国語

授業の途中であっても終鈴が鳴るとすかさず生徒たちは片づけを始める。いつものことだった。

「今日はここで終わりますが、次の授業では今日できなかったとこと、最後に今までの復習を兼ねた確認のテストをしますので、しっかり頭に入れておくように」

断線したかのように私への興味を失っていた生徒たちだったがテストという言葉を出すと嘘みたいに大げさなリアクションをみせた。これもいつも通り、よく見る教室の風景で、このクラスには何も問題ない。少なくても今こうしてみる限りではそう思える。だけれど、私がこれから教卓の上で教科書を揃えて、右手に持ち、教室を出て行って最後にドアを閉めた時、その閉めたドアの音が合図となって、この子たちが何をするのか、この教室で何が起きるのか容易に想像がついた。だから授業が終わって教室を出ていくとき無意識に茜ゆねはの方を見てしまう。そういう時は決まって茜ゆねは窓の外を見ていた。




朝の学校、まだ誰もいない教室で人を待っていた。別に約束しているわけではないがどういうわけか、何日か前からこうなってしまった。いつ来るかもわからないその人がやってきたのは十分ほど経った頃、誰かが廊下を歩く音が聞こえてその人物は上履きを履いていた。教室の時計を見て、今日はいつにも増してお早い登場のようだと思った。

「あれ先生もういたんだ」

席に座って待ち構えていた私を見ると見上は意外そうな顔を見せた。

「今日は私の方が早いと思ったんだけどな」

わたしへの文句というより独り言のトーンでそう言いながら見上がペンとノートを取り出すのを見て、私は昨日までに決まったことを黒板に書き始めた。当たり前のように始まる朝の作戦会議。元々は何日か前、放課後に職員室まで訪ねてきた見上の相談に乗ったことから。あの日見上は、はっきりと今のままではクラスはダメになるといった。それに、榊の行動を止められなかったことに対しても少なからず責任を感じているようだった。相談はその日のうちに解決せずに続きはいつやるということになって、放課後残すわけにもいかないので、自然といまの形になった。学校が始まる少し前に集まって会議をする。今では何も言わなくとも見上が席に座りノートを取り、私が議題をわかりやすく黒板に書いていく、この形も何日か経った今ではすっかり板についてきた。

「それでまだ続いてるのか、そのゲームというか―」

「自白ゲーム、続いてるよ」

見上はあっけらかんと答えた。

「茜はその時、どうしてる」

「何も答えない、だから競争してるの、誰が一番最初に茜さんを落とすのかってね」

「くだらないな」

「私も見かけた時は出来るだけ止めに入ってるんだけどね、あんたたち何してんのって」

「お前は大丈夫なのか」

「全然大丈夫、そのことでたとえ自分が責められるようになっても私は全然平気だし」

「強いな見上は」

「でもね、やっぱりそれじゃダメなの、そうやって私が言ってその時は確かにやめるけどそれはただ一時休止になっただけで結局ゲームそのものを終わらせることは出来ない」

言い終わってから見上は唇をかんだ、それから一呼吸おいて、

「だから先生昨日も言ったけど」

「絶対にダメだ」

「どうしてダメなの」

「その件に関しては先生たちで動くから」

「だったらさっさと見つけてよ、ゲームを終わらせるためには真犯人を見つけるしかないんだよ、それとも先生は本当に茜さんがやったと思ってるの」

「そんなわけないだろ、茜があんなことをするとは思えない、ただ―」

「ただ、なに」

「今、茜が犯人とされている理由は茜のオルゴールだけなにもされていなかったということだけなんだよな」

「うん、そうだけど」

「誰かが犯行現場を目撃したわけでもない、現場に茜につながる痕跡が残っていたわけでもない、ただ茜のオルゴールだけなにもされていなかったということだけ、冷静に考えてほしいんだけど、これって犯人を示す決定的な証拠って言えるのかな、これだけで茜を完全な黒だと断定するには弱すぎやしないか、とするとここで一つの謎が思い浮かぶ、どうして茜は反論もせずただ黙っているんだろうってね」

