第2話 メンヘラ、説明を受ける

 目の前の人型の話を簡潔に要約すると。


 ここは異世界、それも所謂魔法やら怪物やらが存在するファンタジー世界。

 そして、前世で死んだ人間はこの世界で、この世界で死んだ人間は前世の世界で生まれ変わる。あるいは記憶や能力を保持したまま転生する。

 前世とこの異世界ではそれぞれ何人(何柱?)も神様みたいなのが存在していて、彼らの裁量によって前世を覚えたまま転生するか、はたまた完全に生まれ変わるのかが決定する。


「善行……俗に言う徳を積むような行動をしていれば、転生後に人間の様なイイ感じの知生体になりやすいみたいデス。逆に極悪人は細菌トカ、虫トカ、カビトカ、そういう死にやすい過酷な生涯を過ごす生き物になりやすい、トカ。苦行を課して反省させよう、ト」


 なるほど、と男は思った。

 確かに自身は前世で善くあれと生きた覚えがある。故に、記憶を引き継いでの転生か。


 だが同時に何故、とも思う。

 薄っすらとだけ覚えている、死ぬ間際に見た携帯電話の液晶に並ぶ批判の文字列。善くあろうと生きてはいたが、あれを思うに自分は善く生きれていた訳ではないのではないか。


 そのことを話してみる。


「俺は……転生に値する善い人間なのだろうか?」


「ワタシの知ったコトではありまセン。判断したのは神……我が創造主達で、ワタシではありまセン。さらに言うなら、ワタシはアナタに関する情報を与えられていまセン、善悪の判断など不可能デス」


「……そうか」


 目の前の存在にもそのことは分からないようだった。

 分からないものは仕方がない。そう思考を切り替え男は別の問いを投げかける。


「……異世界、か。ところで、キミは俺と同じ言語を話しているが他の者もそうなのだろうか? もし、他に人間……人間の様な存在がいるのなら、なのだが」


「アナタの前世と違い、この世界には異なる言語という概念はありまセン。世界そのものを覆う魔法で、知性の違いはあれど全ての発話、発声機能を持つ生命は互いに言語を理解することが出来マス」


「それは……なんとも残酷な話だ」


 つまり、屠殺される家畜や駆除すべき害獣等、人の営みに欠かせない殺傷において相手の意志が声となり感じられてしまうということだ。

 同種間、つまり人間同士のコミュニケーションの利便性以上にそちらの現実が残酷であると男は思った。


「質問はそれだけでしょうカ? 当機体はアナタを補助する目的で存在しまス。必要な情報提供は惜しみませんガ」


「当機体……早速だが、キミは、機械なのかな?」


「機械、ではありまセン。当機体は識別名シルル001、シルル型初号機に該当する原初の疑似生命が一機デス。稼働年月は約4億4370万年、経年劣化による機能不全、劣化、摩耗の激しいジャンク、デス」


「よっ……4億年……4億年か……」


 予想外の数字に、男はたじろぐ。

 四億年前。この世界でどうなのかは分からないが、それは前世の地球において生命がようやく陸上へ進出し始めたほどに昔のことだ。


 彼女の姿に思わず目が行く。

 メイド調の衣服は古めかしく、陶磁の肌は罅や欠損が見られる箇所もある。しかし、四億もの年月を感じさせるほどではない。


「……疑っても仕方がない。常識外れだが、キミを信じよう」


「おや、取り乱さないのですネ。人間にとって、4億という歳月は強大かつ長大であるとワタシは認識していましたガ」


「生憎、驚くほどの元気は無くってね。どういう訳か普段より調子は良いが、それでも俺はあまり強い人間じゃないんだよ」


「……薬物の影響が弱い可能性、しかしこれ以上の投与は耐性無き転生直後の肉体には危険と判断しマス」


 不穏な言葉をシルル001――シルルは漏らすが、男はあえてそれを考えないようにした。薬物、とは先ほど飲まされたナニカだろうが、それについて詮索する勇気は彼にはなかった。君子危うきになんとやら、である。危機感の先延ばしともいう。


「ところで、ですガ」


 不意に、そんな言葉と共にカクリとシルルは首を傾げた。


「ワタシに入力されていた情報に不備が生じ、一部情報が開示されないエラーが発生していマス。これはワタシの経年劣化が現認故に良いのですガ」


「いいのか」


「その情報内には一部、アナタの情報が含まれマス……ワタシはアナタを補助する機体、故にアナタの情報を求めていマス」


「俺の、情報」


「ハイ。具体的には、まずは名前等から、お願いしマス」


 名前。

 名前。

 名前。


 ……名前?


 聞かれて、男は自分の名前を知らないことを自覚した。

 それだけではない。なんと、前世に関するあらゆる情報が自分の脳から抜け落ちていた。


「俺は……俺は、誰だ……?」


 必死で記憶を探る。

 知識は……ある。言葉は分かるし話せる。物事も分かる。数学、地学、生物学等の学んできた教養は残っている。出来事も覚えている。日本に生まれ、日本で育った。家庭は転勤族と呼ばれる所謂地方育ち。中学の修学旅行で京都へ行き、高校では東京へ行った。大学は東京の中堅どころに現役で合格し、そのまま卒業後は社会人となって1人暮らしの生活を送っていた。


 ……だが、固有名詞が思い出せない。

 学校も、土地も、友人も、両親も、自分すらも。

 自分に関してはなんとなくどのような人間であったのかは覚えているが、名前と冠するモノに対しての記憶が、その一切が。

 男の中から抜け落ちていた。


「オヤ。対象にも情報の欠落があることを確認しましタ。原因解析……推定、創造主の計らい、具体的には心的外傷となる前世での出来事を忘却させた際に対象の個人情報までも抹消された可能性が存在しマス。なんと杜撰ナ」


 困ったような。否、言葉は困ったような字面だが、その実表情も声の抑揚も平坦なままシルルは首を逆に傾げて。


「アナタ、と呼び続けるのは非効率的、物事、人物には名前がある方が分かりやすいデス。だから、ワタシがアナタに名付けまショウ」


 瞑目し、少しだけ考えて。


「トライロ、デス。今日この日この時から、アナタの名前はトライロ。愛称としてはトラ、でどうでしょうカ」


「……トラ、ってほどカッコいい人間じゃないんだが」


「安心してくださイ。トラ、という動物は狩りが滅茶苦茶下手デス。カッコ悪いデス」


 シルルは励まし方が下手だった。

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