004 選択とその結果

 



 ドロセアが行方不明になってから三日が経った頃、リージェは故郷の村を発つことになった。


 屋敷の前には王国や教会が連れてきた豪華な馬車が停まっている。


 しかしリージェは頑としてそれに乗ろうとはしなかった。




「いい加減にしなさい、リージェ。教会のみなさんを待たせているんだぞ!?」




 先に馬車に乗ったリージェの父、カーパの怒鳴り声が響いた。


 しかしその説教は娘には届いていないようで、怒鳴り返されてしまう。




「パパこそいい加減にしてください! お姉ちゃんの顔を見ることすら許されないのですか!?」


「甘えるんじゃない。いいか、S級魔術師であり、誰よりも神から愛されたリージェは、これから聖女として人々のために生きていくんだ。平民一人のことを考える時間があるのなら、より多くの民を救うことを――」




 父が語るほどに、リージェは不機嫌になっていった。




「聖女って何なんですか? そんなわけのわからないもののために生きたくはありません!」


「名誉ある称号なんだよ」


「聞いたことがありません!」


「リージェのために作られた地位なら、なおさらのことありがたいじゃないか! 断る理由がない」


「そんなのはパパの都合じゃないですか。お金も入ってくる、名声も手に入る、これでディオニクス家を大きくできるって喜んでいたこと、わたしは知っているんですよ?」




 冷めた口調でそう告げる娘を前に、カーパは狼狽える。


 リージェは唇を噛むと、さらにこう続けた。




「最低の気分です……どうして、大好きなパパのことを軽蔑しなければならないんですか……?」




 声を震わせながら拳を握るリージェ。


 明らかに動揺を隠せない父と、そんな二人を心配そうに見つめる母。


 だがカーパは己の心を噛み殺して――否、そう思い込みながら目をそむけ、リージェを諭す。




「と……とにかく諦めなさい。さあ、早く馬車に乗るんだ」




 そして半ば強引に馬車へと押し込む。


 少し離れた場所に待機する馬車の中には、リージェと同じく王都へ向かうことになったエルクとその取り巻きがいた。


 A級魔術師であること、そして聖女の友人であることを教会に強くアピールして、ある程度の地位を確約してもらったのだ。




「どうもあいつら揉めてるみたいだな。ドロセアはもう死んでいないってのに、無駄な茶番だ」




 そんな経緯もあってか、頬杖を付いて親子喧嘩を見るエルクは上機嫌だ。


 彼のおかげでおこぼれをもらえた取り巻きも、同様に興奮した様子である。




「はははっ、違いないっすね。というかとっとと本人に知らせてやった方がいいんじゃないっすか? 今日からはドロセアじゃなくて、エルクさんが聖女様の騎士になるんすから」


