図工

六時間目の授業は自習となり急遽職員会議が開かれることになった。主に教頭先生が取り仕切る形で会議は進んで行った。どの先生もこういう事件に遭遇するのは初めてで、途中教頭先生から意見を求められても当たり障りのない意見しか出なかった。結局一時間弱話し合った末、決定したことは、

【事件のことは生徒に説明したうえで、茜ゆねはの件については言及しない】

【六年一組の卒業制作は一旦中止。卒業制作そのものを辞めることはせずに何か別の物を制作する】

この二点を、今後の基本方針として教職員全員で共有することとなった。


机周りを軽く片付けながらあれこれ考えを巡らせていた。クラスのみんなには今日は特別に自習になったとしか伝えていない。先生たちはこれから各自教室に戻って此度の事件について事情を説明することになっている。どうオブラートに包んで説明したところで生徒たちがショックを受けるのは明らかだろう。その上うちは事件の当事者クラスなわけで、言葉選びには細心の注意を払わなければならないし、殊更、茜ゆねはに関してこれからどう対応していくのか問題は山積していた。そこに、

「あのー、久野先生」

と、声を掛けられて、ここで来たかと思った。

「はい、何でしょう」

振り返ると仏頂面の柴田先生が立っていた。六年二組の担任で、同じ六年生を受け持つ柴田まゆみ先生とはこれまで、数えきれないほど話し合いをしてきたが、考え方が違うのか、そもそも教師という職業の捉え方が違うのか、意見が一致して話し合いを終えた記憶は一つもなかった。

「さっきは言えなかったんですが―」

と前置きを挟んでから、

「六年二組の卒業制作も違うものに変更するべきなんでしょうか」

とまっすぐな目で尋ねてきた。正直ピンと来なかったので、特に深く考えずに、

「いえ、今回被害に遭ったのは六年一組だけですし、六年二組については特に変更しなくてもいいのではないでしょうか」

と答えた。これが、その問いに対する当然の返しだと思ったし、こういえば納得してくれるだろうとふんでいた。

「確かに状況としてはそうですが、ただそうすることによって格差が生まれる可能性はないですか、それに六年二組だけ今まで通りの卒業制作を進めるという行為が結果的に被害の拡大につながる気がして、これは心理的な被害という意味で―」

柴田先生はすでにスイッチが入っていた。このモードになると話がまとまることはまずない、それでも一度は正面からぶつかってみた。

「生徒からしてみたらどうなんでしょう、何も問題ないのに、今まで頑張って制作してきたものを取り上げられて別のものに変更されるというのは」

「確かに不本意かもしれませんが、それは最初に説明することでクリアできる問題だと思っています」

「納得しますかね」

「あの子たちはやさしいですから、だからこそ、問題なんですが」

「要は同じものを作ったほうがいいというのが柴田先生の考えというわけですか」

「そうです、正確には、同じものというより、六年一組、二組ともに新しいものを作る方がいいです」

一点の曇りなく主張する柴田先生はさらに、

「特に久野先生のクラス、一組の生徒にとってあまりに酷じゃないでしょうか」

と追い打ちをかけた。

「うちのクラスですか」

「一組の生徒が完成した二組のオルゴールを見たらどう思いますか、事件に遭った上に、本当だったら自分たちもあれが作れたはずだったのにと、余計に傷を深くえぐることになりませんか?」

言われて確かにそういう側面はあるかもしれないと思った。

「二組の生徒にしても、全員とは言いませんが一部の生徒は、自分たちだけいいのかなって考えてしまうような、そういう子たちもいるでしょう、そうやって事件にとらわれた生徒は事件の日から時間が止まってしまう、だったら一度仕切りなおして、一緒に新しいものを作ったほうがいい、そういえば子供の時あんな事件があったな、で終わるより、そういえば子供の時あんな事件起きたけどでもそれでこれを作ることになったんだよな、の方がよくないですか、私はそっちの方がしっかり事件と向き合って、前向きに捉えている気がするんです」

