを浮かべる見上の表情からそれがハッタリなのかどうか判然としなかった。

「お前はここで待ってろ」

例え嘘であっても北原の安否が確認できればそれでいい、そう判断して自分だけ教室を出た。屋上へ続く上りの階段ではなく階段を駆け下りた。考えてみればわざわざ屋上へ行かなくても職員室のキーボックスを見てくれば済む話だ。そこに屋上のカギがぶら下がっていたら屋上へ行くことは出来ない。それにどうせあるに決まってる。職員室に入ってすぐ左の壁、横三列に並んだキーフックにずらりと各教室のカギが掛けられ、その右側に半分壁に埋まったボックスがある、中には特別教室のカギがまとめて吊るされていて屋上のカギはこの中にある。

「なんで―」

普段は蓋が閉まって中が見えないはずなのに、ボックスの蓋は開けられていた。中を覗き込む。屋上と書かれたネームプレートの下にいつも吊るされているはずのカギがなかった。

「誰か屋上のカギ使ってませんか」

空しいほど先生方の反応が鈍い。朝の一番忙しくしている時に邪魔でしかない自分の大声が、その投げ掛けが、すぐにまったく意味を成していないことが分かった。それからはすぐ廊下に出てあとは無我夢中で走った。階段を駆け上がった。最後の階段を上る途中で屋上に出るためのドアが開いているのが目に入った。

「北原」

すぐにでも出ていきたいのに片手で握ったドアは風に押し戻されてびくともしない今度は体ごと全体重をかけてドアに体当たりした。開かれたドアから強襲する様な突風を全身に食らう。風圧に逆らって前へと踏み出す、手を放したドアは風を受けて勢いよく閉まった。

「きたはらー」

いくら叫んでも容赦なく風が声をかき消してくる。それでも叫び続ける、先に進む。屋上のちょうど真ん中あたりに来たところでそれを見つけた。フェンスの前にたたずむ人影を。

「北原」

フェンスの方を向いてはいるが、その場に立ち止まって風に煽られている。まだ間に合う。駆けだす、その小さな背中に向かって、一刻も早くあそこから引き戻すために。けれど、

近づいたはずの背中が遠のいた。同じ向かい風のはずなのに、まるであそこだけ風がなくなったみたいにスルスルと前に進む。やがてその両手はフェンスに伸びて指が掛けられた。

「きたはらー」

動作が止まった。声が届いたのか。北原は後ろを振りかえった。私の存在に気付きこちらを凝視している、手はフェンスにかかったままだ。そのままにじり寄る。あと数メートルの所まで来たときに、

「止まって」

北原の声によって体が急停止した。

「どうして先生此処にいるの?」

と、虚ろな表情で北原が言った。

「屋上のカギがなくなってたから見回りに来たんだ」

「そう」

「一応生徒の持ち出しは禁止されてるんだけどな」

「うん、知ってたけど、カギはドアに刺さってるから」

「来る時分かった、じゃあもうすぐ学校が始まるし教室に戻ろうか」

「僕はいいよ、先生だけで戻って」

「そういうわけにはいかないだろ」

そう言った途端、ひと際強い突風が吹き抜け、体勢が崩れた。北原から一瞬だけ目線が外れ、再び前を見た時、北原の姿が消えたと思った。あの刹那ほどの時間に、北原はフェンスをよじ登って一番高い所に手を伸ばしていた。

「な、なにを―」

思わずフェンスに駆け寄り、北原の真下に付く。

「来ないで」

上から北原の叫び声が降る。北原の片足はすでに柵を超えて向こう側へ突き出している。

「見上に言われたんだよな」

その名前を口にすると、北原の動きが停止した。

「全部茜のためにやったことだったんだよな」

今にも柵を超えようとしていた北原の体はゆっくりとこちら側に戻る、それからしがみつく様な体勢になると体を震わせはじめ、

「先生、僕、茜さんのこと・・・・・・傷つけちゃう」

聞こえてきたのは悲痛な叫びだった。

「だから死のうとしてるのか?茜を傷つけないために、だとしたらそれは間違ってる」

北原がすすり泣くような声を漏らす。

「茜を傷つけたくないんだよな、そのためにお前はいろんなことをやってきたんだろ、だったら今すぐそこから下りて来い、考えるんだ、お前が死んで一番傷つくのは誰だ」

見上げながら北原に向かって手を差し伸ばす。その手をじっと見つめる北原に、

「ゆっくりでいいから、下りて来てくれ」

祈りにも似た願いを言葉にした。北原の瞳にみるみる涙が溜まってやがてこぼれた一滴が自分の頬に落ちてきて思わず片目を瞑った。北原は掴まってないほうの手で泣きぬれた顔を拭うと、

「先生ごめんね」

と言った。

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