第34話、あなたが好きなんですよ
『ァア、ァアア、アアアァア――』
この世のモノとは思えない、異常な声が聞こえてくる。拳を握りしめて、相手をぶん殴る事に安堵していたアリシアが次に聞いた声だった。
少しずつだが、作り出されていた空間の侵食が始まっているように感じる。黒い空間が一部、王宮を包んでいたのだが、それが徐々に迫ってきているように感じた。
あの中に入ってしまったらいけない気がしたアリシアはすぐに杖を取り出し、それを握りしめる。
「レンディス、今から詠唱を行います。私がぶん殴った人を守ってください」
「……」
「……レンディス?」
返事が聞こえないアリシアは首をかしげるようにしながらレンディスに視線を向けるが、レンディスはどこか上の空のような状態のまま、まるで人形のように動き出している彼に少し疑問を抱きながら首をかしげると、先ほどまでレンディスの隣に居たリリスが声をかけてくる。
「ねぇ、アリシアちゃん。求婚を受け入れるのは、妹さんが結婚して落ち着いてからって言う話じゃなかったかしら?」
「え、ええ、そうですけど……」
「さっき、受け入れますなんて、言ってたわね。ワタシ、聞いちゃったわよ」
「あ……」
アリシアは相手をぶん殴る前の言葉を思い出し、思わず口を開けてしまった。
だから、レンディスがあのような姿になってしまったのだろうとすぐさま理解し、アリシアは少しずつ、頬を赤く染めながら、リリスから目線をそらし、一方のリリスは何処か楽しそうに笑いながらアリシアを見ていた。
きっと、ファルマが近くに居れば彼女の頭を叩いたであろうと思いつつ、アリシアは意識を集中させながら、聞こえてくる声に耳を傾ける。
「……リリス、リリスはあの声が聞こえる?」
「何かを叫んでいるような声でしょう?多分あれは召喚が不十分じゃない『同族』でしょう。形が定まっていないのよ」
「定まっていない?」
「前も教えたけど、『悪魔』と言うものはこの世界には愛されていない。だから、人間の契約しなければ本来の力を取り戻す事は出来ないし、身体すらも保つ事は出来ない。けど、今回のは不十分。多分、あの子が召喚術を行ったみたいだけど、途中で意識を失ったら、完璧な契約をしなかったのでしょうね。だけど、不十分の『悪魔』はそれ以上に力が厄介なのよ」
「……確かに、魔力の流れがエグイ」
アリシアの目には禍々しい魔力の流れを感じている。きっと、叫び声をあげているあの悪魔から出ているに違いないと理解している。しかし、同時に厄介だった。
(……私自身の魔力で倒せる相手ではない)
前回、下級の『悪魔』であった存在ですら、アリシアの魔力で勝てる相手ではない。ベリーフの力を借りて何とか傷を負わせた程度の力だ。しかし、今回はそうもいかない。
ベリーフはいないし、リリスから力をもらう事が出来ない。いや、そもそも『悪魔』から魔力を借りて魔力を増幅させると言う事は自殺行為に等しい。人間と言う生き物は『悪魔』と言う存在から魔力を借りてしまったら、命を奪われるリスクがある。
前回、ベリーフが勝手に魔力を渡したことで、アリシアは魔力酔いに合い、意識を手放してしまった。
しかし、それぐらい目の前の不十分な『悪魔』を倒す力がないのだ。
「……」
アリシアは迷う事はなかった。
彼女にとってこれも、『想定内』なのだから。
『これも前に言っていたもの……使わない事を祈るよ』
懐から取り出したのは、ここに来る前にもらったものだ。輝きを灯している水晶のようなものをアリシアは静かに見つめた後、それを口の中に入れ、歯で深く噛みしめる。
ガチっという音と共に水晶にヒビが入っていき、その隙間から微かに魔力のようなモノが流れ込んでいる。アリシアではない、別の魔力が流れ込み、それが体内にしみこんでいくような感覚だった。
「――……ッ」
水晶を全ては噛み砕いた後、アリシアは詠唱を続けるが、ある意味これは体に負担がかかる力だ。体中が悲鳴を上げていると言う事は、アリシア自身わかっている。
本来ならばこれ以上この魔力と一緒に魔術を行うのは危険なのだが、アリシアはこれではければ、目の前の『悪魔』を倒す事が出来ない。
「……アリシア?」
彼女の様子がおかしい事に気づいたレンディスは、アリシアの名前を呼ぶのだが、彼女は返事をしない。目の前の最大の魔術を作り出した目に、集中している。
そして――。
「
杖を上にかざし、彼女の魔力全てが地上に向けられる。
窓の外に目を向けると、そこにはあの森以上の無数の氷の粒が作り出され、闇で作られた空間に向けて振り下ろされる。
上から落ちてきた氷の雨は、空間に無数に降り注いでいき、徐々にその空間にヒビが入り、中から姿を見せたのは、声を出しているが、身体が保たれる事のない、『何か』だった。
『アア、アァアア、アアアアアアァァ――』
アリシアが作り出した氷の雨に打たれながら、徐々に体を失っていく。ゆっくりと、静かに、まるで自然に溶け込んでいくかのように、氷がその体を貫く。
「
最後に、まるでトドメをさすかのように、アリシアは最後の振り絞った魔力で、消えていこうとしている『悪魔』に向けて、氷の矢が貫いた。
一瞬だけ、その『悪魔』がアリシアに視線を向けたかのように見えたのだが、彼女はその姿すら、見えていない。
消えゆく悪魔の姿を見る事なく、彼女はその場に崩れ落ちた。
最初は膝をつき、杖を支えにしていたのだが、身体に力が入らないのかその場に崩れ落ちるように倒れる。
「アリシア!!」
何故彼女が倒れるのか、ケガでもしたのかと頭の中に過ったのだが、レンディスは急いで彼女に向かって走っていき、抱きかかえるかのように彼女を起こす。
しかし、いつもと様子の違う彼女の姿に、レンディスは驚いた。
顔色がとてもよくない。まるで別人のような顔をしているアリシアにレンディスは青ざめる。まるで、このまま死んでしまうのではないかのような、そんな顔をしていたからである。
「あ、りしあ……?」
「……ああ、すみません……レンディス……わ、たし……ちょっと、休みます」
「休むって……」
「水晶を……ベリーフに渡された水晶を、飲み込んで自分の魔力にしたのです……かなり体の負担が激しくて……レンディス、あなたの顔も今、見えません」
「なっ……」
「使わない……と、思っていたものを、使いました……倒れる事も、眠る事も、『想定内』ですから……ただ……いつ……いつ、目を覚ますかわからないので……言っておきますね……」
「なに、を……」
この人は何を言っているのだろうかと、レンディスは頭が混乱している。彼女はそのまま静かに笑った後、レンディスに聞こえるような小さな声で、静かに答えた。
「――わたし、あなたがすきなんですよ……だから――」
――浮気を、しないでくださいね?
アリシアはまるで少女のように笑った瞬間、そのまま静かに意識を手放した。
一瞬、彼女が何を言ったのか、理解出来なかったが――意識を失い、眠りについた彼女に、レンディスは力強く、彼女を抱きしめる。
泣く事はなかった。
ただ、彼女自身が無理をして、不十分な悪魔を倒してくれたと言う事を、レンディスは理解したのである。
そして同時に、何も出来なかった自分自身を呪った。
アリシア・カトレンヌは本当に、深い眠りにつくことになった。
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