まだ事件が起きてそれほど時間も経っていないのに柴田先生はしっかりと検証し自分なりの答えを導き出していた。その点ではさすがだと思うが、とりあえず、

「柴田先生の意見は分かりました、教頭先生にも相談に乗ってもらいながら、今後どうするかあらためて検討していきたいと思います」

と言って、まとめにかかったのに、柴田先生が次に発した、

「茜ゆねはについてもそうです」

の一言で空気が一変してしまった。

「私は事件について説明するのに、茜さんのことについてもきちんと生徒たちに言うべきだと思います」

「いや、それはどうですかね」

「先生のおっしゃりたいことは分かります、でも、そのことを言わなかったことが結果として茜さんの立場を追い込むことになるんじゃないでしょうか」

「逆じゃないですか、仮にもしそのことを伝えたとして、その時に生じる生徒の拒否反応はそのまま茜に向けられるんですよ」

自分が話してる途中でみるみる柴田先生の顔色が変わっていくのが分かった。柴田先生はひどく呆れたという感じで、

「先生は生徒たちを甘く見過ぎています」

と、憮然と言い放った。

「いいですか、こちらが言わなかったとしても、遅かれ早かれ生徒たちは茜さんの件について気付くでしょう、そこで生まれる憶測やうわさは当然茜さんにとって風当たりの強いものになる、その上、先生たちがそのことを隠そうとしていたという事実が、さらに茜さんに対するうがった見方を加速させることになるわけで―」

「すべてを包み隠さず話すことが正しい事なんでしょうか、生徒の負担を考えて、まずは受け止めきれるだけのことを少しずつ話していくべきだと思いますが」

「しかしそれだと―」

そこからは平行線だった。僕が何を言おうと呪文のように同じ言葉を繰り返す。こちらがちゃんと柴田先生が言い終わるのを待つのに対してこちら側の意見は途中で打ち消される。周りの先生方の視線をちらほら感じるようになってきて、

「わかりましたそれも含めて次の職員会議にかけましょう、うちはそろそろ行かなきゃいけないので、話すことがほかの先生よりも多いですし」

と言って、強制的に会話を終わらせ、職員室から脱出した。


次の日、朝から学級会を開くことになった。廊下を歩きながら言うことを練って、言葉を組み立てては壊して、それは教室の前についてもやっぱり完成しなかった。こうなったらただ誠実に話すしかない。

教室に入るとまず、黒板に書いてあった『自習』という文字を消した。クラスはもっと騒がしいと思っていたが案外真面目に勉強している子らが目立った。

「いったん作業辞めて、先生から皆さんにお話があります」

これを合図に生徒たちは元の形へと動き始める。そこかしこで机を引きずる音が聞こえる、やがて音がしなくなって、どの席の子とも目が合うようになった。そのことを確認してからまず図工の時間がどうして自習になったのか説明を始めた。


『えっ』と声を上げる子、声を上げず口だけを押える子、頭を抱える子、怒りで顔をゆがめる子、生徒たちは様々な反応を見せたがそれは最初だけで、次第に私の言葉にただ黙って耳を傾けてくれるようになった。事件についての話の次に卒業制作が変更されることを告げた時、今度は何も反応がなかった。

初めて目に見える反応があったのは事件の概要をすべて説明し終えた後、卒業制作の代わりの物を何にするか話し合ってもらうためにみんなが班の形に移動している時だった。

すでに机を向かい合わせにして班が完成しているグループが一つあって、それがこちらに向かって真っすぐ手を上げている横川のグループだった。

「先生犯人は捕まったんですか」

名前を呼ばれた横川はそう私に聞いた。横川にしてみれば素朴な疑問を口にしたに過ぎない、だが、今のクラスにとって犯人という響きは劇薬だった。クラス全員の目が再び私に集まり静まり返った教室で誰もが私の答えを待った。

「今のところ誰がこんなことをしたのか分かっていません」

私の言葉を聞き終えた生徒たちは特に落胆した様子はなかった。でももうそこから火がついてるのが分かった。燃え上がった火は一気に全体に広がり、そこらじゅうで犯人捜しの声が飛び交うようになった。

「二組の誰かじゃね」

「あやしいやつ見たかも」

「先生、これからどうやって犯人を捕まえるんですか」

一度傾いた流れは簡単には止められない。

「はい、みんな静かにしなさい」

そう言っては見たが無駄だった。事件について説明するとき、あえて犯人という言葉は使わずに心無い人にという言い方をした。起きてしまった耐え難い事件だが、受け入れるほかないと思っていたことが、犯人という響き一つで、そんなことはない自分たちは圧倒的な被害者であって抗議して然るべきなんだ、そのことに生徒たちは目覚めた。話し合いはそのまま捜査会議になった。教壇の目の前の班では、

「どうして一組だけが狙われたんだろう」

「たまたまじゃね」

「ばーか、二組の奴が犯人だからに決まってんだろ」

という話し合いが繰り広げられていた。割って入っていって、

「おまえらな、今は犯人捜しの時間じゃないからな」

「でも先生俺こんなことした奴絶対許せねぇよ」

「そうだよな、許されることじゃないと思う、でもそっちの件に関しては先生たちに任せてくれないかな」

そう言って納得するはずもないが、でもそうやってなだめていくしかない。教室に出来た六つの班を順繰りに回り、話を聞いて最後は必ずこのお願いで締めた。班から班に渡り歩いてようやく半分、三つ目の班の子たちの意見を聞いていたときだった、

