第82話闇を覆す

時間トキを止める魔法が溶けて世界が動き出した。


小鳥のさえずり、風にそよぐ木々、花の匂い、夏の熱気そんな当たり前のことが感慨深い。


世界が輝きを増す。


《綺麗…》


アイリーシャが悠長に世界の美しさに浸っていた。

しかし耳に届いたウィルアムズの声がアイリーシャを現実に引き戻す。



『マリア殿、君も薄々感じていたのだろう?残念だが血の繋がった兄妹間の結婚は認められていない。』



そこからアイリーシャの百面相が始まった。一人で青くなったり赤くなったり忙しい。


そんなアイリーシャの様子をアルベルトは傍から大人しく見守ることにした。

だがアルベルトの視線がついアイリーシャの口元に留まり先程のことを思い返した。


《アリスが攻めは反則だ…》


アルベルトはアイリーシャに唇を奪われると露ほども思っていなかった。

妄想したことは何度もあるがこんな簡単に現実になるとは思っていなかった。


だがアルベルトは気が付いていた。

アイリーシャは異性としてキスしたわけではない。

あれは家族に対してしたものだった。


そもそもアルベルトがアイリーシャを求めるキスとは熱量が違う。

単に負けず嫌いなアイリーシャが後先を考えずにとった行動だった。


しかしそれでもアルベルトは嬉しかった。

だがそんな振舞いを誰彼問わずされては困ると早急に躾の必要性があると結論に至ったのだ。


もちろんアルベルトもアイリーシャが節操なしで誰彼問わずそんなことをする筈はないのは知っている。だがどうしても厄介な婚約者候補の二人の顔がちらつくのだ。


ちょっとしたアイリーシャの行動がアルベルトの執着心をますます煽った。

しかしアイリーシャはその辺はどうも察しが悪い。



アイリーシャは表情を崩しながらも無言でルチアーナとウィルアムズとマリアの会話を聞いていた。

だがマリアが呼び出した瘴気と共に現れた精霊を見てアイリーシャは呟いた。


?」


沈黙を通すはずだったアルベルトも思わず声が漏れた。


「え?」


あちら側は少し離れているがアルベルトにもしっかり見える。

マリアが召喚したのは闇の精霊で間違いない。

アルベルトは闇の精霊が知った顔である素振りを見せたアイリーシャを理解出来なかった。

だから本来あり得ないことを口走った。


「まさか私に内緒で黒魔術使ったことがあるとか?」


「へ?」


アイリーシャはあまりにも非常識なアルベルトの言動に開いた口が塞がらなかった。


「すまない。アリスがそんなことするわけないよな。だがまさかレヴァインと名乗る闇の精霊と知り合いとでも言うのか?」


「はい、とは前世で会ったんです。」


「では、聖女様は闇の精霊と接触する機会があったのか?」


思考の追いつかないアルベルトに反してアイリーシャは焦る様子もなく言葉を交わす。


「それがあったんですよ。ところで魔物退治をウィルアムズ様に丸投げしても大丈夫なのですか?」


あちら側で闇の精霊がひとつ目蜘蛛を召喚した。

アルベルトは闇の精霊との接触した件を掘り下げたいがひとまずアイリーシャの質問に答えた。


「ウィルアムズには魔物や魔獣の弱点を伝えてある。それに手を出すなと言われているんだ。」


「え?でもそんなことしたらルチアーナ様が身に着けている護身用の魔道具は濃い瘴気に触れると壊れる可能性があります。ルチアーナ様の身の安全を確…」


言葉の途中でアイリーシャの目に飛び込んできたのは衝撃な出来事だった。

ルチアーナが炎の攻撃魔法によりひとつ目蜘蛛を見事に倒したのだ。


「どういうこと?」


今度はアイリーシャが狼狽えているとアルベルトが落ち着いた様子で言葉を吐いた。


「なるほどあれがルチアーナ嬢の力か…」


「お兄様はルチアーナ様があんな魔法を使えることをご存じだったんですか?」


