第35話、おはよう、レンディス


「――あれは、僕の魔力を一部封印していた水晶だったんだけどね、彼女がどうしても欲しいと言うから渡したの……まさか本当に使うとは思っていなかったけど」


 いつもの笑みを見せず、ベリーフは申し訳なさそうな顔でレンディスに視線を向けるが、レンディスは何も言わない。ただ静かに寝ている自分自身の好いている人物の顔を見ているだけだ。

 あの事件から一週間――彼女は相変わらず目を覚ます事はない。体に負担をかけてしまったせいもある為、アリシアは深く眠りについたと、レンディス達にベリーフは伝えた。


 彼女が噛み砕いた水晶にはベリーフ――『悪魔』の魔力が一部封印されており、アリシアはそれを欲しがった。彼女の見方は間違いなく普通では『悪魔』は倒されない、と言う事だ。

 ベリーフは一度は反対し、自分も一緒に行って手伝うと言っていたのだが、彼女はそれを否定したのである。


 ベリーフには妹や叔母たちを守ってもらいたい、と願ったから。


 使わない事を祈っていたベリーフだったが、終わった後帰ってきたアリシアは全ての魔力と、そしてベリーフの魔力を含んで魔術を放ったことで限界がきた為、眠りについていると言う事。

 青ざめた顔をしながらレンディスがベリーフに縋り付いてきたことには、本当に驚いてしまった。


 アリシアは今も眠っている。

 全てが終わった事で、アリシアとカトリーヌは叔母の家から自分たちの屋敷に戻ってきた。疲れ切った父親も眠りについているアリシアを見て驚くと同時に、眠りについた彼女から離れないレンディスを受け入れ、目を覚まさない姉の姿を見て毎日のように泣いているカトリーヌを支えてくれた。


「……で、君はいつまでそうしてるの?何も食べ、飲むこともなく、ずっとアリシアの手を握っているね」

「……」


 まるで魂が抜けてしまったかのように、レンディスは動かない。強く、しっかりと、力のない彼女の手を握りしめながら、眠っているアリシアに目を向けている。

 正直、腑抜けのようになってしまったな、とベリーフは思った。

 何もしゃべらないまま静かに彼女を見つめているレンディスに諦めず、声をかけ続ける。


「剣士として、男として、そんな顔、アリシアが見たらどういうかなー絶対にドン引きするに決まってるよねー!……ねぇ、本当、しっかりしてくれないかな?君がそんなんだと多分絶対に殺されるのは僕なんだけど」

「……んだ」

「え?」


「――俺は、何のために、彼女と一緒にいたんだ?」


 弱々しい声で答えるレンディスの瞳は、本当にいつも以上に自分を責めている瞳だった。

 確かにレンディスは彼女を守るために、傍に居る為に一緒に王宮に向かったはずだが、彼は何も出来なかった。守る事が出来なかったと、今でも、ずっと自分自身を攻めているのだろう。

 その姿を見てベリーフはため息を吐く。


「……君は魔術師でもない、ただの剣士だ。そして今回、アリシアが判断した行動だったんだ。君は何も悪くないし……自分自身を攻めるのはお門違いだと思うけど」

「……」

「……アリシアがそんな顔をしていた君を見たら、どんなことを言うと思う?もしかしたらぶん殴られるかもしれないよ?」

「……」


「――これからも、君はアリシアの隣に居なきゃいけない存在なんだから」


 ――わたし、あなたがすきなんですよ……だから――


 ふと、眠りにつく前に言ったアリシアの言葉を思い出す。彼女は心が強く、整った表情を見せるが、妹の事になると歯止めが利かない存在となる。

 優しくて、温かくて、そして、一緒にいると安心出来る相手――いつもそばにいる彼女の姿を思い浮かべたレンディスは拳を握りしめる。


「……ベリーフ」

「何、レンディス?」


「……今の俺は、アリシア・カトレンヌにふさわしい男か?」


「全く」


 フフっと笑いながら答えるベリーフに対し、レンディスは静かに立ちあがり、アリシアに再度視線を向けた後、そのまま静かに顔を近づけ、彼女の額に唇をつける。

 頭を優しく撫でた後、レンディスは自分の両頬を勢いよく叩き、その男でベリーフが驚きながらレンディスに視線を向けた。


「うわ、突然そんな事しないでくれる!?びっくりしたじゃん」

「す、すまない」

「……まぁ、良いけど。ほら、リリスのご主人様の所に行くよ。仕事、溜まってるみたいだから早く戻ってきてほしいって伝言来てるんだけど」

「……」

「うわ、嫌そうな顔」


 ベリーフのその言葉を聞いたレンディスは嫌そうな顔を向けたあと、居室の扉を閉める前にレンディスは寝ているアリシアに再度視線を向けた。


「――仕事、行ってくる。アリシア」



  ▽ ▽ ▽



「あ……こんばんわ、レンディス様」

「こんばんわ、カトリーヌ」


 レンディスが王宮での仕事を終え、いつものようにカトレンヌ家を訪れると、庭の花を愛でるように視線を向けていたカトリーヌに声をかけ、彼女のいつもの笑顔で挨拶をしてくれる。

 彼女は急いでレンディスの所に近づき、もう一度お辞儀をした後、話しかけた。


「今日もお姉様の所ですか?」

「ああ……相変わらず、か?」

「ええ……あれからもう一年半ですし……早くお姉様に報告したいのですけど……」

「ファルマ殿下との婚約が決まったらしいな……きっとアリシアなら、殿下をぶん殴っている所だろう」

「……お姉様ならやりかねませんね」


 笑いながら答えるレンディスに対し、カトリーヌは姉ならば絶対にやりかねないと悟るのだった。しかし、それも妹の為ならばと言う事だろう。

 アリシアが眠りについて半年後、王宮では色々あった。フィリップは廃嫡となり、田舎方面に追いやられたらしい。そして同時にファルマが王太子となり、カトリーヌと婚約する事になった。

 ファルマを王太子にする事は、カトレンヌ家の侯爵であり、アリシア達の父親が数年まえから動き出していた。そして卒業式の婚約破棄の事で騒ぎを出したことでフィリップは追い出される形となった。


「ファルマ様は何て言うか、女性に対しては不器用って感じがして、面白い人だなと思いまして、婚約を受けました」

「……父親も進めていたしな」

「まぁ、妃教育も受けておりましたからね……家が決めた婚約ですが、ファルマ様の事は好きになれそうです」

「殿下は人柄も良い人だ。俺が保証する」

「ありがとうございます、レンディス様……引き留めてしまってごめんなさい。お姉様に一刻も会いたいのに」

「……すまないな、カトリーヌ」


 少しだけソワソワしているレンディスに気づいたカトリーヌは笑いながら道を開けてくれたので、一言お礼を言った後、レンディスは急いでアリシアが眠っている部屋に向かう。

 玄関から入り、顔見知りの執事やメイドに挨拶をした後、レンディスはいつのように部屋の扉を開ける。


「すまない、アリシア。今日は――」


 いつものように、一日の流れをアリシアに報告しようとして顔を上げた時、いつも寝ているアリシアのベッドに彼女の姿はなかった。

 その代わり、大きな窓側に視線を向け、景色を見つめている一人の女性の姿があり、レンディスは目を見開いた。

 彼の声に気づいた女性――アリシア・カトレンヌはそっと笑みを見せながら、レンディスに挨拶をする。



「おはよう、レンディス」



 彼女は笑いながらレンディスに挨拶をする。

 次の瞬間、レンディスは彼女に急いで近づき、壊れ物を扱うように優しく抱きしめるのだった。

 

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