「ねぇどうして答えられないの」

話を聞いていた班の子たちも私も、というより、この教室で繰り広げられていたすべての会話が中断するほどの声だった。みんなが一斉に声がした方向を向いた。

その班は窓際の後ろ側に位置する、一班六人いるうちの一人の女子生徒が立ち上がっていて、その真向かいには茜が座っていた。

「黙っていたら、わからないでしょ」

茜は、ただ俯いていた。私は、

「どうしたんだ」

と言いながら二人の間に駆け寄っていった。

「先生茜さんが私のこと無視するんですけど」

私の姿を見るや否や、茜を指さしながら女子生徒の方が助けを求めた。

「最初から説明してくれないか」

茜は反応せずすぐに女子生徒が、

「私が事件のことで茜さんに質問したんです、犯人は誰だと思うって、そしたら急に黙っちゃって」

「それはわからないってことなんじゃないかな」

「じゃあそういえばいいじゃないですか」

女子生徒はふくれっ面をして茜を睨みつけた。

「まぁ、まぁ、犯人捜しは先生たちに任せてくれないかな、気持ちはわかるけど、事件についての捉え方は人それぞれだから、今は最初に言った卒業制作について話し合いをしよう、出来るよな」

半ば無理やりに終息させ、同意を求めた、女子生徒は不満そうに着席した。

「茜も話合いできるよな」

返事はなかったが、それ以上詮索することもしなかった。ひと段落着いたとこで

教室の扉が開く音がして、うんざりしながら、

「今度は誰だ、勝手に教室を出でるな、まだ授業中―」

振り返るとドアの前に立っていたのは榊だった。

「茜さん」

榊は教室を出ていこうとしているわけではなかった。私の知らぬ間に、恐らく班の子たちの話を聞いている間に教室を抜け出て今帰ってきたのだ。それは榊が手に持っている物ですぐに分かった。

「茜さんの代わりに私が答えてあげる」

そう言って榊は茜の席に向かってずんずん進む。二人の距離はみるみる縮まり、榊は茜の席のすぐ真横に立った。

「これどういうことかな」

榊が茜の前に突き出したものは、茜のオルゴールだった。

「ねぇ教えてよ」

茜の顔の目の前でオルゴールをちらつかせる、あまりに近いので茜はのけ反るような姿勢で顔をそむけた。

「やっぱりね」

榊は吐き捨てるように言った。

「榊、いい加減にしないか」

「先生は黙っててよ」

顔だけこちらに向けて張り上げた榊の声に気圧され、息をのんだ。

再び茜のほうに向きなおった榊は、

「ねぇ茜さん本当は何か知ってるんでしょ、知ってるんだったら何か話してよ」

教室中から声が上がった。ざわつき、生徒たちが二人を囲うように群がる。裁判のように聴衆の目は茜の元へ注がれた。だけど、これほどの人数に答えを求められても茜の口は動かず、ただ沈黙が流れていった。

「はーい注目」

堆積する重苦しい空気の中榊が突然上げた、不自然な程、明朗な声。生徒たちを搔き分けて教室の真ん中まで行くと持っているものを頭上に掲げた。

「これが茜さんのオルゴールでーす」

生徒たちは榊に引き付けられるかのように茜と真反対の方向へ流れて行った。

「茜さんがどうして何も話さないか、それは茜さんが犯人だから」

いつのまにか榊の手からオルゴールが消えていた。押し寄せる生徒の波に飲み込まれ乱暴に手から手に移動していく。

「嘘だろ」

「マジじゃん」

「信じられないんだけど」

生徒たちが口々に声を上げる。その様子を榊は恍惚とした表情でぼーっと見ていた。

―ガタン

何かが床に打ち付ける音がした。次に悲鳴が聞こえ、ひしめき合う人の団子をこじ開けながら進む人影が見えた。

「先生」

そう叫ぶ声。倒れた茜の椅子を起こそうとする見上と目が合った。

茜は教室の真ん中にいた。対面にはちょうど今オルゴールを手に持っている男子生徒。

呆気に取られている男子生徒の手から茜がオルゴールを奪い取ると頭上に掲げそのまま一気に腕を振り下ろした。

破壊され飛び散る破片、悲鳴が上がった。みんながオルゴールに注意がいっている中、茜はそのまま教室を出て行った。ほとんどの生徒が放心状態でしばらくの間教室は静かになった。

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