「ルチアーナ嬢が魔力暴走起こすと危険だから十分に気を付けるようにとは聞いていた。」


誰がどう見てもルチアーナの魔法は学生レベルのものではない。

アルベルトは納得している様子を見せたがアイリーシャは理解が追いつかない。


「あの凄まじい魔法は一体?」


「マグリット家の血を濃く受け継いだ証拠だろうな」


アルベルトは顔色も変えずにさらりと答えた。


「レイが…今度は新しい魔物を召喚してるわ。お兄様はこのまま傍観していても平気なのですか?」


「ああ、手助けするなとウィルアムズに頼まれたからね。」


「え?」


「ウィルアムズはルチアーナ嬢の力試しの舞台としてあの場を選んだんだ。」


「ん?まさかマグリット家の血って?」


「ああ、ルチアーナ嬢は”戦士の子”だろうね。」


「でもそんないきなり魔物や魔獣と対決させるなんてかなりハードじゃありませんか?」


「勝つ自信があるんだろう。それに何があってもウィルアムズはルチアーナ嬢を守るだろう。」


「お兄様、全部知っていたんですか?」


「ん?何を?」


「あの、私は二人が婚約したのはルチアーナ様がお兄様に一目惚れしたことが発端だと聞いてそれを信じていたんです。でもお兄様は以前から仮の婚約関係と知っていたんですか?」


「何だそんなくだらない噂を信じていたのか?私はマグリット公爵様直々にルチアーナ嬢の一時的な婚約者役を頼まれたんだ。もちろん内密でね。」


アイリーシャはようやく根も葉もない噂に踊らされていたと知った。


「はい?ならお父様もお母様もそれをご存じということでしょうか?」


「ああ…」


「家族で知らなかったのは私だけ?」


「だがルチアーナ嬢にこんな隠された力があったのは初めて知ったよ。」


ルチアーナは淑女の鏡と言われていて血も苦手なはずだった。

それが”戦士の子”だというのだから普通なら目を剝くような話だ。

だがアルベルトは先ほどから眉ひとつ動いてない。


しかもあちら側ではウィルアムズとルチアーナが二人でダーククロウを次々に退治しているのだ。


しかも二人の戦闘に余裕さえ感じる。

なんせ戦っているにもかかわらずルチアーナは不敵な笑みを浮かべているのだ。


「それにしてもあまり驚いていませんよね?何でお兄様はそんなに平静でいられるんですか?私はこの件に関してとてつもなく動揺してます!」


問い詰められたアルベルトの答えは簡単だった。

自分の心を乱す唯一無二の存在がアイリーシャだという事実である。


アルベルトは素直な気持ちを伝えるべきか戸惑いながらアイリーシャに笑顔を向けた。


「それより私はアリスが闇の精霊と前世に接触していたことの方が気になるんだが…」


「あっ!すっかり忘れていました。確かに気になりますよね。」


「アリスは闇の精霊の本『黒魔術と闇の精霊』が泣くほど嫌いだったろ?」


「仰る通りです…」


「なら一体何故?」


子どものころからずっとアイリーシャは闇の精霊と聞いただけで足が震える程怖がっていた存在だった。

先日も魔獣の血の結晶を体内に混入させられ闇の精霊に自分が食べられてしまうかと真っ青になっていたはずだ。


だが何故か先ほどあちら側で闇の精霊が現れても恐怖を露わにすることはなかった。しかも知った顔のようでアイリーシャは冷静だ。

アルベルトはアイリーシャのそんな様子を見て理解に苦しむ。


「ですがレイの顔を見て思い出しました。あの本の内容は出鱈目だったのです。」


「出鱈目?」


『ええ、闇の精霊は怖い存在ではありません』


澄んだ瑠璃色の双眸は底知れぬ強さを放ちエメラルドグリーンの瞳と絡んだ。


アルベルトは息を呑んだ。

何故なら目の前にいるのはアイリーシャだが中身が違っていた。


「聖女システィーナ?」

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