第6話 メンヘラ、ウマに出会う

 目の前の少女を見ながら、はてとトラは首を捻る。


 勇者を自称する少女、アロマ。その在り方はまさに絵に描いたような女勇者だ。

 あどけなさ、幼さを残す白人風の顔立ちは自信と勇猛さに溢れ、美しい金の髪をたなびかせ意気揚々とこちらに絡んでくる。明るく快活で天真爛漫、それでいてどこか傲慢さを滲ませる気配。自身を強者であると一切疑わない態度は、小柄で華奢な彼女の体格とは実にミスマッチ。


 そして人の感情の機微に疎いトラにも分かるほどに、それほどまでに真っすぐにアロマは彼に好意を向けていた。種類の如何は分からずとも、そこに悪意や害意などは感じられない。


 この世界の人間は皆彼女のように友好的なのだろうか。この在り方は彼女の個性なのだろうか。それとも自己が鈍感であるが故に何かしらの勘違いをしているのか。トラには判断しかねる。


 そして、先ほどから何故か人形のフリをして――事実人形と言っても差し支えないのだが――一切動かず話さないシルルの様子も気になる。

 アロマが現れる前、空を見上げ途方に暮れていた頃から動かなかった彼女だが、やはり他者が現れたにも関わらず一切の反応を返さないのは異様である。

 彼女が対話をするのは自分だけなのだろうか。それとも何か他に理由があって身動きを取らないでいるのだろうか。


 いずれにしても、トラ自身にはどうしようもないことのような気がした。


 上機嫌に鼻歌を歌いつつ先行するアロマ。彼女の背を追う形で進むトラの背にはシルルが背負われている。

 今更ながら、彼女のことをアロマに話して良かったのかと不安になってきたトラ。シルルがこうして動かないでいることに理由があるのであれば、それに対し何か不都合なことを無意識に言ってしまっていたやも知れぬ。


 耳元に聞こえる僅かな駆動音を感じつつ歩いていると、囁くようにしてシルルが声をかけてきた。


「……トライロ、彼女に注意ヲ。返答は不要デス」


 一体何だろうか。

 戸惑いながら、しかしトラは前を見据えたまま僅かに頷くだけに留めた。


「アロマ。勇者を自称する人間。彼女もまた、アナタと同様の転生体であると推測されマス」


 なんと。

 彼女も自身と同じ転生した者――つまり、前世の地球出身者であると。

 しかし、少し前シルルが話していた説明が確かなら、記憶や能力の引継ぎはともかくとして世界に生きる生物は皆転生者なのでは。


「投機の計測器に不備が見られるため、確証はありまセン。ですが、彼女は通常の転生体とは異なる魂を持つように感じられマス」


 計測器の異常、という可能性もありますガ。


 アロマ自身には聞こえないように小さく囁くと、シルルは再び黙りきってしまった。

 トラとしてはそんなことを言われても困る。

 彼はこの世界の常識をまるで知らない。それどころか、前世の常識すら正しく認識出来ていたのか今となっては怪しいものだ。

 異常だ、注意しろ、なんてことを言われたとしてもどう注意すればいいのか分からない。


「と、とと」


 不意に、目の前を歩くアロマが立ち止まりこちらを振り返った。幸いなことにある程度距離が離れていたため彼女にぶつかるようなことはなかったが、すわ話を聞かれたかとトラはその場でたたらを踏んだ。


「そういえばトライロ、アナタって何歳なの?」


「何歳……?」


 そう聞かれて、トラはどう答えて良いものか判断に困った。


 前世の人生を含めた年齢であれば30代半ば。しかしこの異世界への転生、つまりこの世界での誕生はつい先ほど、0歳だ。

 30代と0歳。サバを読むにしてはあまりにも大きすぎる開きだ。10の位が丸ごと削り取られている。それどころか、数時間前に生まれました、なんて回答が年齢を尋ねられた場合に相応しいのだろうか。


 数秒悩んだ末。


「30を少しばかり過ぎた程度だ。キミのような少女とは感性が合わない程度に中年だよ」


「えぇっ!? 30歳!? 見えない! どう見ても20かそこいらでしょ!?」


 はて。自分の外見はそんなに若かっただろうか。それともこの世界の人間は老け顔なのか? そういえば、日本人は外国人に比べ顔立ちが幼く見えると聞いたことがある。


「アナタの外見、肉体は生前の全盛期の頃と同等デス」


 と、そんな疑問に背後からの囁き。


「考えてもみてくだサイ。死に体の老人や病人をそのまま転生させてしまうと生まれ変わった瞬間にまた死ぬではありませんカ。肉体を維持したままの転生は前世の全盛期を引き継ぐ形になるのですヨ」


