理科

最近の北原君は見ていてハラハラする。波があるのか、六年生になって調子は良くなっていたはずなのに、いや、もう起きないとさえ思っていたのに三学期に入った途端ダメになった。

これほど不安定なるのは久しぶりで、またこの生活が始まるのかと思うと気が滅入るけど仕方がない。とにかく今は全神経を集中させよう。好不調の波があるならずっとこのままではないはずだから。


ついに出た。六年生になってからは私が確認できている中でこれが一番はじめの症状。それも気付いたのが授業の終わりに、みんなのプリントを集めているときだったから正直焦った。とりあえずプリントをぶちまけて時間を稼いで、周りのみんなに謝りながらプリントのごみを払ったり皺を伸ばしたりする動きに紛れて名前を書き替えた。一番後ろの席じゃなかったら無理だったから本当に危うかった。次の日先生に呼び出されたときは名前のことがばれたと思ったけどいざ行ってみると回答の内容ばかり聞いてきて、全く気付いている様子はなくて安心した。それからしばらくは何もない日が続いた。


此処のところ何もなくしかも今日は朝から機嫌がよかった。だからと言って油断したわけではないけれど実際のところこうして見失っているわけだからやっぱり隙があったんだと思う。目ぼしいところは全部探して、グラウンドも隅々まで見てそれでも見つからないことから普段は行かない様な所へ行っていると判断した。見失ってからここまでで七分経過、つまりあと二分以内に見つけなければワースト記録更新で、次の目的地が重要になってくるけど普段行かないところで思い浮かんだのが屋上しかなく、自分がいる一階の玄関付近からの到達時間を考えるとすでに記録更新は確定している。職員室の前を通って階段を上っている途中に、屋上に行くにはカギが必要なことに気付いて一瞬職員室に戻りかけたけど、本人がいるなら開いているわけで、また階段を一段抜かしで登り始めた。今はこんな一瞬のタイムロスも惜しい。そのはずなのに二階の階段を上り切って足を止めたのは、すぐ目の前の図工室の扉の窓から人影が見えたから。迷うことなく扉を開けると、ちょうど中ほどの位置でこちらに背を向けて座っていた。ここで何してたのと声をかけてもこちらを振り向かないし何も答えない。本人はただ姿勢を正して行儀よく座っている。その姿に悪寒が走った。

本人がこういう行動をとる時は決まって・・・・・・。それはすぐ目の前にあった。

「嘘でしょ」

保管棚にズラリと並んだ六年一組のオルゴール。そのどれもが見るも無残に破壊されていた。止められなかった。しかし頭を抱えている暇はなかった。幸いなことに本人は特にパニックを起こすこともなく落ち着き払ってバカみたいに座っている。

「ここにいちゃダメ、とにかく教室に帰って」

無理やり立たせて半ば追い出すようにして図工室から出した。それでもうじうじして歩き出そうとしない背中に向かっていつもより強い言葉をかけるとしぶしぶ階段を上っていった。

さて、一人になった図工室で状況を確認する。一つ一つ修復してなかったことにするのは到底不可能、何者かの手によって破壊された事実は動かしようがない。ただ、それが誰かを示す証拠がないことも確かだった。これらを踏まえて次に取る最善の一手は何か、外から窓ガラスを割って外部犯に見せかける、一層のこと図工室に火を放って全部消してしまおうか、頭の中をぐるぐる廻る容疑から一番遠くなるためのシナリオはどれも陳腐で、見えてきた解答は自分が今冷静さを欠いているということだけだった。結局さっきからオルゴールの前で突っ立ってるだけで何も戦況は変わっていない。それなのに、

咄嗟にすぐ近くにあった教卓の中に身を潜めた。三人いや、二人の話声が近づいてくる。それに混ざって聞こえるこの特徴的な笑い声は榊さんであともう一人は。

図工室の扉が開いた。身を縮めてより小さくなる。すぐそこで繰り広げられる二人の会話。もう一人は見上さんだった。私は耳を澄ませながらやがて来るその時に備えた。そしてそれはすぐにやってきた。榊さんが素っ頓狂な声を上げた。それに少し遅れて見上さんの悲鳴のような叫び。思わず目を瞑った。今まで聞こえていた二人の会話が明らかに小声になる。それでも「最悪」とか「信じられない」とかいう二人の嘆きだけは辛うじて聞こえてきた。ここにいても二人の間に流れるムードが気まずすぎて居たたまれなくなる。それから「そうしようか」「その方がいい」という声の後に図工室の扉が開く音がした。気配がなくなってから恐る恐る教卓の隙間から身を乗り出す。誰もいない。想像してたよりも早く発見されてしまった。おそらく二人は職員室へ先生に言いに行ったのだろうから時機にまたここへ帰ってくる。その間に出来ることなんかないだろう。いや、元々この状況で私に出来ることなんて最初からなかった。そう思った矢先、

息が止まった。信じられなかった。先ほどの比じゃないほど見開いた瞳孔でピントを固定したままそれに近づく。なぜこんなことに気付かなかったんだろう。そんなことより二人がこのことに気付いているのか。もし気付いていたら。もう賭けるしかなかった。とにもかくにも私はここを立ち去る前に自分に出来ることを見つけた。




次の日は朝から学級活動になった。結局榊さんと見上さんはあのことには気付いていなかった。というより気付いたけどそれは私が図工室から出た後だったらしい。先生は私たちに向かってオルゴールのこと、そして卒業制作が違うものになることを落ち着いた口調で丁寧に話してくれた。出来るだけ私たちにショックを与えないように気を使っているのが分かった。それがどうしてああなったのか。確か誰かが急に先生に質問してそれからおかしくなった気がする。話し合いが犯人捜しの流れになってからはいつも以上に注意を払った。おかげで大して話したことがない子に絡まれた。でも一番は榊さん。私は容疑が彼から逸れさえすればいい、それで、たとえ自分が悪者に仕立てられることになっても構わないと思っていた。ヘイトが向けられてもそれは私の所へ来るだけだと。それが。榊さんがあそこまでの行動を取るとは考えもしなかった。あれじゃあ折角私の物だということになっているのに、仮にもし作りかけの彼のオルゴールを覚えている人がいたらすべてが台無しになってしまう。一応急いで取り上げて叩き壊したけど、あの少しの時間、みんなの手で回されている時に気付いた人はいるだろうか。それ以外の人にとっては私が感情的になって衝動的にああいう行動を取ったとしか映らないだろうけど、それだけがとても心配だった。

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