「バーカ、気が早いんだよ」




 エルクがつま先で脛を小突くと、取り巻きは口角を釣り上げ笑う。




「確かに俺らは騎士になる資格を得た、聖女様のおかげでな。だがあくまで養成所に入る権利を得たに過ぎない」




 王国軍の中でも、国王直属の部隊を騎士団と呼ぶ。


 高い能力を持つ魔術師が集まった少数部隊であり、大衆の憧れの的――概ねそんな立ち位置の、軍の花形である。




「オレら聖女様のお友達なんすから、そのあたりも融通効かせてくれるに決まってますって」


「はっ、そうだな。しかも俺はA級魔術師、リージェに次ぐ才能の持ち主だ。すぐさま騎士団長まで上り詰めて……そうだな、聖女様の結婚相手にでも立候補してみるかねえ」


「さすがエルクさん、志が高い! オレらにもうまい思いさせてくださいよぉ?」




 将来の成功を疑ってやまないエルクたち。


 まさに彼らは、人生の絶頂期の真っ只中にあった。


 対照的に、強引に馬車に乗せられたリージェは、絶望に沈んだ虚ろな瞳で窓から外を見つめ、ぼそぼそとつぶやく。




「……お姉ちゃん。どこにいるんですか、ドロセアお姉ちゃん」




 まるで半身を失ったかのように苦しげに、寂しげに。




「わたしを……追いかけてきて、くれますか……?」




 しかし馬車が村を離れても、ドロセアがそこに姿を現すことはなかった。




 ◇◇◇




 それからおよそ三週間後、ドロセアがマヴェリカの元で人の体を取り戻した頃――王都にやってきたエルクは、厳しい現実に打ちのめされていた。




「聞いてた話と違いすぎるだろッ!」




 騎士養成所の隅にある物置で、彼は木箱を蹴りつけながら怒鳴っている。


 あまりに過酷な訓練に耐えかね、逃げ出して身を隠しているのだ。


 彼の手下の一人も同じように脱走し、この狭い部屋に身を寄せていた。




「何が優遇する、だ。他の連中と扱いは変わりゃしねえじゃねえか! クソ教官め、俺のことをゴミみたいに扱いやがって!」




 実際のところ、いきなり養成所に入れた時点で優遇はされている。


 しかしエルクの理想とは違ったのだ。


 ここは王国最高峰の兵士を育てるための養成所、そこに甘えや情けなどは一切存在しなかったのである。




「エルクさん、もうオレら限界っすよ……まさかこんなに厳しいところだとは思わなかったっす」


「お前も俺に言わずに脱走するつもりか?」




 エルクに睨まれ、萎縮する手下の男。


 一緒に王都にやって来た取り巻きの大半が、養成所から逃げ出している。


 今ごろは王都の下町あたりで、チンピラの真似事でもしている頃だろう。




「いやいや、そんなつもりは! でも……」




 取り巻きの不安そうな顔を見て、エルクは舌打ちをする。


 そして先ほどまで蹴りつけていた、埃を被った木箱に腰を下ろした。




「俺だってしんどいのはわかってるよ。教会があんだけ大事にしてる聖女様の友人だってのによお、この扱いは不当だ。俺はあと何回あのクソ教官にぶん殴られればいいんだ?」


「そうっすよね、何であんな厳しい訓練なんて受けさせるんすか? どうせ騎士なんて権力者のお飾りじゃないっすか」


「もはやこれ、神に対する冒涜じゃね?」


「罰当たりっすよね、あいつら。それでエルクさん、どうするんすか?」




 エルクは少し考え込むと、ニヤリと笑った。




「こうなったら、直談判するしかねえな」




 ◇◇◇




 養成所を出たエルクたちは、王都にある教会の本部へやってきた。


 白い石造りの美しい建物に、胸を張って足を踏み入れる。


 本来なら許可を取っていなければ、関係者以外は入れないはずなのだが――あまりに堂々としていたため、誰も声をかけられないでいる。


 訓練生とはいえ、騎士のような格好をしていたのもうまくいった要因の一つだろう。




 教会は神を信仰するだけでなく、回復魔術や光魔術の才能を持つものを管理する団体と言える。


 それらの魔術は他の魔術と違い、神から与えられた恵み――特別な力として区別されているのである。


 もちろん神の実在を確かめた人間などいない、それが神の恵みであると証明することは不可能だ。


 要するに教会の地位を高めるための口実に過ぎないが、少なくとも王国ではその理屈でみな納得していた。


 一方で、国王を初めとする貴族からはそれ以上の力を持つことを恐れられているため、独自の兵力を持つことを禁じられている。


