第3話 メンヘラ、世界の洗礼を受ける
仮称としてトライロ――トラという名を受け取った男は、改めて周囲を見回してみた。
一面の草原。人の気配はまるでなく、人工的な建築物などもない。まさに自然一色の世界だ。穏やかな日差しと爽やかな風がトラには心地よく感じられた。
前世の記憶はほとんどないがそれでも平均からすれば、あくまで日本人としての平均としては、だが、それなりに荒んだ暮らしをしていた気がする彼だ。人生の落陽の間際に至ってはことさら酷い有様だった気もする。そんな彼にこの空間は、得も言われぬ感覚を齎していた。
どうにも慣れぬその快感。
正直言って、トラはシルルの言葉を半分も理解できていなかった。
いや、言葉そのものは理解できる。だが、実感がまるで湧かない。
転生。そして異世界。
前世と今世、尾を食らう蛇が如く、絶命と同時に互いに転生し合う生命。それを管理する神。
まるで未知の宗教を無理矢理聞かされているような、そんな気分だった。
言葉は理解できるが、納得も実感もない。真の意味での理解からは程遠い。
「――オヤ」
呆然自失。そうともとれる態度の彼に全くの関心が無いような態度で、シルルが天を見上げ呟きを零した。
「実感が湧かナイ。その思念に我が創造主が気を利かせたみたいデス。一方は身勝手、もう一方は愚鈍、ト。全く、どちらの主人にも困ったものデス。シルル001ことワタシは我が身の不幸を嘆くしか出来まセン」
彼女の言葉と同時に、青空が広がっていたはずの天から一筋の稲妻が走った。
眩い閃光と、強烈な爆音。衝撃波を伴って襲来したそれは、ぼんやりとしていたトラの意識に痛烈な刺激を与えた。
「――――っ」
思わず目を閉じて耳を抑える。だが、それはもはや後の祭り。当然稲妻の速度に人間の反射神経が反応できるはずもなく、閃光と爆音を受けた彼の感覚器は一時的な機能不全を起こしてしまった。
激しい耳鳴りと頭痛。瞼を開けども白一色に染まって何も見えない世界。胸の内から訴えかけられる吐き気のような嫌悪感。
それらはあくまで一時的なもの。
衝撃による症状は数秒程度で収まり、霞む視界がなんとか見えるようになる。するとそこには。
「……なんだ、アレは」
「ゴーレム、デス。ワタシのような疑似生命を数億倍程度ダウンチューニングしたナニカだと考えてくだサイ」
「ゴーレム」
ゴーレム。とある書籍内に出てくる『それ』がその名を発端とする、人の仕事を肩代わりするために作られた人造人間のようなモノの総称だ。
広い意味では人のために動く人に作られた人のようなモノ全般を示すが、目の前のそれは岩石を主体として構築されていた。
「実感が湧かない、なんて下らない思考を抱くからデス。とんだはた迷惑ですネ」
「……どういうことだ」
「どういうも何も、この世界がどのような場所なのか身をもって分からせに来たということデス。トライロの前世風に分かりやすく言うと、チュートリアル戦闘というモノでしょうカ。気を引き締めてくだサイ、チュートリアルとはいえ死ぬときは死ぬのがこの世界デス」
雷鳴と共に現れたゴーレムとトラの間に体を割り込ませると、シルルは構えを取った。彼女の手元に、半透明な棒状のなにかが浮かび上がる。
「出力、基準値未満。機能不全多数。ですが戦闘能力には支障ありまセン。命令を、マスター」
「命令……? マスター……?」
「現在のワタシは破損、劣化による影響で発生した知性並びに認知機能低下により、自己判断による戦闘が困難デス。ですがこの程度のゴーレムであれば、戦闘行為は可能と判断。故に、アナタがワタシを操作して戦ってくだサイ」
戦う……? 自分が、彼女を操作して、このゴーレムと? そもそも、操作とは……?
その非現実な言葉に。理解も納得も実感もない言葉に。しかし、間髪入れず世界は現実感を叩きこんできた。
ゴーレムが、ゴーレムと呼ばれた岩人形が、トラに対して接近する。重鈍な、しかし確かな歩みで近づく。
「マスター、指示ヲ」
平坦な声。彼女は言葉を発するものの、身動き一つ取らない。そんな彼女の脇を抜け、ゴーレムはトラへと近づいてくる。尻もちをついたままの彼に、ゆっくりと近づいてくる。
口内に渇きを覚えた。気が付けば、手のひらの内側がじっとりと湿っている。立ち上がろうとしたのだが、上手く力が入らない。口を開いたが、喉からはかすれたような風がなるばかり。
どこか他人事のように、トラは理解した。
あぁ、自分は今恐怖していると。目の前のゴーレムが、意思を感じさせないその人型が、自分に暴力性を、殺意を向けていることに怯えているのだと。
ゴーレムの腕が振り上げられる。
脳裏に浮かぶのは、死。
生物の本能、そこに根差した恐怖そのものたる概念。
「指示ヲ」
――竦みあがったトラの耳に、抑揚なき声が再び届いた。
――――
気が付いたら、ゴーレムはバラバラに解体されていた。
一瞬の事であった。トラが助けてくれと、恐怖の感情の中心の内にて思ったその一声に反応したシルルが、半透明な棒状のそれを用いてゴーレムを倒した。
完全に、どうあっても復元不能だろうと思えるほど、いまやただの石屑の山となったゴーレム。
「――些か判断が遅かったと思いますガ。まぁ、及第点でショウ」
「……どういう、ことだ。何が起こった……」
「どうもなにも、ワタシがトライロの意思でこのガラクタを解体したに過ぎまセン。ワタシは見ての通り、劣化し摩耗したジャンクですノデ。自分の意思で戦闘行為を行うには無理がありマス。リソースを暴力へと振り分けるノデ、自我とでも呼べるプラグインが機能不全を起こすのデス」
「俺が、動かした……?」
彼にその実感はなかった。
ただ、目の前の暴力から。死の危険から逃れたいと、助けて欲しいと願ったに過ぎない。決して彼女の体を動かそうなどとは思っていなかった。
「投機にはアナタがマスター、つまり所有者であると登録されていマス。つまりトライロ、アナタはワタシの肉体を操作することが出来るのデス。その際複雑な指示は必要ありまセン、ワタシに蓄積された経験が最適と思われる行動を自然と行いマス」
「……つまりは、俺が助けてくれと願ったから」
「そういうことデス」
目の前の、ゴーレムだった石の山を見る。
助ける、という行動に対してはどうにも過剰な攻撃性が見て取れた。
そんな彼の様子を宝石の視線で射抜きながら。
「忠告しマス。ワタシがワタシの行動権をアナタに預けるのは戦闘時のみデス。ワタシにはワタシの自由意志がアリ、アナタに従いアナタを守るのはワタシが廃棄されないように、という目的の為デス。勘違いしないようニ」
その言葉に、ようやく恐怖心が薄れてきたトラは思わず苦笑した。
「……分かった。これからよろしく頼む、シルル」
「えぇ、アナタが死ぬまでワタシはアナタを助けまショウ。こんなガラクタの身で良ければ、ですガ」
謙遜ではないその言葉に、彼は再度の苦笑。
それは、彼にとって久方ぶりの笑みであった。
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