 なるほど、たしかにそうだ。

 大往生を迎えた上で転生したり、怪我や病気で死亡したり。そもそも死亡した状態でそのまま転生なんてしたら即死するに決まっている。


 故に全盛期、だろうか。


 ところで、自分の全盛期とは何歳くらいなのだろうか。


「すまないが、鏡かなにか持っていないだろうか」


「今は無いわね、荷物を全部プテリに乗せたまま走り去られちゃったし。でも、姿を見るくらいならこれで十分じゃない?」


 そう言うと、アロマは地面に手をかざす。


「……おぉ、すごい」


「氷結魔法よ! しかも無詠唱! どうかしらっ!? なんか勇者っぽいでしょ!?」


「すごく、すごい」


「でしょっ、でしょっ!」


 開けた草原。アロマの手が翳されたその一画が瞬時に凍り付き、天然の鏡面を作り出した。


「勇者というのは……すごいな。まるで魔法だ」


「まるでもなにも、魔法よ! ……えっ、なにトライロ。アナタ魔法見たことなかったの?」


「魔法みたいなものは見た。だが、魔法そのものを見たのは初めてだ」


「……うっわーっ! それがホントなら、マジのマジで転生してきた謎の人物Xじゃない! トライロっ、アナタ最高よ!」


 魔法を使ったのはアロマなのに何故か感激された。

 トライロには何故彼女が喜んだのか分からなかったが、それを察するより早く背負ったシルルにアロマには見えない位置を小突かれ本来の目的を思い出す。


 そうだ、今の自分の容姿の確認だ。


 トラは氷の鏡面を覗き込むようにして映り込んだ自身の姿を見る。


 はたしてそこに映っていたのは、若かりし頃の自分の姿だった。髪も服装も、当時付き合っていた女性の好みに合わせたパンキッシュなもの。黒のダメージジーンズに謎の英字が刻まれたシャツを着ている。


 ……この服装は、一体誰の好みであっただろうか。思い出せない。

 前世の記憶が薄いのも要因だろうが、きっと理由はそれだけではない。


 確かこの容姿は大学生の時分。何故か告白され、断る理由もないと付き合い、相手になんとか合わせようと努め、しかしどういう訳か最終的にこちらが愛想を尽かされる。そんな女性関係を繰り返していた頃だ。たとえ前世の記憶が確かであっても、このファッションが誰の好みであったかなんてトラには分からなかっただろう。


「若い、な。30代には見えない。いや、これは20歳の頃の俺か」


「ふぅん、転生すると若返るのね。不思議な仕組み。でも赤ちゃんからやり直し、なんて訳ではないみたいね」


「……アロマ。キミは前世の記憶とかはないのか?」


 シルルの言葉もあり、トラはなんとなく彼女に尋ねてみた。


「前世? そんなものないわよ。むしろ今さっきそんな概念信じる気になったくらいだわ。それに、仮にアタシに前世があって記憶もあって、そんな状態でも関係ないわね」


「関係ない?」


「だって、大事なのは今のアタシだもの! 今を生きてるアタシ! 伝説の勇者になるアタシ! それ以外のアタシなんて今のアタシにとってはどうでもいいのよ! だって、過去にこだわっていつまでもグジグジしてるのなんて勇者的じゃないわ!」


 なるほど。


 1時間にも満たない関係性ではあるが、なんとなくトラにも彼女のパーソナリティが見えてきた。

 勇者的かどうか。具体的な判断基準は定かではないが、彼女はそれにこだわる質らしい。


 ――と。


「ご主人」


「うひゃぁっ!?」


 背後からヌッと首を伸ばし、アロマに声をかける生き物が現れた。


 白い毛並み。4足歩行で筋肉質の体。足先は指一本で構成されており、金属製の蹄、所謂蹄鉄っが打ち付けられている。首は長く鼻が大きく、草食獣の特徴である顔の横に付いた瞳はつぶらで愛嬌たっぷり。

 これを前世の生き物に当てはめるなら。


「ウマが、喋っている……」


「なんだ、人間。ご主人の番か? ウマを見るのは初めてか?」


「つ、つつつつ、つっつ、番じゃないわよっ!? まだっ!?」


 白馬が喋っていた。

 その現実が、トラの脳をフリーズさせる。


 転生。動く人形。落雷から現れたゴーレム。勇者を名乗る少女。魔法。


 そのどれもが、それの前には霞んで見えた。


「ウマが、喋っている……」


「喋るぞ。ウマは、喋る。ウマは、賢いからな」


 もう馬刺しが2度と食えない。

 トラはそう思った。

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