「それは、言っても信じてもらえないと思っているからじゃない」

「それもあると思うし先生はもう一つ理由があるんじゃないかって考えている」

「もうひとつ」

「茜は犯人につながる何かを知っているんじゃないのかな、あるいは何かに気付いた」

「茜さんが、真犯人を知ってるってこと?」

「確証はないけど、そういう可能性もあるってことだ」

「まぁそれも含めて先生と私で真犯人を見つければ全部わかることだね」

得意げにうんうんと大きく頷いてみせる見上に、

「違うだろ」

と一喝すると、ふくれっ面をした見上は、

「もういい、私ひとりで犯人探すから」

と、決別を言い渡した。

「おいおい何を言い出すんだ」

「私は私のやり方でやるから先生は先生で勝手にやればいいじゃん」

完全に開き直った見上を説得するのは難しい、そう判断して、

「わかったよ、単独行動させて危険にさらすわけにもいかないしな」

「え?」

「それで具体的に何をするつもりなんだ」

「そうだね、まずは、聞き込みとかかな」

そのまま話を続けようとする見上だったが顔からは笑みが隠しきれていなかった。

「見上たちが荒らされてるオルゴールを発見したのは確か授業のはじまる少し前だったよな」

「そう、私たちが第一発見者ですぐ先生の所へ行ったんだから」

「それもどうなんだろうな」

「なにが」

「今、見上は自分たちが第一発見者って言ったけど、それが事実かどうかは実際にはわからないってことだよ」

「そっか、言われてみればそうかも、なんで今まで自分が一番て思い込んでたんだろう」

見上は何か大層な発見をしたかのように感嘆の声を上げた。

「じゃあまずはそこからだね、みんながいつオルゴールのことを知ったのか私が調べてみる」

「調べるのはいいが、目立たないか」

「大丈夫私にいい考えがあるから」

「無理はしないでくれよ」

「だいじょうぶだって、それで、先生は何をするの」

「先生は、まぁ、先生にしかできない捜査があるから」

「何それすごい、期待してるからね」

「任せといてくれ」

そうは言ったものの、具体的な計画は何もなかった。わかっているのは、犯人は学校内部の人間の誰かということだけ。チャイムがなり、何人かの生徒が登校してくるのが窓越しに見えた。奇妙な捜査本部はそこで一時解散となった。





学校に着いて職員室に入った瞬間からいつもと空気が違うことにすぐ気づいた。普段各々のデスクで作業しているはずの先生達が席を離れ一か所に集まっていた。教頭先生がみんなに向けて話をしているが朝礼というわけでもなさそうで、素早く自分の席に荷物を置くと、そそくさと輪の中に加わった。

「―そういうことなので、事件の詳細についてはこれからわかってくると思いますが、少なくとも帰ってくるまで一か月はかかるということですので、その間は皆さんで協力し合いながら生徒たちに影響が出ないようにカバーしていきましょう、特に久野先生は大変かと思いますが、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってください」

「はい」

話はすでに終盤に差し掛かっていたらしくこのやり取りをしてから間もなく教頭先生は以上ですと言って話は終わってしまった。他の先生が自分の席に戻っていく中、教頭先生が手招きするのが見えた。その場に二人だけになったところで、

「久野先生は途中からだったんで改めてお話しますと―」

「は、はい」

「柴田先生が事故に遭いまして」

「柴田先生が―」

言われてあたりを見回す、確かに柴田先生の姿はどこにもなかった。

「昨日の夕方ごろでしょうか、階段から落ちてしまったみたいで、ほら丁度そこの階段の踊り場で倒れてたんです」

「そうなんですか」

「多分二階の図工室から一階に降りてくるところだったんでしょうね、あたりに何個かオルゴールが落ちてたんで」

「オルゴールですか」

「ええ、あれって見た目以上に結構重いでしょ、無理して一気に運ぼうとしたんじゃないですかね」

「ちょっと待ってください、どうして柴田先生はオルゴールを運ぼうとしてたんでしょう」

「さぁ、本人に聞いてみないと、久野先生は今日学校が終わったら何かありますか」

「今日ですか」

そう言われて、予定を思い返していると、

「都合が合うなら柴田先生のお見舞いに行ってほしいんですが」

「あっそういうことですか」

「これから交代しながら職員たちで行こうとは思っているんですけど、まずは私と、一緒の学年の久野先生が行った方がいいんじゃないかなと思いまして」

「わかりました」

「では、よろしくお願いします」

席に戻った時には、もう間もなく一時間目が始まろうとしていたので今日の朝礼はなしになった。




市内でたった一つの総合病院。本館と東館に分かれていて両方に駐車場が隣接されている。東館の入り口は正面玄関だけだが本館は二つあって一つは正面口にもう一つは建物の裏側に送迎用の入り口がある。ここは車を横付けできる構造になっているので、車いすの患者さんがお迎えやタクシーを呼んだ時にはここから直接車に乗り込むことが出来る。教頭先生と私は、柴田先生が入院している本館の方の正面玄関から入り、そのままエントランスにある総合受付でちょっとした手続きをした。

201号室。そこが柴田先生の病室だった。二階に上がるだけなので階段で行けなくもないが受付係の人にエレベーターを促されたのでそのまま二人でエレベーターに乗った。

二階のナースステーションはエレベーターを降りたすぐ目の前にあった。中にいた一人の看護師に面会に来た旨を告げ、案内に従い名簿に名前を書くと、面会証がもらえたが、渡されるときに面会時間は八時までですのでということを念入りに注意喚起された。