 ゆえに護衛が必要であれば、王国軍の兵士や騎士に依頼するのだ。




 そういった理由もあり、教会本部に騎士が足を踏み入れること自体は不自然ではなかった。


 無論、騎士であっても本来ならば許可を取らねば入れないのだが。


 エルクと手下はそのまま奥へと進み、途中ですれ違った修道女に「聖女の部屋はどこだ」と尋ねる。


 修道女は困惑しながらも、騎士への信頼半分、高圧的な態度への恐怖が半分、と言った様子でそれに答えた。


 こうして、ついにリージェのいる部屋までたどり着く。


 部屋の前には護衛らしき修道女が二人立っていたが、無視して強引に部屋に入ろうとする。




「どなたでしょうか。聖女様との面会をご希望でしたら許可を取ってきていただけますか」




 当然、護衛が割り込んでそれを止める――が、エルクは力ずくで押しのけた。




「俺は聖女様のオトモダチなんだよ」


「お止めください、許可が無ければこの部屋に立ち入ることはできません!」


「うるせえッ! 故郷の友達と会うのに資格なんて必要ねえだろうが!」


「上の者に許可を取ってからでないと……」


「邪魔するんじゃねえよ!」


「きゃあっ!」




 エルクが振り払った腕は修道女の顔に直撃する。


 殴られた彼女は悲痛な叫びと共に地面に倒れ込んだ。




「誰か、誰か騎士様をぉぉっ!」




 助けを呼ぶ女を無視して、エルクは部屋に踏み込む。


 白いドレスを身にまとったリージェは――バルコニーに置いた椅子に腰掛け、何かを懐かしむように彼方を眺めていた。




「……何の騒ぎですか」




 ゆっくりと無気力に振り返る彼女は、年齢以上に大人びて見える。


 そんな彼女にエルクは軽薄な態度で手を上げ声をかけた。




「よお、リージェ。いい部屋に住んでるじゃねえか」


「エルク……」


「エルクお兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだぜ? ドロセアのことはお姉ちゃんって呼んでたろ」


「早く要件を言ってください」


「冷たいねえ。久しぶりに会えたんだ、もっと嬉しそうな顔をしてくれてもいいだろうに」


「あなたにはあまりいい思い出が無いので。聞いていますよ、わたしの友人だと嘘をついて騎士養成所に入ったのだとか。おめでとうございます」


「ありゃクソみてえな場所だよ。なあリージェ、上の連中に言ってくれねえか? エルクお兄ちゃんは優秀な魔術師だから訓練なんて必要ない、今すぐにだって騎士になれる、ってな」




 リージェは嫌そうに顔をしかめたが、エルクは気にせず彼女に歩み寄る。




「そしたらお前を守る騎士になってやるよ。悪い話でもないだろ? だって聖女様は騎士がほしかったんだもんなあ?」


「わたしの騎士になれるのはお姉ちゃんだけです」


「そりゃ世間を知らなすぎる。扉を開いて一歩踏み出せば、ドロセアより素敵な人間なんてすぐに見つかるもんさ、例えば俺とかな。なあ、俺と組めば、この辛気臭い場所から出られるかもしれねえんだぞ?」


「近づかないでください」


「もう俺らを邪魔するドロセアはいないんだ。遠慮する必要はない、才能のある者同士で――」


「触らないでッ!」




 腕をつかもうとするエルクを振り払うリージェ。


 その強気の態度に苛立ち、エルクは舌打ちをした。




「あなたには何度もお姉ちゃんと過ごす時間を邪魔されました。恨みはすれど好意など抱くはずがありません、わかりませんか!?」


「わっかんねえなあ。あんな魔術の才能もない、地味でぱっとしない女に何の価値がある?」


「あなたに説明する必要はありません、帰ってください」


「いい加減に俺を選べよ」


「未来永劫、あなたを選ぶことだけはありません」


「いいから選べって言ってんだよッ!」


「下劣で野蛮で愚かな男……お姉ちゃんの足元にも及ばない!」




 リージェは嫌悪感を隠しもしない。


 そんな彼女に向け、エルクは荒々しく言い放つ。




「死んだ人間のこといつまでも引きずってんじゃねえよッ!」




 それを聞いたリージェは困惑する。




「な……死ん……だ……?」




 ドロセアが死んだ。


 そんな馬鹿げたことを、エルクは自信満々に言い放ったのだ。


 もちろん信じたわけじゃない、きっと嫌がらせのために適当な嘘をついたに違いない――リージェがそんな顔をしていたので、エルクは意地の悪い笑みを浮かべ、さらに詳しく語る。




「そうだ。俺らが村を発つ数日前、森に入ったっきりあいつは行方不明なんだよ」


「そんな……で、ですが、行方がわからないだけでは……」


「森から帰ってこなかった夜、村には不気味な魔物が現れた。そいつは人間の血で汚れてた上に、ドロセアの着てた衣服の残骸を体に引っ掛けてたらしい」


「っ……う、嘘……」


「嘘じゃねえよ。そう思うなら村の連中に確かめてみりゃいい、目撃者は大勢いる。ドロセアの両親ですら死んだと答えるだろうさ。つか教会の連中も知ってるはずだぜ」


「そんなはずはッ!」


「お前だってわかってたろ。あのドロセアが、来るなって言われて大人しく家に籠もると思うかァ!?」


「それ、は……」




 なぜ出発の日、顔も見せてくれなかったのか。


 なぜ王都まで追いかけてきてくれないのか。


 わがままな想像だとわかっていても、ドロセアならそれぐらいはしてくれるはず――心の中で、そう思っていた。


 しかし一向に彼女は姿を現さない。


 死以外に――そうなる理由が思い浮かばない。




「これでわかったろ、誰を選ぶべきか」




 リージェの心に、するりと入り込もうとするエルク。


 だが、そんなやり方で口説けるはずなどない。


 彼は甘く見ている。


 ドロセアを失った、リージェの絶望を。




「嘘……嘘……嘘、嘘、嘘……」




 リージェは頭を抱え、髪をくしゃりとかき混ぜながら、首を左右に振る。




「お姉ちゃんが死んだなんて嘘ですっ! そんなの、そんなもの、認められるはずがッ!」


「現実を見ろよリージェッ! それにS級魔術師になった時点で、お前とドロセアの間にはどうしようもない壁が出来ちまったんだよ。仮に生きてたとしても、お前はドロセアとは二度と会えないだろうさ。絶望的なまでの立場の差があるからなあ! 人生は諦めが肝心なんだよ聖女様よォ!」




 生きていても会えない。


 死んでたらもっと会えない。


 どうせ会えない。


 何をしても、いくら待っても、どれだけ神に祈っても。


 S級という刻印が、聖女という烙印が、深く深くリージェに刻まれてしまった以上は――




「わたしは……ただ、お姉ちゃんと……一緒に、生きていければ……それだけ、で……」




 首を振りながら後ずさるリージェ。


 ふとそのとき、彼女は背後からドロセアの声がした気がした。


 振り返ると、そこにはバルコニーと、青く晴れた空があった。




「お姉ちゃん……そこに、いるんですか……?」




 死んだというのなら、魂は空へと帰る。


 リージェにとって最も重要なのは、ドロセアと共にあることだ。


 それ以外はどうでもいい。


 命でさえも。




「だったら、わたしも、同じ場所へ――」




 突如として、バルコニーに向かって駆け出すリージェ。




「……あ? おい、何やってんだ!」




 エルクが異変に気づいたときにはもう遅かった。




「バカなことはやめろ、リージェぇぇぇッ!」




 駆け寄り、手を伸ばし、体を掴もうとするが――届かない。


 リージェの体は吸い込まれるように、柵の向こうへと落ちていった。


 そして少し遅れて、ドンッと何かが衝突する音が鳴る。


 エルクは慌てて下を覗き込む。


 そこには地面に叩きつけられ血を流すリージェの姿があった。




「冗談だろ……ドロセアなんざが死んだ程度で、自分から……ッ」


「エルクさん、ヤバいっすよ、騎士が来てます!」




 一連のやり取りを一歩引いて見ていた手下が、冷や汗を垂らしながら声をあげる。


 エルクは「くそったれがっ!」とバルコニーの手すりを殴りつけた。




「まるで俺のせいで死んだみたいじゃねえか。リージェが勝手に死んだってのに、罪をなすりつけられるのは御免だッ! こっから飛び降りるぞ!」


「で、でも死んじゃうんじゃ」


「足から降りりゃ骨が折れるぐらいで済む! 騎士に捕まるよりマシだろうが!」




 エルクは手下と共に、リージェが身を投げたバルコニーから飛び降りた。


 そして微動だにしない聖女を尻目に、全速力でその場を離れるのだった。




 ◇◇◇




 リージェはその後、回復魔術により一命をとりとめた。


 だが二度と似たような事態が起きないよう、徹底した対策が取られ、窓もない薄暗い部屋に幽閉されることとなった。


 教会内部ではS級魔術師、しかも聖女とまで呼んだ少女にそのような扱いをするのは如何なものか、という意見も出たが、そのまま押し切られることとなった。


 教会にとっては、多少の汚名よりも念願・・だったS級魔術師を所有しているという事実のほうが重要だったのだ。




 一方でエルクはまんまと王都まで逃げおおせ、そのまま消息を絶った。


 噂では名前を変えて下町で非合法の仕事に手を染めているとのことだが、特に騎士団や教会の人間に追われている、というわけではなかった。


 現場の状況からしてリージェは自殺の可能性が高かったからだ。


 また、教会の幹部が強引にねじ込んだ不真面目なくせに偉そうな候補生がいなくなり、指導する騎士たちは『厄介者がいなくなって助かった』と喜んでいたという。



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