案内図によればナースステーションを境に向かって左側が201号室から204号室、右が205号室から208号室とある。柴田先生は左側の一番奥の部屋だった。

綺麗な廊下をスリッパで歩く教頭先生を後ろからついていきながら、ここに来る途中で買ったお見舞いの品が入った紙袋の中身を確認した。

教頭先生が201号室の扉をノックしても返事はなかった。個室ではないので入り口のネームプレートには柴田先生のほかにもあと二人の患者さんの名前があった。静かに扉を開けるとベッドを仕切るためのカーテンが両側にあって、部屋の奥の大きな窓が目に付いた。そしてその窓から一番近いカーテンの仕切りだけが少し開いていてそこからベッドの一部が見えた。

「あっこっちです」

部屋番号しか聞いてこなかったことに二人でたじろいでいると、ちょうどその一番奥のカーテンの方から声がした。

「すいません遅くなりまして」

時刻は十九時二十分を回ったところ。元々学校が終わってから行くので、時間的にギリギリになることは分かっていたけど、当初の見立てよりもさらに遅い。

「わざわざすいません、久野先生もお忙しいのに」

「いえいえ、とんでもないですよ」

想像していたより元気というか明るい印象を受けたが、柴田先生のその姿は見ていて痛々しいものだった。ベッドから起き上がって今しがたまで本を読んでいたのであろう、その右手にはギプスが巻かれているし、何より柴田先生がニット帽をかぶっている姿を初めて見た。教頭先生と普段通り受け答えしているが、そのニット帽からはみ出て見えるネット包帯についつい目が行ってしまう。

「授業の方は大丈夫でしょうか、本当にすいません、一番忙しい時期にこんなことになってしまって、久野先生にも余計な負担をかけてしまって―」

「そんな謝らないでください、それに、柴田先生のクラスは出来た子が多いですから、案外順調にいってるんですよ、順調すぎるくらい、だから、今は余計なこと考えずにゆっくり休んでください」

それでも柴田先生はその後も『すいません』を繰り返し言っていた。三人で世間話をして談笑するようになった頃には20時があと少しのところまで迫ってきていた。最初に渡すはずだったお見舞いの品の果物とお花はこのタイミングで渡す羽目になり、バタバタしながらまた来ますと言って病室を後にした。

帰りの廊下は教頭先生と並んで歩きながら話した。思ったより元気そうだったという印象を抱いたのは自分だけじゃなく教頭先生も思っていたらしい。ただ残念ながら、病状を考えると柴田先生の復帰については二人とも一か月以上かかるという見解で一致した。教頭先生がナースステーションの前で立ち止まる。そのタイミングで声をかけると、教頭先生はちょうど返却しようとしていた手を止めてこちらを向いた。

「その面会証、病室に置いてきちゃったみたいで、先にいっといてください」

教頭先生は特に不審がる様子もなく、頷いていた。柴田先生の病室に向かって歩く。面会証は空になったお見舞いの品の紙袋の中に入っていた。どうしても聞きたいことがあった。そしてそれは教頭先生が居ない柴田先生と二人の時でないとダメなのだ。

201号室の前まで来るとゆっくりと扉を開けた。やはり真っ先に目に付く奥の大きな窓には、部屋の蛍光灯が夜の窓に反射して自分の姿とこの部屋の様子をぼんやり浮かび上がらせていた。今はすべての部屋のカーテンが仕切られているので先ほどと違って、自分が完全に部外者だということを思い知らされる。部屋の奥に向かって進むと、窓に映る自分の姿が大きくなった。ベッドを囲うカーテン越しに、

「柴田先生」

と声をかけると中から、

「えっ、く、久野先生ですか」

という声がした。

「開けていいですか」

了解を得てから、カーテンに手を伸ばす。柴田先生はほとんどさっきと同じ体勢で、ベッドから体を起こして座っていた。

「忘れものですか」

柴田先生は持っていた本を綴じてそう尋ねた。

「・・・いえ」

不思議そうな顔をしてこっちを見ている柴田先生に、

「さっき柴田先生に聞き忘れたことがありまして」

と言うと、柴田先生は、

「私にですか」

と言ってしばらく考え込むような仕草を見せた。そんな反応されるとは思ってもみなかったので話を切り出せずにいると、

「あのー、久野先生」

と逆に名前を呼ばれて、思わず、

「はい、なんでしょうか」

と、妙に改まった言い方になってしまった。それから柴田先生はまっすぐこちらの方を見ながら、

「実はさっきは教頭先生が居て言い出せなかったんですが、私も久野先生に話したいことがあるんです」

と言って話を始めた。

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